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#10 そういうのって話しにくいのよ

『ホームスクールをあたりまえに生きてる』エッセイ 第10弾
そういうのって話しにくいのよ


 つぶやきエッセイな感じで気軽に続けます。

 アンスクーリング暮らしで、なにが伝えるのが難しいって、学習の様子なんですよね…。

  • 教科学習をしているわけではない

  • 教科書を使って指導役がいるわけではない

 手始めにこんなところでしょうか。
 「教科にあてはめる」ことは誰しも試みるものですが、すぐに「どうもうまくあてはめられない」感覚を覚えます。それは学問体系に詳しくないことも理由の一つに挙げられるかもしれないけれど、なんにせよ「すべてつながっている」と感じて、きっちりと分類することは難しいのです。そのように分類して、教科全般を網羅しようと証明することに時間を費やすよりもはるかに手間と時間をかけてやるべきことはたくさんあるからです。


 アンスクーリングの方針もまた家庭それぞれになりますが、我が家では「勉強する」ことよりも別の観点を重視していました。

  1. 思考する

  2. 調べる

  3. 確かめる


 そして、それをこどもたちがおこなうために、おとなの態度として必要なこともじきに理解してきました。

  • 余計な口出し、正答の誘導

  • 否定や、反対をしないこと(危険について安全を一緒に確認する)


 逆に以下のようなことは目標や手段にはしてきませんでした。

  1. 知識を得るための勉強(時間割やカリキュラムを決めて、計画すること)

  2. 知識を覚えたかの確認をするためのテスト(証明すること)

  3. なにを学習し、成長が見られたのかの親の目線でおこなう記録

 これらは義務教育期間に相当する年齢時のときは、特に必要のないことだと認識していました。
 遊びが学びであることが重要です。
 遊びのなかに学びを置くこととも違っています。
 学びを遊びに替えて楽しく身に着けるとも違っています。
 遊びの中に学習の獲得があります。学習していると意識していない体験が経験に変わるときに”まなび”がすでに起こっています。
 それらを客観的に理解し、言語化するのは、もっとずっとあとの年齢でよいと考えてきました。具体的には論理的な思考が整う年齢のことで、15歳を超えてから以降だろうと考えていました。15歳というラインは、前後3年ほど幅があるように感じます。そのころには興味関心が向く傾向に個性がより強く出てきますし、思考の手段や方法に得手不得手があって、それらを本人が「自分のやりやすい」ところに落ち着いてきます。

 これらは生き方であり、在り方です。
 どういった学問領域を習得したとかいう観点は、特に気にしてきませんでした。学問の領域に興味関心が強い子であれば、おのずとその方面に進むのでしょう。しかし、必ずしも全員がその道に進むわけでもありません。

 ただ、多少は親の価値観念が影響すれば「高等教育を学ばなければ、社会に出ることは叶わない」と考えるようになる子が育つかもしれません。ですが我が家では今のところ、具体的に進学を検討する機会は訪れていません。


 「必要のない支援だ」と感じたのは以下のようなものです。

  • 学年相当のドリル学習をこなせるようになる

  • 出席扱いや評価に対応できる学習計画と報告書の作成をする

  • 教科学習試験の解き方指導

  • 集団行動

  • メンタル・カウンセリング


などなどです。これらの提案は以下のような理由で投げかけられます。

  1. 「学校に行かないのであれば」

  2. 「学校に行っているのと同様の学力を身に着けるために」

  3. 「学力不足は不登校の原因」

  4. 「精神的な問題が不登校の原因」

 どれも「不登校の原因は児童本人の抱える問題(困難)である」といった思想を根拠としているのでしょう。それに「解決すべき不登校」といった考えもあるのかもしれません。あるいは「”学校にいかなくてもいい”を真実にしたいため」というのもあるかもしれません。
 それが正解になる場合ももちろんあると思います。けれど、それらが保護者の不安や使命感につけいった営利目的の教育サービスに結び付きやすいことも目に余ります。
 営利目的の教育サービスも多種多様です。教育や学習の可能性を拡げる内容は、誰にとっても可能性を秘めた期待のできるものです。そういったものとは一線を画したものはあるということは、どなたも感じることがあるでしょう。
 理念に共感できるか、という点も重視して、本当に必要な支援やサービスなのか、本当にその時に求めて必要なものと合致しているのか、見極めが必要ですよね。そのためには家庭哲学ともいうべき家庭の教育理念「今、大切にすること」の再確認は必要不可欠です。


 長期欠席の理由はさまざまです。不登校の背景もさまざまです。
 個々ではもちろん千差万別な理由や動機があるわけですが、ある程度の領域の色相を発見することができます。全体像を理解しなければ、ひとつのホームスクーリング制度の決定が、別の領域をもつ集団においては不利益になるということは充分考えられるのです。

 そのような多様な背景を浮き彫りにする社会調査はいまだかつて行われていません。偏りが目立ちます。まずは、多様な領域があるという理解が前提におかれればなぁととても思います。そのためのKOKAGEホームページです。

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「ホームスクールをあたりまえに生きてる」シリーズを集めたマガジン 2022年5月スタート。 更新中。基本的に全文公開としています。 気に入…

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