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父のこと/命のこと

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2021年、コロナ禍に脳梗塞で逝った父のこと。いくつもの重い決断を迫られた、私たち家族のこと。その後の、日々の暮らしのこと。/父に限らず、命のことをテーマにした内容です
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#父の死

昨夜、父に叱られた

昨日の夜、noteに日記を書いていてうっかり夜ふかしをしたわけだが。そのあと布団に入ったものの、アップした日記の文字の並びをスマホで確認しているうちに、そのままウトウトしてしまった。 手にはスマホを持って。 枕元では消し忘れた電気スタンドが、煌々と光を放っていた。 眠りに落ちることと、重いまぶたを開けてスマホ画面を見ることとを何度か繰り返していたとき―― ハッと目を覚ました。   * その話を、さっき夕ごはんを食べながら母に話した。 「そんどきね、……気味悪いって

父からの電話だったかもしれない

今の職場で働き始めてしばらく経った頃。 仕事中、知らないお客さんからの電話がかかってきた。 「はい、〇〇〇〇で……」 「あのよぉ! この、えーど、なんだ? 〇〇ってやづなんだけどよぉ!」 「はっ、はい!」 相手はおじさん。低い声でベダベダに訛って聞き取りづらい上に、ちょっと面倒くさい感じの絡み方。語気も強く、怖い人に思えて、ちょっと声が震える。 他の人に電話を代わってほしかったが、内容は私が答えられる程度のもの。震えを隠しながら対応に努める。 話の途中で、電話の向こう

3月吉日

父の命日にはまだ少し早いのだが―― 祖母の七回忌と一緒に、父の三回忌を執り行った。 ようやく、ようやく、父の弟妹たちを呼ぶことができた。 一緒にお寺でお経をあげて、お焼香をして。 お墓へ花を供え、墓地を巡回するカモシカを見つけて、明るく笑った。 会食のとき、私は少し長めのスピーチをした。 父が倒れたときのこと。 コロナ禍ゆえの葛藤のこと。 葛藤から抜け出すきっかけを得たこと。 父の最期のこと。 葬儀のこと。 その後の、私と母のこと。 コロナ禍でなければ、本来こういう話

今年の我が家のポジティブ変換流行語

祖父母だけの仏壇に父が加わった今年。我が家の流行語は「仏壇ファミリー」となった。毎朝仏前にお茶とお水、ごはんを上げ、夕方になると下げるのだが、母がすでに下げたか否かを確認するため、私が 「仏壇ファミリーのは持ってきたの?」 と口走ったのがきっかけである。 仏壇にいるのは父だけではないから「お父さんの湯飲み茶碗」と言うのは祖父と祖母に悪い。かといっていちいち「おじいちゃんとおばあちゃんとお父さんの湯飲み茶碗」と律儀に言うのも面倒。 だからなんとなく「仏壇ファミリー」と一緒く

見習い農耕民族、草刈り機を装備する

この4ヶ月の間に変わったこと。 母は、火が怖いから野焼きはしないと宣言していたが、ご近所さんからコツを教わり、やるようになった。 私も、怖いから使わないと決めていた草刈り機(刈り払い機)を使うようになった。しかも新品。私の専用機。 常々母が「危ないから使わせたくない。あんだはケガしたらただじゃ済まない体なんだからダメだ」と免疫異常体質の私に言い聞かせてきたのに、「店さ見に行って、軽いのあったら使ってみっか?」と言い出したのには驚いた。 それだけ母が、この夏一人で草刈り機を

祈りの言葉

祈りの言葉を持つ人たちに、どこか憧れを抱いていた。心の大きな拠り所があるのはうらやましい。三蔵法師玄奘がお経を唱えながら砂漠を越えたように、私も困難なとき、何か唱えたい。 かくいう私も、幼い頃キリスト教の幼稚園で二年間お祈りしてきた身であるのだが、ついに文言を暗記するには至らなかった。 30代のとき母園でいっとき働いたときには覚えたが、辞めた途端にまた忘れてしまった。どうも私にはなじまない言葉だったらしい。 激痛の多い体と、乱れやすい心に悩んだせいだろうか。私になじむ、拠

