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父の采配〜お数珠編〜

父が他界したときのこと。その日のうちに、地元団体から父の訃報メールが発信された。受信するのは、地元の情報をメールで受け取るサービスに登録している方々。もちろん喪主である母の承諾を得てのことだが、私と母も登録者だったから、自分のスマホに父の訃報メールが届いたときの、愕然とか、落胆といったショックは大きい。

「亡くなった方」に、父の名前。
「喪主」に、母の名前。
ああ、これで本当に、「亡くなった人」になってしまったんだ。――葬祭ホールで母と肩を寄せ合い、涙した。

――と同時に、私も母も、「絶対来るな、これ」と密かに思っていた。同じくメール登録者である、元夫のことである。案の定その日の夜に、感極まった様子で葬祭ホールへ現れたらしい。私が自宅に帰ったあとで本当に良かった。

元夫は母に紙袋を託していた。私へ渡してほしいと。中には女性用の、しかし大変仰々しい、見覚えのあるお数珠が入っていた。僧職に憧れる元夫が、何年か前に私のものとして購入したものだ。

その夜、元夫からLINEが来た。もう葬儀のお知らせもナシにしようって決めたのに、と約束を破ったことへの詫びから始まり、お数珠のことへ。忘れたのかわざと置いてったのかわからないけど、と。わざと置いていったのだし、そもそも置いてあるものは好きに処分して結構だからもう連絡しないでくれと再三伝えてあるのにこれだ。私との重大な決め事は、どれも守ってくれない。

  *

翌日も葬祭ホールへ行くべく、朝から真っ黒の服に身を包む。黒のバッグに入れた持ち物を確認しながら、部屋のすみに置いた昨夜の紙袋を忌々しげに見る。

元夫の趣味で買ったお数珠だから、手に二重、三重と巻けるほど長く、私の身の丈に合う気がしないそれを使う気はさらさらなかった。だからこの日持っていく気も、もちろんない。

だがしかし、と一抹の不安がよぎる。

これまで私が愛用していたお数珠は、老朽化が激しかったため手放していた。現時点で、それに代わるお数珠はまだ用意していない。――さて、喪主の家の者がお数珠を持たずにいるのはいかがなものだろうか。

とは言えこれまでの経験から、別になくてもなんら影響がないことも知っている。それにやっぱり、元夫からのお数珠なんて持ち歩きたくない。

しかし――何かが、引っかかる。父の葬儀だから適当にしたくないという意思だろうか? 喪主の家の人間だからちゃんとしなきゃ、お数珠も持たなきゃ、ということか? わからない。

どうすべきか散々悩んで、まことに嫌々ながら、なぜか私は、元夫からのお数珠をバッグへ入れることにした。使う気なんてまったくないのに。

  *

葬祭ホールへ着くと、先に来ていた母と叔母が、何やらそわそわと話し込んでいる。どうやら父のお数珠のことらしい。昨日の納棺のとき、父の手に巻くお数珠がなかったので、「明日持ってきて、火葬の前に棺へ入れてください」と担当の方から言われていたのだ。

母は父のお数珠を持ってきたのだが、金属の装飾がいくつかあるため、却下されたらしい。火葬で一緒に燃やすから金属のないお数珠を、とのことだった。

「あらぁ、どうすっぺ。飾りがないのも持ってきたはずなんだけど、ないんだよなあ」

母が自分のバッグを漁るが、それらしいお数珠は出てこない。どうしようどうしよう、なくてもいいかな、と焦る母を見ていたそのとき、私に天啓がくだった。

「ある! あるよ! これ!」
元夫がよこしたお数珠を取り出す。
「これ使って! これ使わないし、持っていたくないし、かと言ってただなげる(捨てる)のはさすがに気が引けるから、火葬で燃やしてくれたらすごく助かる!」
母もハッと昨日のことを思い出したようだった。
「んだな! これがいい! これしかないよ!」

母は早速父の棺へお数珠を入れた。金属の細い円環がひとつあったが、この際私の明るい未来のために許してほしい。

良かった良かったと三人で安堵したところで、私はお手洗いへ行った。しばらくして戻ってくると、また母と叔母が、今度は興奮気味に何かを話していて、私を見るなり母が飛びついてきた。

「ちょっと! あんだ、これはお父さんだよ!」
「なんの話」
「さっきお父さんの棺さお数珠入れて、これでよしって思って、何気なしにポケットに手ぇ入れたらさ、あったのよ! 散々探して、ないないと思ってたもうひとつのお数珠が今さら出てきたの!」

母は興奮気味の声を抑え、神妙な様子で続けた。

「これはお父さんがそうしたんだよ。あんださストレスの種を残さないように。ストレスでまた体壊さないように。あんだのそのお数珠を、俺が一緒に持ってってやるって。そういうことなんだよ」

  *

翌日。葬儀の一切が終わって、今回一番助けてもらった近くの叔父叔母に、うちへ寄ってもらったときのこと。

叔父が茶の間に座った途端、カサ、と私の背後の戸棚から何かが落ちた。父の、病院の予約票だった。

「あ、お父さんだ」

当たり前に、私の口からそんな言葉が出ていた。嬉しくて、ちょっと笑う。

「俺はこういうの信じないんだ」
叔父の言葉で、たしかにこういうことは私たちの都合のいい解釈なのかもしれない、とも思う。だけど――

やっぱり私と母には、父が「どうもネ」と言っているようにしか思えなかった。紙のかすかな音がまた、ウィスパーボイスの父を彷彿させて笑えた。

遺された家族としては、父の何かがはたらいていると思っていたいし、その方が寂しさが和む。だから父を感じたと思ったら、感じたままでいた方がいい。

だからあのお数珠もきっと、父が私に持って来させたのだろうし、父が引き受けてくれたに違いない。








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