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野草を見分けたい

今日の夕飯に、セリの酢味噌和えが出た。母が水辺近くを草刈りしていて見つけたセリらしい。先日は三つ葉のおひたしが食卓に上がった。これも母が見つけたもの。

母のそういうところに、ちょっと憧れている。食べられる野草を見分けることができ、サッと採ってきて、食事の一品にする。

私の場合、バッキャ(ふきのとう)のようにわかりやすい姿ならまだしも、葉っぱ系の野草は見分けがつかない。

私が漠然と描く将来のイメージとして、お金に振り回されない、支払いに追われないライフスタイルというのがある。

そうなると自給自足生活しかないような気もするが、税金の支払いなどもあるわけで、やはり多少はお金が必要になる。というか私の体力的に、完全自給自足生活はまず無理。

大切なのは「ほどほど」とか「バランス」になるだろうか。再発性の持病がある私にとって、生きていくためには「持続可能なライフスタイル」でなくてはならない。

お金の世界に偏りすぎない。
でも極端な自給自足生活も、きっとうまくいかない。

ちょっとは稼ぐ能力がある。
ちょっとは野菜も作ることができる。
共同体からの助けも、ありがたく享受する。

「中庸」ということだろうか。
偏らず。過不足なく。調和が取れている生き方。

その第一歩として去年は草刈りを。二歩目の今年は、農作物を育てることを母から学んでいる。三歩目は、「野草を見分ける」にしようか。


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