【小説】太陽のヴェーダ 先生が私に教えてくれたこと(6)
第2章 病名
●白い道
美咲の体調はだいぶ回復していた。
紫斑はほとんど消え、膝も痛くない日が増えた。
――が、やはり朝晩は時々痛み、動きもぎこちなくなって転びそうになる。
「杖を使ってみますか? 職場でも、足が悪いというアピールになるでしょう」
「杖!? いや、それはちょっと……」
老人が持っているイメージしかない。
ふと、外で車が止まる音がした。
耳を澄ましていると、ドアを開け閉めする音もする。もうすぐ夕食だというのに客だろうか。
「ああ、瀬名先生です。ここに寄ると連絡がありました。美咲はここにいてください。出迎えてきますから、挨拶してくださいね」
はい、と言う間もなく雪洋がリビングを出ていく。ほどなくして、玄関から賑やかな声が聞こえてきた。リビングに現れたのは、メガネをかけたひょろりとした長身の男。
「やあ天野さん久しぶり。覚えてるかな?」
もちろん覚えている。
今日は白衣ではなくスーツ姿だが。
「はい。先日はお世話になりました」
「いやいや、俺は何もお世話してないよ。なあ、雪洋」
瀬名は雪洋に視線をやり、口を横に引いてわざとらしくニッと笑った。雪洋は瀬名を一瞥して「その節はどうも」とどこ吹く風だ。
「あの、先生方はどういう……」
知り合いだとは聞いている。
先日の雪洋の様子を見るに、苦手な相手だと見受けられた。
「瀬名先生は私の父親の友人です」
「あれ、それだけなの俺とお前の関係って」
瀬名が笑いながら不服を申し立てる。
雪洋は流し目で瀬名を睨んでから補足した。
「瀬名先生は私の……なんというか、恩師みたいなものです」
「なんで嫌そうに言うんだよ」
「不覚にも昔借りを作ったので逆らえないというか……」
「おいおい人聞きの悪い。『お世話になった』の間違いだろう?」
瀬名の様子は、息子の反抗期も成長の一環として喜ぶ、親のようだ。
「お二人はかなり親しいんですね」
「親しくありません」
「おいおい」
小声で「苦手なんですか?」と雪洋に問う。
「大いに苦手です。苦手ですけど尊敬する方。意地は悪いけど、よき理解者であり、味方です」
瀬名の目が雪洋を向いた。
「ほう。そういう風に思っててくれたんだ。苦手と意地悪は余計だが」
まんざらでもない顔で笑みを浮かべている。
「そう思っておりましたが、何か」
しれっと雪洋が言い放つ。
「俺、ユキのそういうところにほだされちゃうんだよなー」
どうやら雪洋も負けてはいないらしい。
その和気藹々とした空気を壊すように電話が鳴った。
「失礼。お茶は私が出しますから、美咲は座ってなさいね」
雪洋が素早く立ち上がって電話へ向かう。
恐らく患者からの問い合わせだろう。
雪洋が対応している間に、瀬名が診察時のような口調で「体調はどうかな?」と聞いてきた。
「おかげさまで。先生が色々とサポートしてくれますから、本当に助かってます」
「それはよかった」
意外にも瀬名との話に花が咲いた。
雪洋は漢方や予防医学にも詳しいらしい。
元々は雪洋の祖父が精通していて、その影響を強く受けたということなど、色々と教えてくれた。
「せっかく同居してるんだから、雪洋をたっぷり利用して天野さんの今後に役立ててね」
はい、と返事をしながら雪洋の様子を窺う。
まだ電話が終わる気配はない。
「あの、こんなこと瀬名先生にお尋ねしていいのかどうか……」
「うん、何かな?」
「先生が変わり者って本当なんですか? あの、本人が、周りにそう言われていると……」
「ああ、はは。変わり者ね。俺はそうは思わないけど」
常識的な医者でないことは承知の上で同居に踏み切ったが、自分の体を預ける医者が変わり者というのは、やはり気にならないわけではない。
瀬名はあごをなでてうなった。
言葉を選んでいるようにも見える。
「保身とか私欲とか関係なく、思いきった行動をするあたりがそう呼ばれる所以かな。でもそれは周りが勝手に思うことであって、本人にとっては目的は別のところにちゃんとあって……。俺から言わせりゃむしろ私欲まみれなんだけど。まあ、毛並が違うと周りは変わり者扱いしちゃうってことだよ」
わかったような、わからないような。
いや、まったくわからない。
雪洋の電話が終わると、瀬名が囁き声で付け足した。
「でも医者としては優秀だから。天野さんは何も心配しなくて大丈夫だよ」
美咲も小声で「はい」とうなずいた。
「失礼しました。――美咲、すみませんが瀬名先生とお話があるので、しばらく部屋で休んでてもらえますか?」
「はい、いいですよ」
立ち上がろうとすると、すかさず雪洋が部屋までサポートしようとする。
「先生、一人で大丈夫ですから」
「何言ってんですか。さっきも転びかけたでしょう?」
申し出はすぐに却下された。
「……先生ちょっと過保護っぽい」
こっそりつぶやいたつもりだったが、瀬名に豪快に笑われた。
ベッドで本を読んでいると、隣のリビングのドアが開いた。話は終わったらしく、二人の声が玄関へと移動した。
美咲が覚束ない足取りで部屋を出ると、二人はもう外に出た後で、車のエンジンがかかる音がした。
見送りはあきらめて、リビングへ向かう。
ソファーに腰掛けると、テーブルにはまだ書類が置いてあった。医者二人が見ていた書類だから、中身は当然そっちの関係であろう。
見たってどうせわかりゃしない、と投げやりに向けた美咲の視線が――止まる。
瀬名を見送った雪洋がリビングに戻ってきた。
「どうしました? 怖い顔して」
「先生、検査結果もう出たんですよね?」
書類を指差す。
検査機関からの報告書と思われる書類は、英語表記だったり専門用語だったりで詳細はわからない。でもはっきりとわかることがある。美咲の名前が記されているということだ。
「先生、私の病名って何ですか? また……『異常無し』ですか?」
不安に満ちた険しい顔を雪洋に向ける。
「ごはん食べてからにしませんか? お腹すいたでしょう」
雪洋は美咲の感情をなだめようと穏やかな表情をしている。
「今知りたいんです。私はずっと、それがわからないために苦痛を味わってきたんですから」
雪洋は目を伏せて息を吐くと、ソファーを手で示して言った。
「座って話しましょう」
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【小説】太陽のヴェーダ
どう見ても異常があるのに「異常なし」しか言わない医者たちに失望した美咲。悪化した美咲に手を差し伸べたのは、こうさか医院の若き院長、高坂雪洋…
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