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なにが必要だったろう、あのころ

 目に留まったツィートがあった。引用したいのだけど、ちょっとすぐに発見できない。
 「私もそういうこどもだったなぁ」という内容だった。

 幼稚園に入る前から図書館で本をよみあさり、小学校にあがるころには高学年向けの本は好んで読んでいた。教科書はもらったその日にすべて読んでしまっていた。本を読むことが好きで、「さぁ、みんなで外に出て、一緒に遊びましょう」とは嫌いとまでは言わないがどちらかといえば苦手ではあった。無くても構わないものだった。


【読解力の高さがもたらす危うさ】


 小学生のころでいうと授業の内容は、国語以外の教科においても「読解力で答えがわかってしまう」ことが多くなってしまう。

 「わかった!できた!」の体験を積むことで自信が作られる…なんてことをよく耳にするけれども、それは前提に「わからない!できない!」経験からの自信喪失と、自信喪失からの学習意欲の低下の状態にあるケースに対応するものなのだと思う。「わからない。できない」ときは、それが「なぜなのか」「どうしたら理解できるか。できるようになるか」と丁寧なケアを受けることができるので、困難からの脱出経験を都度、積み重ねているようなものだ。しかし「わかっている子」「できる子」というのは、「大丈夫」判定がつくので放置されがちなんだと思う。
 もしも「なぜ、わかるのか」「なぜ、できるのか」とその道筋を言語化する考える機会が与えられていたのなら、なにが変わっただろうか。自分への知的探求がより深められたのではないかとなんとなく思う。

 なぜなら「わかる。できる」は、必ずしも高い学習意欲を示しているわけでは無いからだ。どちらかといえば「わかってしまう。できてしまう。」という感覚だ。そして「わかる。できる。」子は問題が無いとみなされてしまう。仮にテストで解答にいくつかの間違いがあったとしても、それが「間違い」や「失敗」であって、「理解していないわけではない」場合にもやはりケアがされないことが多い。むしろ「理解していないのでは?」と誤解されたと知ると自尊心はそれだけ深く傷つくことになる。そして「間違い」や「失敗」をおかしてしまったことへの自責の念に対してのケアはされないままなのだ。

 読解力が高いと、例えば試験の問題文を読解力から分析し、答えを導き出せてしまう。そうなると教科の内容自体への理解は深まっていないにも関わらず「できている」状態だとみなされてしまう。なんなくこなせてしまうのだ。それは中学校まで続く。

【学習意欲が刺激されない】

 高校にあがると何が違ってくるのかと言うと周囲の学力が、自分と同程度という中学のそれとの環境の違いだ。授業内容が中学の内容を理解しているとの前提の上で進められるので、それまで読解力で保っていた見かけの学力は、理解力を求められてきた時点で馬脚を乱される。そして、この時点で「学習意欲」はほぼ育ててもらっておらず、本人の自発性にすっかりゆだねられてしまっている。「考える」という思考する機会がほぼ無いため、外部刺激のない状態のまま成長しているのである。
 人は成功しているときよりも失敗したときのほうが7倍考えるのだそうだ。だが「わかっている。できる。」子とみなされているうちは、失敗と間違いから「考える」に導く機会は与えられることはあっただろうか。単なる失敗、たまたまうっかりやってしまったケアレスミスというような判断において、なんとなく流されてしまってはいないだろうか。

 「わからない。できない。」という衝撃が学習欲に高まることにつながるとは、すべてのこどもに当てはまることではないのかもしれないけれど、少なくとも私はそういった困難にぶつかるほうが意欲が刺激され、そのとき初めて「勉強」というものを始めた。その時、15歳。高校1年生だ。
 受験をして合格者が入学してくるものだから、学力は同程度。そのなかで今までと同じように授業を聞き、ノートを取り、テスト前に勉強をするというリズムでは出る結果は見事に平均値だったのだった。これには少なからずショックを受け、自分は「ちゃんと勉強というものをしたことがない」とハッキリ自覚したのだった。そこから初めて「勉強」をした。するとおもしろいことに結果に出たし、そのことを担任の先生も気づいてくださったことも大きく励みになった。学習意欲を刺激された初めての経験だったわけだ。それまでの9年間はいったいなんだったんだ。

