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父のこと/命のこと

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2021年、コロナ禍に脳梗塞で逝った父のこと。いくつもの重い決断を迫られた、私たち家族のこと。その後の、日々の暮らしのこと。/父に限らず、命のことをテーマにした内容です
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「#東北でよかった」を覚えていますか

私のパソコンに入っている、小説のネタメモや草稿を整理していたら、なつかしい文章が出てきた。どこに発信するでもなく、荒々しく、ただただ私の言葉を書き綴っただけのもの。 タイトルは「#東北でよかった」――あのときの私が、書かずにはいられなかった思いである。 世の中の皆さんは、「#東北でよかった」をまだ覚えているのだろうか。 元々は時の復興大臣が、震災の被害が「東北でよかった」と失言したことから始まった。 2017年4月25日のことである。 この出来事を受け、Twitterで

3月11日

2022年に書いたものですが。 「2011年」とか「3月11日」という日付を見ると、必ずあの日を思い出す。 「今日は黙祷の日ですね」 朝、職場で日付印の数字を合わせながら言う。 「ああ、そうだねぇ」 私は何度も転職しているから、そのたびにあの日あの時、みなさんがどうしていたかを知る機会に触れられた。 今朝もみんなで、あの日あの時、何をしていたかを語り合った。

おじいちゃんの日記

何年か前、実家の屋根裏で祖父の日記を見つけた。 私は祖父を知らない。 祖父はある朝、昏睡状態に陥っていて、意識が戻ることなく一年後に亡くなったと聞いている。 当時私は2歳。 遺影は白黒でピンボケ。 祖父についての記憶の断片はわずかにあるが、それが思い出なのか夢なのかもわからない。 祖父の日記―― 歴史家が古文書を発見したときは、こんなふうに高揚するのだろうか。『農業日記』と冠された分厚い日記帳。それが角を揃えて十冊ほど積まれていた。 人となりもまったく知らない私が、

昨夜、父に叱られた

昨日の夜、noteに日記を書いていてうっかり夜ふかしをしたわけだが。そのあと布団に入ったものの、アップした日記の文字の並びをスマホで確認しているうちに、そのままウトウトしてしまった。 手にはスマホを持って。 枕元では消し忘れた電気スタンドが、煌々と光を放っていた。 眠りに落ちることと、重いまぶたを開けてスマホ画面を見ることとを何度か繰り返していたとき―― ハッと目を覚ました。   * その話を、さっき夕ごはんを食べながら母に話した。 「そんどきね、……気味悪いって

その後のシルバーアウェアネスリボン

私は普段、シルバーのアウェアネスリボンを身につけている。その理由は以前書いたとおり。今でもその思いは変わっていない。 この日仕事を終えた私は、日用品を買うため、職場近くの店に寄った。 メモを見ながら目当ての物をカゴに集め、レジへ並ぶ。ちょっとだけ混んでいて、先頭にいるお客さん1は店員さんにお金を出そうとしている段階。そのあとに続くはずのお客さん2は、カウンターにカゴを置いて、どこかへ行っているもよう。私はその次に並ぶ、お客さん3である。 ほどなくお客さん2が戻ってきた。

父からの電話だったかもしれない

今の職場で働き始めてしばらく経った頃。 仕事中、知らないお客さんからの電話がかかってきた。 「はい、〇〇〇〇で……」 「あのよぉ! この、えーど、なんだ? 〇〇ってやづなんだけどよぉ!」 「はっ、はい!」 相手はおじさん。低い声でベダベダに訛って聞き取りづらい上に、ちょっと面倒くさい感じの絡み方。語気も強く、怖い人に思えて、ちょっと声が震える。 他の人に電話を代わってほしかったが、内容は私が答えられる程度のもの。震えを隠しながら対応に努める。 話の途中で、電話の向こう

店番のおじさんと父と私

職場の備品を買いに、商店街の小さな店を訪れた。 「こんにちはー」 誰もいない店内に声をかける。 商品を物色していると、奥の部屋から店の人がゆっくりと姿を見せた。 いつものように奥様が――と思ったら、この日現れたのは、おぼつかない足取りのおじさん。初めて見る。 「ごめんね、脳梗塞やってから足悪くなって。座らせてもらうね」 会計のとき、おじさんが領収書の綴りを出しながら弱い声で詫びた。 「あ、はい。どうぞどうぞ」 私はそれだけ言って、あとは黙ることにした。おじさんが領収書に、

