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梅と男と反抗期

今年も梅が巷に並び出した。梅大好き。梅とつく食べ物は大体が体に染みるようになってきた。梅干し、梅ガム、梅水晶、茎わかめ梅味……。中でも梅ジュースは別格、殿堂入り。

梅を見ると、酸味のきいた思い出が脳裏にシュワッと現れる。梅だけに。
どうでもいい話なんですが、よかったら聞いていってください。

府中市美術館で飲んで梅ジュース

20代のころ、バンドマンの男と付き合っていた。
4つ年上の彼は私よりずっと大人に見えて、ギターも上手、面白くて優しかった。彼と付き合っているという事実は、当時アイデンティティクライシスだった私にはちょっとした誇りだった。

とある春の日、スーパーに売られていた梅を発見し一念発起。「梅酒を作って彼と一緒に飲む。なんて丁寧で素敵な暮らし……」と思って作り方をネットで検索し、漬け始めたのだ。彼の家の台所のシンク下に梅を漬けた瓶を置き、家に遊びにいった際には瓶を揺らして梅をなじませては、二人でウフフと眺めていたものだった。

これは梅ではない

ちょうど彼との同棲もそろそろ始めようか、と考えていたころだった。しかし、彼は当時30歳にして売れないバンドマンで、メインの仕事は派遣社員。
うちの堅物の両親には到底受け入れてもらえず、会ってももらえず、ただただ同棲について猛反対をされた。

親「その年で職につかないなんてどうかしている」
彼「職種だけで人間を判断する人とは合わない」

私はなんとか親に受け入れてもらおうと手紙を書いたり、彼をなだめたり諭したりしたが、両者ともに譲らず、こんな感じで平行線のまま二ヶ月が過ぎた。

ある日、「なんで私だけが頑張ってるわけ?なんで誰も私の話を聞かないの?」とふつふつと怒りがこみあげてきてしまい、「彼とは別れる。親の言うことももう聞かない」と爆発。彼とは電話で別れ話をし、親とはしばらく勝手に音信不通を貫いた。どんなに着信があろうとも、メールで無礼をののしられようとも無反応を決め込んだ。物理的な距離も助けになったかもしれない。

両親は厳しいというより子供が自分たちの価値観から逸れていくことが認められない人々だった。
親への言葉が通じない恐怖心で抑え込まれていた思春期だったけれど、ついに同棲反対事件をきっかけに20代後半でめでたく反抗期を迎えたのだった。

今考えると、あの時初めて、本当の意味で自我が芽生えたような気すらしてくる。
ちなみに彼とはそれっきり(……いやしばらく未練たらしく彼のバンドのライブ情報などおっかけていたけれども)。そりゃそうだ。彼は私などいてもいなくても、ちゃんと自分の足で生きていた。音楽を愛していて、本当にかっこよかったのだから。

それにしても気になるのは、彼の家のシンク下に置き去りにしてきてしまった梅酒だ。彼の家に自分の荷物を取りに行った際、一瞬「梅酒!」と思ったのだが、とても飲める気になれないだろうと判断し、置いてきてしまったのだった。

梅酒、どうなったんだろう。ちょうど飲み頃だったよな。お酒好きの彼のバンド仲間たちに飲まれてしまったんだろうか。無駄にならなかったならいいんだけれども。人生で初めて自分で漬けた梅酒。一口飲んでおけばよかった。

彼は梅酒を見て、私のことを一瞬でも思い出したりしたんだろうか。

そんなことを考えながら、毎年スーパーでこんもりと盛られた梅の棚の横を、通り過ぎている。

かぶら屋の梅塩サワーとソース星人

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