 ところがそこで転校することになってしまい、転校先の学力とそれまでの同級生の学力との差が激しく、一気に学習意欲を失ってしまった。みるみるうちに成績は下がり、さりとてそれで巻きかえそうという気にもなれなかったのはどういうわけだったのだろうか。
 転校した最初に臨んだ試験は、転校してすぐにおこなわれたものだったので私は「できなくてあたりまえ」とみなされていた。テスト結果にショックを受けないようにという配慮からだろう。先生方から「できなくてもあたりまえだからね。転校してきたばかりなのだから」とテスト範囲を教えてもらいながら、あらかじめ声をかけていただいた。自分でもそうなのだろうと思っていたので、それではあまりに低いのでは申し訳ないと勉強したところ、思いがけず上位者に貼りだされてしまっていたのだ。転校生が。いきなり。
 15歳である。目立ちたくなんかない。ただでさえ東京からの転校生というわけで他の教室からもわらわらと見学者が窓の外に集まっていたくらいである。「すごいね。頭いいんだ!」なんて言われてもひたすらどこかに身を隠したい思いにみまわれたほどだ。あぁ、記憶がよみがえる。
 県出身者である両親の前評判で県で一番と言われてそこしか編入試験を受けなかったものだから、私の学校への期待値が非常に高かったのも一因だ。期待の大きさに見合わなかったことで、それからの意欲をすっかり失ってしまった。以降、誰もが知る「すべての授業で眠っているコ」になった。高校3年生とは受験生とよばれるけれども、私は受験生になるのは高校3年生を終えてからでいいやと思っていて受験勉強の一切を拒否した。無論、浪人である。浪人中は独学に取り組んだが、折も折、両親は遠方に家を購入し、私は兄との二人暮らしがなぜか始まってしまった。なぜ置いて行かれたかって?「残りたい?」とだけ聞かれたのだ。高校を卒業したばかりの身だ。友達のいる街から遠く離れ、遊べる街の近くから遠く離れることを考えれば、さして考える間などおかずに即答した。「そりゃあ残りたいけど?(引っ越しやめるの?)」くらいの返事だったはずなのに、「それなら残っていいよ」と、兄と二人暮らしで家事を引き受ける運びになってしまった。意味が分からないのだが、後で聞いたところによると、両親の考えでは18歳になったらもう親が世話をする理由が無いらしいのだ。そんなわけで私は質問の意味も回答の解釈も理解できないまま置いていかれたのである。
 生活リズムが整わず、勉強机に向かうことができない。夏になって兄の独り暮らしの引っ越し先が決まり、おのずと私は両親のもとに行くことになった。(たぶんそういうことだったのだと思う。かなりなにがどうなったのか状況がつかめないままだったのだと思う。)
 このときから受験勉強がようやく始まり、「自分にちょうどよい勉強時間=集中する時間」を初めて発見した。それがちょうど授業のヒトコマの時間と一致することも発見した。学校ってよくできているんだなぁと感心した思い出だ。しかし高校の授業内容を追随するだけでは受験勉強にならないので、予備校に通うことを許してもらった。自分で数か所の予備校に電話をし、問い合わせの対応で気持ちの良いところを選んだ。予備校ならではの受験技術なるものは、高校生の時分であったなら「ずるい!」と感じてとても受け容れることはできなかったろう。「ずるい!」よりも「こんな方法でいいのか!編み出した人すごいな!」という感覚だった。知らなかったことを知り、覚え、活用するたのしみとよろこびをこの時初めて知ったのだと思う。
 すばらしい先生との出会いがあった。受験生であるという自覚から「合格するための勉強」という目的を明確にしていただいたのだと思う。学習意欲を育ててもらうということを、おそらく私はこのとき初めてその恩恵を受けたのだと思う。

