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楽園は小さくなり、そして広がる

父が救急搬送された翌日。付き添っていた母が疲れきった顔で帰ってきたのは、朝の6時すぎだった。父が病棟に入ったときにはすでに夜中の1時半で、コロナ禍のためタクシーは営業終了。母は守衛さんに相談して病院の待合室で仮眠し、タクシーが動き出す朝6時にようやく帰路に着いたのだった。

自宅に到着した母が畑の農業用ハウスに向かうと、すでに先客――畑と田んぼを越えた先に住む、ご近所さんがいた。
「ハウス開いてなかったから、まだ病院にいたんだと思って。今日暑いし、ハウス開けないと苗っこ焼けるなってお父さんと語って、来てみたの」
このご近所の奥様とうちの母は日頃から親しく、何かあったときハウスの開け閉めなどお互いにやっておこう、という話をしていたらしい。

これを機会に私も母からハウスの作法を教わり、葬儀の期間中、喪主の母に代わってせっせとハウスの開け閉めを行った。

  *

父は深夜の病室で息を引き取った。医師や看護師さんに深くお辞儀されながら病院を出る。物言わぬ父を連れて葬祭ホールに移った私たちは、葬祭の夜勤担当さんから一通り説明を受け、その後少しばかりの仮眠を取った。

早朝、先に母が帰宅。食欲がないからとお粥を作りつつ、本家と隣町の叔母に連絡。母がホールに戻ると、今度は私が帰宅。何日も強いストレスにさらされた胃に、母の作ってくれたお粥がやさしく染みる。

そこへ電話が鳴る。本家からだった。
「親類には全部連絡したから」
ゆったりした御仁なのに、仕事が早くてありがたい。子供の頃は親類がなんなのかもわからなかったが、葬儀を出すとなると、本家、親類の協力は不可欠だ。

その後母はホールで、本家や叔母夫婦、葬祭職員さんたちとオヅメガダ――漢字で書くと「お詰め方」だろうか。納棺、火葬、通夜、葬儀、納骨、払いなど――の相談を煮詰める。その間に私は、家のことと犬2匹の世話をする。小走りで家の中を右往左往していると、道路を挟んだ上の家に住むご近所さんが来た。

「ご苦労さんね。何も手伝うことないって言うから……まず、犬っこ鳴いたら来てみっから」

我が家でも少し前までは自宅で人寄せをし、ご近所さんたちにはお料理の手伝いをしてもらっていたのだが、今ではどこの家もホールを利用するようになった。

「ありがとうございます。無人になるから、そうしてくれると安心です」

上の家のご近所さんは、上に住んでるだけあってうちの庭がよく見える。我が家は低地にあるが、上のご近所さんと前述した畑の向こうのご近所さんは、小高い丘の上に家があるため見晴らしが良く、ご近所界隈を広く見守ってくれる。

こういうとき、生まれたときから近くにいるご近所さんたちの存在はありがたい。田舎ならではのフォローとセキュリティー。親戚とはまた違う、家族に近い、親しい世界がここにはある。

  *

――疲れたときは、一度、あなたの小さな楽園に戻ってみよう。
私の聖典『牡牛座の君へ』にあるこの一節と、自分の感覚に従って、半年ほど前に私は両親のもとへ戻ってきた。それまで住んでいたところは、もう私の楽園にはならないとわかったから。

だったら両親と一緒にいたい。両親のために料理を作りたい。冬には雪かきをして、春には草取りをする。夏には熱中症予防の飲み物を持って、作業場の父や畑の母に届けたい。それから、軽度とはいえ脳梗塞を繰り返している父を、近くで守りたい。――そういう強い意志が生まれた。実家はまさに私にとっての一番小さな楽園だ。

でも今、母と二人になってしまった。一番小さいと思っていた楽園が、さらに小さくなるとは思わなかった。毎日ふとしたときに父を感じ、私も母も涙が出てくる。泣いたと思ったら笑ってみたり、怒ってみたり、毎日その繰り返し。二匹の愛犬は癒しであり、私たちを律してくれる存在だ。

私の楽園はたしかに小さくなってしまった。
だけど――

ご近所さん、本家、親類、同級生、同級生の親、いつもお世話になっている車屋さん、電器屋さん――家の周りの、身近で、土台となっているコミュニティーに今、楽園の広がりを感じている。

昔からあったはずの繋がりなのに。
何も変わったわけではないのに。
深さなのか、心地良さなのか、信頼なのか。

私が変わったのだろうか。これからは母と二人、ここで生きていく。そのあとは、私一人で生きていくことになる。――ご近所さんたちに助けられながら。そういう覚悟が、楽園を広くしているのかもしれない。


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