【ホームスクール】学校とのやりとり『①通知表(成績表)』
ホームスクーリング・センター木蔭は、2008年からアンスクーリング暮らしをしてきたわたしたち家族の経験と洞察をいかしてまとめたウェブサイトです。「学校とのやりとり」はどんな状況の家庭においても役立つ内容なのではないですか?」と提案されてできあがったページが『つなぎあい>知っておきたい法律と用語』です。現在は『法律』と『用語』を別々のページにしました。
用語解説集を始めます。
収録マガジンはこちら。メンバーシップ特典マガジンとしますので、メンバーはマガジン収録記事全文をいつでも無料で読むことができます。
先に『出席扱い』に注目がありましたので、このシリーズを始めることにしました。『出席扱い』の用語解説として次の記事をマガジンにも置きます。
「出席扱い」とはなにかを知る重要なポイントを挙げておきます。
「出席扱い」を学校に依頼する動機や目的は家庭にそれぞれ違います。まずは「学校を休んでいるのだから、代わりに、それくらいするべき。しなくてはいけない」といった考えを捨てて、それぞれに必要な時に、必要なことを学校に依頼する姿勢で臨むのが学校とのやりとりの基本ですし、それをホームスクール運営です。
詳しくは、記事『【出席扱い】は手段。”目的”に設定してしまうデメリットとはなにか』をご覧くださいね。なお、この機会にこちらの記事はメンバーシップ特典記事に追加しました。探しやすくなるとよいのだけど。
『通知表(成績表)とはなにか』
学校とのやりとりで「出席扱い」と同時に取り決めをしておきたいと考える項目かと思います。必要な理解を挙げます。
2016年公開した木蔭ホームページには、知っておきたい用語の解説をまとめたページがあります。主に次の用語を挙げています。
『指導要録』との違い
木蔭ホームページの用語解説には、合わせて根拠となる資料をリンクしています。
「通知表(成績表)」は担任教師が作成するもので、学校での児童生徒の様子を家庭に伝えるのが主な目的です。
学校での様子を保護者に知ってもらうことで、家庭での過ごし方、こどもの家庭学習の手助けとなるよう保護者に協力をお願いするものです。
学校で学ぶ内容は、学校だけでは足りないこともありますし、学校で学んだことを家庭でも披露することで、こどもの学習内容の理解も進みます。積極的に「学校の学習」に家庭も参加するためのツールがこの「通知表(成績表)」です。
そして保護者が、自身のこども時代とは学びの内容が異なることを知る機会にもなります。教科書に載っている環境問題や社会問題を、こどもを通して家庭でも知識を共有することで、社会人の教養を担ってもらおうという公教育の目的で【家庭・保護者への教育】があります。これは【市民教育】の基礎ともいえますし、【国家教育】の楚ともいえることで、これをどう受け止めるかは、国民ひとりひとりの民主的な態度によって大きな影響を及ぼします。
本来、学習の主体は【市民】であることには違いないのですが、日本の教育体制は、戦後、国民が市民として自覚し、自立し、自律した社会治安を市民みずから築いていくまでにはなかなか熟成していません。
『指導要録』は、学校長が作成するものです。
その用途は、進学・進路先へつなぐ児童生徒の情報共有です。授業態度や学習進度は生徒指導や授業計画におおきく関わるのではないでしょうか。生徒ひとりひとりのきめこまやかなケアを計画するためには欠かせない情報ということになります。
児童生徒が学習を健全に継続していくために活用されることが、もっとも望ましい在り方です。個人的な価値観にもとづいた偏見を助長しない意識を持つことが期待されます。
欠席日数や成績評価を、ジャッジ(判定・判断)として過剰に反応しないことが重要でしょう。それは学歴にたいする過剰な期待をやめることといえるでしょう。
「学び」は、受験勉強や試験勉強のように学生が所有する一過性のものではなく、”一生、共にあること”だと再認識することです。
通知表の「評定できません」や「斜線」の意味
学校で過ごすことを主としない児童生徒の場合、通知表の記載は「評定できません」や斜線が引かれていることが多いです。
これは、そのまま「評定しません」という意味ではありません。評定は指導要録で記録されています。
通知表は先も述べた通り、家庭通信ですから、家庭への配慮として、「評定できません」や斜線で示すことが可能です。そうすることの目的は児童生徒や保護者への不安を払しょくし、安心してもらうためです。不登校児童生徒の支援体制の一環といえるでしょう。
それをふまえて、通知表を作成することが不要であれば、それを学校に伝えることができます。こどもが通知表を必ず見なければならない、受け取らなければならないということもありません。
