見出し画像

新月を待たずに父は逝く

入院していた家族――父が逝った。今まで「父」と言わず「家族」と濁していたのは、母の意志と父のプライドを尊重するため。

「お父さんはプライド高いから。自分が意識不明の寝たきりになったなんて絶対周りに知られたくないだろうから」

母は、父がもう助かる見込みがないことを伏せ、「コロナ予防で家族でも会えないから、様子がまったくわからない」「多分いつもみたいに軽いんじゃないの?」と周囲へ言い続けていた。父は過去2回、とてもとても軽い脳梗塞で入院していたが、3度目の今回は、極めて重いものだった。

体へのわかりやすい症状が出れば早く気づけたのだが、そうではなかった。派手な変化がないまま進行し、急激に症状が現れて搬送されたときには、すでに何日か遅れをとったような状態。しかも血小板の多い持病のせいなのか、頭の中にいくつも梗塞が見られた。血管もボロボロで、搬送された日のMRIには写っていた血管が、2日後には写らなくなった。血液サラサラにする薬が、追いつけない。

今思えばあのとき……
あのとき病院へ連れて行けば……
意識の片隅で、かすかに、かすかに、父の言動に違和感を覚えた記憶がある。きっと「あのとき」から始まっていたに違いない。

点滴をやめて、食べ物を胃に送る管を入れる予定日が、ちょうど新月の日だった。新月というのは新しい物事を始めるのには最適な日だという。潮の干満が月の引力に影響されるのだから、人間の体調にも影響はあるだろう。だったら新月の日から管に切り替えるのはいいことだ。きっと順調に切り替わる。細くとも長く生きて、コロナ禍が明ければ、他県の姉も父に会える。
そう思っていた。

でも父は、新月を待たずに急変してしまった。

病院に呼ばれたのは夜中の11時半。コロナ禍のせいで玄関で足止めを食う。こんなことをしてる場合か。いつまでコロナは続くんだ。――名前や連絡先の記入に手が震える。
病棟に上がり、医師からの説明があり、父を叱咤し、手を握り――

お疲れ様、と母と二人で囁いた。
頑張ったね、ありがとう、と。

新月に向かうように逝ってしまった。介護もさせずに。母の言うとおり、父はプライドの高い人だったのだ。

「あのとき……」と思うたびに、私も母も、後悔の念に苛まれる。だけど――
救急車を呼んで搬送したこと。
父の最期を看取れたこと。
父を見送ることができたこと。
このことだけは、よくやったと胸を張りたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?