供養のドッグフード

母が愛犬チイサイノ(日本スピッツ)との散歩中に、時々出会うご婦人がいる。とても朗らかな方で、合うたびにおしゃべりを楽しんでいた。 あちらも愛犬を連れていて、ここではクロちゃんと呼ぶことにする。 私もこのクロちゃんとは、オオキイノ(ゴールデンレトリバー)との散歩中に何度か会ったことがある。 しかしオス同士だからか、うちのオオキイノとは馬が合わないふうであった。うちのは(多分、遊んでほしくて)ギャンギャン吠えまくって執着していたが、クロちゃんはいつも見向きもせずに、颯爽と通

3月吉日

父の命日にはまだ少し早いのだが―― 祖母の七回忌と一緒に、父の三回忌を執り行った。 ようやく、ようやく、父の弟妹たちを呼ぶことができた。 一緒にお寺でお経をあげて、お焼香をして。 お墓へ花を供え、墓地を巡回するカモシカを見つけて、明るく笑った。 会食のとき、私は少し長めのスピーチをした。 父が倒れたときのこと。 コロナ禍ゆえの葛藤のこと。 葛藤から抜け出すきっかけを得たこと。 父の最期のこと。 葬儀のこと。 その後の、私と母のこと。 コロナ禍でなければ、本来こういう話

傾く氏神様

1年ほど前、我が家の氏神様がちょっと傾いてることに気がついた。氏神様のお社が、と言った方が正しいのかもしれないが、我が家では昔から、石造りの小さなお社ごと「氏神様」と呼んでいる。 庭からかろうじて見える氏神様。家の前の山で木々に隠れひっそりと座す氏神様は、全体的に斜めになっていた。 そのことは時々会話に出る。今回もまた、母と氏神様の話になった。お正月が近いから。 「去年は『お父さんが氏神様に元朝参り』って書いてあるね」 私は食事日記の最初のページを開いた。 我が家の食

まだその言葉は、涙が出る

時々地区の班ごとに、道路沿いの草刈りや、ゴミ拾いなどの活動がある。朝6時から始まるそれに、今現在は母が参加。私は家で、掃除や朝食の準備をする。 1時間ほどして、母が帰宅。 「もう終わったの?」 「うん。あとは男だぢで〇〇(近所の施設)の草刈りだ」 〇〇の草刈り―― 去年の春も、それはあった。 そのときは、父が参加した。 たしか、脳梗塞で倒れる2日前のこと。 その数日後、退院することなく逝ってしまった父。同じ班のおじさんたちはそれは驚き、口々に言った。 「何っすや! こ

戒めのシルバーアウェアネスリボン

アウェアネスリボンといえば、乳がんの早期発見等を訴えるピンクや、LGBTQ等への理解・賛同のレインボーなどが有名だが。 私はシルバーを身に着けている。バッグにはキーホルダーを。先日の和楽風天主催の撮影会にはシリコンブレスレットを。 それぞれのカラーが担当する意味は、ひとつだけではない。シルバーにもいろんな意味がある。その中で私は、「脳に起因する病気」という意味を選び取った。 父を脳梗塞で逝かせたことは、私にとっては不覚でしかない。 脳梗塞の癖がある父を近くで見守りたい

今年のツバメハイツは入居OKです

5月頃から、毎年恒例、ツバメたちが我が家の内部見学にやってくる。それは街なかでも同様で、もうじき地元の店先では、逆さに開いたカサが多数出現することだろう。 カサの上にはツバメの巣がある。ここのツバメ一家が旅立つまで、カサはひたすらフンを受け止め続けるのが仕事だ。その間地元の人たちはあたたかく見守る。 うちの親も小鳥が大好きで、かつてはツバメも毎年のように受け入れ、ヒナが巣立つまで、大切に見守ってきた。その証として我が家の車庫には、「ツバメハイツ」と呼ばれる歴代入居ツバメの

親の葬儀で後悔しないために決めておいたこと

2017年、祖母が他界したときにわかったことがある。残された者は、必ず後悔するということ。身近にいた者は特に。 正直私は祖母について、裁縫の腕は尊敬していたが、性格については「陰」の気質が強かったため、あまり好きではなかった(私と似た性格とも言える)。 それでも介護度がつき始めた頃から、母と二人で祖母のトイレの介助をしたし、要介護になってからはシモの世話もした。 とっても大好きな祖母で、だけど何もすることができずに逝ってしまった――というのなら、きっと後悔は大きいだろう。