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我が家の盆棚作法

8月13日を待たずに、盆棚に手をつける。去年片付けるときに解体しすぎてしまって、今年は組むときに手こずるだろうと思ったから。

11日の午後、板と棒の束でしかない盆棚を出す。紐をほどいて、一本一本を吟味。祖母と母、それぞれの印が入っているから、それを解読しなければならない。

元々は祖母が組み立て担当で、祖母自身がわかるように印を入れていたらしい。その後母が引き継いだが、祖母の印がわかりづらいからと、母も印を入れた。しかしどちらも黒の油性ペンで書き込まれたので、
「結局なんだかわかんなくなった」
と母が笑って肩をすくめる。

それを引き継いだのが私である。この日はすべての棒の印に目を通し、理解できたものだけを、なんとなく配置して終わることにした。

  *

8月12日の午後。母が買い物へ出かけている間に、腰を据えて棒に書き込まれた少々クセのある文字と対峙する。幸いそれほど混乱はしなかったので、母が帰ってくるまでに組み終えることができた。

ついでに油性ペンで、新たに私なりの印を入れておく。「寝/横」「右/左」「前/背」「上段/下段」という文字を組み合わせたもので、一本一本の住所を表したつもり。もちろんペンの色は変えた。

この印が的確かどうかは、来年わかるだろう。

「えーすごい! よく組み立てられたね。あんだってそういうとこ、お父さんに似たんだね」

帰ってきた母から、盛大にお褒めの言葉をいただく。きっと幼い頃に、父から段ボール工作で鍛えられたのが活きているのだろう。まさか40年近く経って、それが結実するとは思わなかった。

というか、やってみるとわかるが、盆棚の組み立てはそれほど難しいものではない。

  *

8月13日。
盆棚を完成させて、迎え火を焚く日。

まず組んだ盆棚に、祖母が「うづしぎ」と呼んでいた専用の布をかける。正式名称はわからない。

盆棚用の、ランプのような物を飾る。盆棚の左右には、脚のついた提灯。電気を流すと、カラフルな光がクルクル回る。

提灯の頭に乗せる飾りは、黒塗りで装飾が施された弓型の物。両端から長い房が垂れていて、私は毎年これを見るたびに、西太后の頭飾りを思い出した。

大体整ったら、仏間から普段使いの物を運び出す。前机、お線香類、リン、燭台、そして位牌。祖父、祖母、父のもの。それから、祖父が分家したときに持ってきたらしいもの。文字は墨で手書き。古すぎて読めない。祖父の両親のものだろうか。

あとは花や果物を供える。
それと忘れてはいけないのが、二本の乾燥昆布。左右に分けて一本ずつ置く。昆布はお盆最終日に使う。なるべく長いものが良い。

ちなみに盆棚に飾るものと言えば、キュウリの馬とナスの牛があるわけだが……
「脚は割りばし使えばいい?」
と母に尋ねたところ、きょとんとされた。

「なんのこと?」
「え、キュウリとナスで、馬と牛を作るんじゃないの?」
「何それ」
「え、ほら。おホドゲさん(仏様)に早く帰ってきてねっていう意味でキュウリの馬で、あの世に戻るときはゆっくりねってナスの牛……」
「そうなの? うちはそんなの作ったことないよ」
「え、そうなの?」

よくよく考えれば私も、脚が生えたナスとキュウリを今までうちで見たことがなかった。

ではどこからその知識を仕入れたかと記憶をたどれば、前にお盆の小説を書いたことがあって、そのとき調べたことの中に、ナスとキュウリの話があったのだった。

「え、じゃあいつもどうやってたの?」
「ただ上げるだけよ」

母が用意したお皿には、ナスとキュウリがそのままゴロンと乗っていた。ついでにトマトも乗っていた。簡単で結構。

  *

盆棚への仏膳は、13日の夜から供える。家族と同じ食事を上げるが、精進料理なので肉や魚、五辛(ニンニクなど)は避ける。

母が近所のお寺のお手伝いに行ったとき、そこの奥様から
「形が残ってなければいいわよ」
というアドバイスをいただいたそうで。
例えば玉ネギだったら、すりおろすとか。かつお節は使えないが、かつおだし(液体)だったらいいだろう、とか。そう言ってもらえると大変気が楽になる。

仏事はいろいろ悩むこともあるが、お寺の和尚さんがいつも
「なんでもいいんです。大事なのは気持ちですから」
と言ってくださるので、私も母もますます気が楽になる次第である。

14日から16日までは、朝晩、仏膳を上げる。13日の夜だけは下ろして食すが、14日からは下ろさずに、毎回どんどん重ねていく。

しかし昔と違って今は連日30度を超える気温だから、ご近所さんの中には傷むからと毎回下ろすことにしたお宅もある。

伝統作法も、こうやって変化していくわけだ。

  *

16日。お盆最終日。
今回はバラしすぎないように盆棚を解体。左右の側面を繋ぐ横棒だけ抜き、側面は階段状を保ったままにする。印が必要ないくらい、来年は簡単に組めることだろう。

仏膳や果物などの供物は、あちらへ戻る仏様にお弁当として持たせるため、かつては蓮の葉に包んで川に流していた。

しかし我が家に蓮はないので、里芋の葉で代用している。それと川に流すのも差し障りのある時代だし、そもそも近くに川がないので、我が家では氏神様の森の奥にある、大きな杉の木の根本へ置くことにしている。

草深い森の奥へ入るのは虫やヘビがいそうで緊張感があるが、家の近くに置くと今度は獣を呼び寄せてしまうので、さじ加減がなかなか難しい。

地元の母の友人宅では、川に流せず、山にも置けない環境のため、「ゴミさ出して燃やしてもらってる」とのことだった。
これもまた時代の流れである。

ちなみに盆棚へ飾った二本の乾燥昆布は、葉で包んだお弁当を縛るのに使う。湿度が高いので、乾燥していたはずの昆布はすっかりフニャフニャになっていた。

夕方には送り火。
本来はワラを燃やすのだが、ワラがないので、山から杉の葉を拾ってきて燃やすことに。……が、母が拾ってくるのを忘れたため、ワラで作られたムシロを少し切って燃やした。

私と母と、母に抱っこされた愛犬チイサイノ(日本スピッツ)とで火を囲む。少し離れたところでは、愛犬オオキイノ(ゴールデンレトリバー)も何事かと見つめている。

またね、来年ね、迷わないで行がぃよ、などと煙に語り、先に母とチイサイノが家の中へ戻っていった。

私は残って、今少し送り火を眺める。

風が変わったのか、空に昇っていた煙が愛犬オオキイノ(ゴールデンレトリバー)の方へ伸びた。

煙が苦手なオオキイノがオロオロすると、次に煙は私を追いかけまわした。

しばしウロウロと漂ったあと、煙は母屋に向かって、低くまっすぐに伸びていった。

名残惜しくて、まだ帰りたくないのかもしれないな、と思った。

やがて煙は、天高く昇っていった。

じゃあね。
また、来年ね。


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