父の采配〜お数珠編〜

父が他界したときのこと。その日のうちに、地元団体から父の訃報メールが発信された。受信するのは、地元の情報をメールで受け取るサービスに登録している方々。もちろん喪主である母の承諾を得てのことだが、私と母も登録者だったから、自分のスマホに父の訃報メールが届いたときの、愕然とか、落胆といったショックは大きい。 「亡くなった方」に、父の名前。 「喪主」に、母の名前。 ああ、これで本当に、「亡くなった人」になってしまったんだ。――葬祭ホールで母と肩を寄せ合い、涙した。 ――と同時に

ポイントカードは結局スタンプ式がいい

去年は私の名字や住所が変わり、今年は父が他界。二年連続で慌ただしく各種変更手続きに追われた。光熱費や保険などはしょうがないにしても、特に面倒に思ったのは、ポイントカード。 スーパーやドラッグストア、ホームセンターにコンビニなどなど、最近のポイントカードにはクレジットカードの機能やチャージ機能がついている。そういう便利そうなカードには個人情報が登録されているわけで。 おかげで各店舗のサービスカウンターを訪れては、事情を話して変更や解約の手続きをしなければならない。 この事

父の最期に関わる選択と、コロナ禍での葬儀に他県の姉を呼ぶか否かの問題について、誰の気持ちで答えを出したか

今回もまた、前回と同じ理由で有料とさせていただきました。とても個人的なことで、表へ出しっぱなしにすると傷口がヒリヒリと痛みそうなこと。私たち家族にとって、とてもつらく、大切な出来事となったことです。 今回の内容は、父の最期に関わる選択――延命治療についてを問われたときのこと。それから、コロナ患者数が急増中の大都市圏に住む、姉や叔父叔母たちをどうすべきかという問題について。父の危篤時、そして葬儀に、姉たちを呼ぶべきか否か。 何が正解かわからない問題の答えを、私たち家族は、時

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迷っていた私への御神託

30年以上の付き合いになる同郷の親友が、私の生態を見て、「書呼吸」という言葉をつくったことがある。もう何年も前のことだ。 「それって『呼吸するように書く』ってこと?」 「違うよ。和珪ちゃんの場合はね――」   * この冬、なんの迷いもなくやっていた「書く」ということにつまずいていた私。あれほど好きで、書くことで救われてきたことだってあったのに。書かなくてもいいのでは? などと書くこと自体に疑問を抱くまで落ちるありさまで。今までの人生でそれはなかった現象だった。 春にな

「一日中書いて暮らしたい」はどうやら卒業

前は「一日中書いていたい」と思っていた。「創作だけに没頭して暮らせたらどれだけ幸せだろうか」と。今は――実家で両親と暮らすようになってからだろうか、ちょっと変わった。 家族が真ん中。 家族とすごすこと、家族の一員として家の仕事をすることの方が大切になった。 じゃあ書くことはどうでも良くなったのか? そうではない。「書くことと暮すことは、同列ではない」と思うようになった。書くことは、暮らすことの上に移動した。――上位だということではなくて。例えるなら、小学生のときに書いた

楽園は小さくなり、そして広がる

父が救急搬送された翌日。付き添っていた母が疲れきった顔で帰ってきたのは、朝の6時すぎだった。父が病棟に入ったときにはすでに夜中の1時半で、コロナ禍のためタクシーは営業終了。母は守衛さんに相談して病院の待合室で仮眠し、タクシーが動き出す朝6時にようやく帰路に着いたのだった。 自宅に到着した母が畑の農業用ハウスに向かうと、すでに先客――畑と田んぼを越えた先に住む、ご近所さんがいた。 「ハウス開いてなかったから、まだ病院にいたんだと思って。今日暑いし、ハウス開けないと苗っこ焼ける

新月を待たずに父は逝く

入院していた家族――父が逝った。今まで「父」と言わず「家族」と濁していたのは、母の意志と父のプライドを尊重するため。 「お父さんはプライド高いから。自分が意識不明の寝たきりになったなんて絶対周りに知られたくないだろうから」 母は、父がもう助かる見込みがないことを伏せ、「コロナ予防で家族でも会えないから、様子がまったくわからない」「多分いつもみたいに軽いんじゃないの?」と周囲へ言い続けていた。父は過去2回、とてもとても軽い脳梗塞で入院していたが、3度目の今回は、極めて重いも