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「万が一」を想像しちゃう心配性は、いっそその先まで突き抜けてしまえ

私の姉は、「万が一」は万に一回しか起こらないのだから心配なんかしなくていい、という9,999の世界で生きる人。
一方私は、「万が一」にとらわれ、気になり気に病み、こんなこと考えてしまう私って、と自己嫌悪に陥る面倒な性格。

先日の夜も、お風呂へ入りながら、こんな「万が一」の想像をしてしまった。

――もしも母が入浴中に溺れてしまったら。

母はいつも、ゆっくりしたいという理由でお風呂は最後に入りたがる。

そうやって母がお風呂へ入っている間、先に上がった私はのんきに髪を乾かし、布団の上でストレッチしたりテレビを見たりして就寝。夜中に目を覚まし、トイレへ。なぜか風呂場に明かりが。見ると湯船に母が沈んで――

いやー! やだやだ!
やめやめ! ストップ!
なんてこと想像してんの私!!!

つくづくこの「万が一」を想像してしまう自分が嫌になる。

いや待てよ、と湯船に浸かりながら閃く。
「いやー!」で想像を止めるからダメなのだ。それではただの「縁起が悪い」である。

だったらいっそ、「その先」まで考えたらいいのでは?

つまり「万が一」そんなことが起こった場合、どう行動すべきかを具体的に考えておくのだ。

母も高齢者枠に属する年齢である。いつ何が起こったっておかしくはない。実際父は一年前に突然倒れて逝ってしまったのだから。母だって、例えばお風呂で溺れる可能性が、まったくないとは限らない。

湯船で溺れている場合、まず栓を抜けと聞いたことがあるから、排水させながら救助を始めることにしよう。

待てよ。救急車はどのタイミングで呼んだらいいのだろう。もちろん真っ先に連絡したい。1秒でも早く。
だけど私一人しかいなくて、目の前で意識のない母が顔まで湯に沈んでいる場合、それを放置して電話をかけることができるだろうか?

いや、できない。
まずもって顔だけは湯から出したい。
顔を持ち上げ、腕を浴槽の外にでも出して再び沈まないようにして、このタイミングで電話機を取りに走るか。

通報してから、湯船から出したり、心肺蘇生を試みることにしよう。やり方は保育園勤務していたときに習ったし、もしパニックになっても通報すると電話で指示してくれる。

実際、祖母が意思不明になったとき、電話で心臓マッサージを指示された。あのときは元看護師の母が通報前から心臓マッサージを始めていたのだが、いざというとき、あれを私もモタモタせずにやれるだろうか。
いや、やらなければならないし、手本をすでに見ているから、やれるはずだ頑張れ私。

そもそも私一人で、湯船から脱力した母を救助できるか?

手を借りるために、ご近所さんを呼んだ方がいいだろうか……。いや、だから、そんな電話かけるヒマなんてないだろう。しかも夜中。
それに母は真っ裸だから、お互い嫌がるかもしれない。

じゃあ救急車の誘導をしてもらう?
いや、だから。そんなあちこちに電話かけるヒマなんかないだろうって何回言ってるよ。

私一人で、母の顔だけ湯から出して、救急隊が来るまで待つ? いやいや、心肺蘇生法は一秒でも早く始めなきゃダメだろう。

じゃあ私が今のうちに学んでおくことは、一人で湯船から母を救助するときの、正しいやり方か。

――気がつけば、「万が一」を想像して嫌になっていたはずの私の気持ちは、一種の清々しさを覚えていた。

そうだよ。「万が一」を想像してしまったのなら、いっそその先まで突き抜けてしまえ。自己嫌悪で止めずに、その先の対処法まで。建設的に考え、イメージトレーニングしておけばいい。

いざトラブルが起こったときには、むしろ「待ってました」と思うくらい、「想定内」としておさめられるだろう。

ほら。もう、「万が一」を気に病む必要など、どこにもない。

  *

こんな話を母に言ったら、きっと「あんだって神経質だねー」とあきれられるだろうから、言わないでおこう。

……と思っていたが、うまくポジティブ変換できた今回のことがあまりに嬉しくて、結局全部、母に話してしまった。

「あんだそれは考えすぎだよ」

ピシャリと母が言い放つ。
やはり神経質だと咎められるのか。

「近所の人たちには、手を出させちゃダメだよ」
「え?」
「助かんなかったとき、あとで責任問題とかなると面倒かけっから」

そっちか。
真面目なアドバイスが返ってくるとは思わなんだ。

「なんだ。てっきりまた、神経質だって言われるんだと思ったわ」
「言いませんよ。だりゃ、私だってもうこの歳ですから。お風呂で溺れることだってありえる話ですよ」

母から「神経質」と揶揄されなかったことに、安堵する。高齢になったこと、救助関係のことだから母もアドバイスをくれたのかもしれないが――

もしかしたら、答えが出ない、ただグダグダ悩むタイプの話ではないから良かったのかも? と思う。
そこではなく、その先の「対処法」という具体的な話だから。だから母も、感情で返さず、淡々としたアドバイスをくれたのかもしれない。

――私って、母から「神経質」って言われるのが嫌なんだな、ということも今回理解した。

だったらなおさら、「万が一」を想像しちゃったときは、突き抜けて対処法を考えるまでをセットにしよう。

これを習慣化すれば、「万が一」の不安と気に病むこと、それと母から「神経質」と言われることが、きれいに解消されるのだから。


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