【「できる。わかる。」より「学習する」環境が欲しかった】


 結論からいえば、そういうことなのかもしれない。
 学習意欲が刺激される環境が必要だったのだと思う。できる子、わかる子だからといって、みずから学習環境を整備する能力があるかというと、それは難しいのではないかと思う。学校の勉強をそれなりにこなし、友達と遊び、なおかつ自分でやりたい勉強を進める時間を確保するということを思いつき、実践できる小学生はそうそういなくて当然ではないだろうか。時間管理能力が不可欠なわけだから。時間割と授業の進捗と与えられるままにこなしているのに加え、その先取りをするような見通しを立てることは、少なくとも私には難しいことだったと思える。私は「時間を読む」ことが大層、苦手だったからだ。全体の見通しを教えられてはじめて、スタートからゴールに至るまでのイメージを形成することができる。イメージ形成ができて初めて行動に移すことができる。そういうタイプなので、順序良く、やるべきことを指示されるのでは不安がいっぱいで、なにをどうすればいいのか、実のところわからないまま進めていくしかないのだった。指示通りにやればいいと言われても、なぜ・どうして、・そうするのか、のイメージが無いと、指示の意味が理解できず、それは行動に移すことができない動機になった。
 「わかる」のに「できない」子でもあったのだ。
 「できる」のに「わかっていない」子でもあったのだ。

 成績が良いかどうかの評価で判断することは、もう無くなってほしいと思う。成績が良かろうが、悪かろうが、「学習意欲が育てられているか」の点で充分はケアがされているかどうかには、なんら無関係だからだ。
 結果としての成績が思わしくなくても、好奇心に富み、探究心に富み、リーダーの資質を備えて積極的に学校生活を充実して送っている子もいるはずだ。クラスの人気者や頼れるリーダー、みんなを引っ張ってくれるというジャンルであったり。
 結果としての成績が良くても「学校がつまらない」子もいて不思議ではない。
 誰もがリーダーになりたいわけでもないし、誰もが良い子になりたいわけでもなく、一番には「学校ってたのしい。勉強するっておもしろい!」と思える機会の場であってほしいと思う。


【こどもを取り巻く環境をこどもと一緒に考えて】

 学校全体の運営、学級運営を考えた時、誰かに役割りを与えるであるとか、なにかしらの手法はいろいろとあるのだろうが、まとめあげることよりも、やはり聞きなれた言葉で耳にタコかもしれないのだけれども、ひとりひとりが充実した学校生活を送るという視点でなにかを見出すことを最優先にできないものだろうか。もちろんそこには家庭や地域からの協力は必要不可欠だと思う。


・学校にさえ無事に行っていればなんとななるとは思わずに、こどもの様子にアンテナをはって、「毎日、楽しそう!」と安心して見守っていられているか。
・そのために家庭でできること、学校でできることは、それぞれなにがあるのか。
・互いに忖度しながら期待を押し付けることなく、対話できる場とはどういうものがあるか。
・それぞれの役割分担を互いに把握し、理解したうえで、家庭・地域・学校で手を取り合って、こどもを取り巻く環境を、こどもと一緒にどう考えていけるか。


 そんな機会が、今、実現しつつある社会に向かっているのだと切に願う。
 「学校に行きたくないとこどもが感じている」と知ることは、その最大のきっかけになるはずだ。学校ができること・家庭ができること・地域ができること、そして、それぞれにできないことを互いに充分理解しようという姿勢があれば、おのずとこどもに寄り添うことに近づいていくのではと思う。世間に対しての責任ではなく、こどもの命に向かい合って、引き受けるべきことを自覚することから始まるのではないか。
 わたしたちは、どういうわけかいつのまにか「こどもだった時分」を忘れてしまう。でも、目の前にいるこどもに向き合えば、実はそれがかつての自分と重なり、訴えかけてきていることを感じると思う。今こそ、丁寧に、置き忘れてしまった自分と対話するチャンスなのだ。
 時間に追われていることは、なによりも不遇な要因になっている。そのことで国との交渉が表出しているのが今なのだと感じる。忘れてはならないのは、それは「自分のため」であると同時に、「こどもたちを大切に想う自分のため」でもあるのだということだろう。ひいては「こどもたちにとっても良いことになるかどうか」を、本当にこどもの視点から想像し、理解し、こどもたちの信頼を得ることができるかどうか、だ。
 信頼を得ることができるかどうか。
 本当にそこにかかっているのだろうな。
 
 

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