通知表とはなにかを理解すれば、それをどうしたらいいかを決定するのは家庭です。その相談を学校とするのです。決定権は家庭にあることを忘れずにいてください。学校は常に、家庭と協力して、こどもたちを応援する気持ちを持っていると信じてもいいのです。そのためには家庭の理解が必要なんです。学校教育とはなにか、日本の教育制度とはなにか。普通教育とは。
「学校に行かなくなったらどうすれば?」の意識を変革すれば、「学校とできること」を考えて、対等な関係でやりとりするようになります。
ホームスクール運営は、家庭が主体となって決定していくことです。
通知表に反映するための取り組み
通知表に反映する評価対象は限定的です。つまり学校活動がそうです。
ですから、家庭学習を学校教育を履修したとする規定もありませんし、学校教育を履修したと認める学校教育以外のオルタナティブ教育も制度上ありません。
それでも一般的に保護者も地域社会も総じて、こどもたちの「学習に対する評価」が示されることを学校に期待します。学校および公教育はそんな社会の期待に応えることが公僕の務めとなります。
そこで現状では、評価する資格を持つ人がだれかに焦点があてられます。教員が学習指導をおこなうことがキーポイントとなります。
参考記事
さて、この「教員」ですが、「教員免許を持っている人」ではなく、「教員」ということになるでしょう。一条校に所属していることが条件ということになるのでしょうか。校内フリースクールや学校が主催するオンライン授業がそれを実現しています。
立ち止まって考えたとき、そのスタイルは果たして、ホームスクールにとってどうなのか、ということです。
自由と民主主義、自立と自律を掲げるホームスクール家庭は、学校が家庭に介入してくることに対して非常に敏感です。
デスクーリング
学校とのやりとりでは、学校至上主義にうっかりはまってしまうこともしばしば起こるでしょう。そのときに大切な態度は、デスクーリングを経て、価値観をフラットにすることです。
ホームスクール運営のもっとも必要な資質はデスクーリングの先にあることでしょう。
学校とのやりとりは【ホームスクール運営】に重要なひと仕事となります。まずはおのおのの家庭に「必要なこと」を自覚することですし、その動機や目的の指標を定めることが重要になりますね。
ホームスクールへ移行することは、単に、学校教育の学習の場を他へ移したということではありません。
”学校教育の多様な場、多様な機会”といわれますが、いまだ普通教育の制度整備はおよばず、つまり学校教育以外のオルタナティブ教育を受けるこどもたちへの環境整備がおいついていません。そのため、オルタナティブ教育から学校教育への進学・進路のルートにのるためには、学校教育機関に所属し、評価基準に沿う形式をとらざるを得ません。手続き主義、形式主義は良い面もそうでない面もあります。都合のよいように活用するのが現段階では最適解といえるでしょう。
しかし、そのままではオルタナティブ教育の自由と民主性の精神はいつのまにかおいやられてしまっていくのではないか、という危機感も抱きます。学校教育に取り込まれていく道程は、すでに教育機会確保法の成立から予想されていたこととはいえ、それを利用するしたたかさにも期待しています。
そのためにはやはりひとりひとりの【市民性】の熟成なのですよね。
ホームスクーリング・センター木蔭が思い描く未来
生涯学習が実現する社会です。
と、いった用語で示してしまうとどうしても誤解が生じるとは思うのですが、「生涯学習ってなんだろう」ってところからですよね。
常に、木蔭では、ホームスクールの基盤に「生涯学習」の態度があることを示してきました。「学校」という機関や施設に所属することや、制限されることなしに「社会が学びの場」になることを期待しているのです。
それは「生きることが学び」ということと同じです。
「暮らしが学び」であると知ることです。そこに幸福感を覚えることです。誰もが不安なく、暮らしが持てていることは基本的な福祉です。その基盤がしっかりしていること、市民を支えていること、国に期待するのは本来そういうものではないかと思うのです。
いわゆる”こども”への態度は、国が国民に対する態度と同じものになります。こども、生徒、学生への年少者に対する態度は、社会がどうあるかの縮図です。であれば、やはり【熟成した市民】の実現は欠かせません。
「同じことをたくさんの人が語っている」事実が増えれば、それはやがて常識となります。このお話が、だれかを応援するものになれば幸いです。
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