オランダ人によるフローニンゲン自転車ツアー ~欧州自転車旅6日目(フローニンゲン→ズヴォレ)~
欧州自転車旅10日間の旅行記の5日目です。150キロ弱走って念願のオランダに入国。自転車ツアーから始まって最後はウイグル人の家に宿泊。情報量多い一日で、長い旅行記になりました。
出発 :11時18分(9時14分ガイドツアー出発)
到着 :20時22分
走行距離:146km(うち11kmガイドツアー)
全日程のダイジェストはこちら。
現地民に案内してもらう、フローニンゲン自転車ツアー
オランダ人と一緒に自転車に乗るというのは、今回の旅で実現したい目標の一つでした。理由の一つは、それが本場の自転車文化を身体で感じるということではないかということ。もう一つの理由は、フィリピン旅のときに、現地のサイクリングチームと一緒に走ることができて、それを欧州でも実現したいという思っていたことです(その時の記事はこちら)。
WarmShowersで今回泊めていただいたTanjaのプロフィールに「サイクリングガイドするよ」とあったのを見つけたときに「コレだ!」と思ってコンタクトしていました。
そんな夢が実現したのがこの日です。Tanjaはフローニンゲン生まれとのことで、まさにオランダの自転車文化の中で生まれ育った彼女と走れたのは、サイクリストとして一生の思い出です。
横に並んでおしゃべりしながら走るのが欧州スタイルのサイクリング
e-bikeのTanjaがKemiを後ろから押してあげてます。さすがオランダ、
ガチサイクリストじゃない人まで自転車スキルが高いです。
「横きなよ」と言ってくれて、自分も並走させてもらいました。まさに、オランダの自転車文化に入門させてもらった瞬間です。
途中までは3人で走って、Kemiは大学に行くためお別れ。その後まずは自転車屋でベルを買わせてもらいました。日本では自転車のベルってほとんど役に立ちませんが(法令上は一応必要ですが…)、サイクリスト同士でコミュニケーションをとる必要がある欧州では必須アイテムのようです。ベルつけてないと警察に呼び止められるとのことで、絶対買ってね、とのことでした。
ベルを買ってからはフローニンゲン駅へ。オランダで最も美しい駅とのことです(ソース)。まるで美術館のような駅でした。ただし、電車は時間通りこなかったり、混んでて自転車を持ち込みできない場合もあるとのことでした。デンマークほどには電車への持ち込みができないのかもしれません。
5000台以上収納可能な駅前駐輪場。世界最大の駐輪場だったこともあるようです(ソース)。現時点ではユトレヒトだと思います。ここ以外にも駐輪場があって、有料の駐輪場のほうが防犯がしっかりしているらしく、駐輪する時間や自転車によって使い分けされているとのことでした。
日本人は魚好きなんだと話したところ、魚料理のお店を紹介してくれました。
動画です。GoPro大活躍。あとで見返すと英語がひどすぎて悲しくなりました。もっと練習しおけば…
ソロライドでもフローニンゲンを堪能
「家帰ってきたら朝ごはん作るよ、私料理メッチャ得意だから!」と言ってくれてツアーに出発したのですが、予定以上にサイクリングツアーを楽しんでしまったのか「仕事に行かなきゃいけないから飯は無理だわ、ごめん!」となってしまいました。残念ですがしゃあないです。Tanja, Kemi、最高の経験をありがとう!
この日の目的地はフローニンゲンとユトレヒトとの中間にある都市ズヴォレに設定しました。当初予定ではこの日のうちにアムステルダムまで走り、その後ユトレヒト、ブリュッセルと走る予定でしたが、疲れや向かい風の強さを考慮して前日の時点で諦めました。2日かけてユトレヒトまで走り、アムステルダムからパリまでを電車で移動することにしました。
改めてルートを決める必要があったので、前日のうちに、翌日以降のルートについてTanjaに相談しました。結論、アムステルダム方面に行くならZwolle経由のルートが一番prettyと教えてくれました。最短距離のAlemere経由のルートはModernでオススメじゃないとのことです。オルデンブルクのホストはBreezanddijk堤防を経由する北からのルートをオススメしてくれていたのですが、道路の工事中で自転車は通れなそうだったので、Zwolle(ズヴォレ)経由の南ルートを選びました。
ルートの次は宿も決める必要があります。Tanjaと解散して市内のレストランでブランチを食べながらWarmShowersでこの日のズヴォレ、翌々日のアムステルダムのホストを探して、メッセージを送りました。ユトレヒトのホストにもコンタクトしてみたのですが、なかなか決まらず、結局ホテル泊しました。
市内のレストランへ向かう途中の橋。気づかなかったのですが、右側通行なので右の橋を渡らなければいけなかったようです。すっごい笑顔で優しく指摘してくれました。フローニンゲンの別場所で車専用道に入りかけてしまったときも、車から笑顔で優しく声をかけてもらいました。
翻って、日本の道路上のコミュニケーションってなんであんなにピリついてるんでしょう。
市内中心部のBistro Bommen Berendさんにて一人ブランチ。14.5€(≒2300円)です。
ソロライドでもフローニンゲンを堪能しました。
フローニンゲンはしっかり動画撮りました。日本に帰ってからもフローニンゲンを感じることができて大成功です。ブランチ食べながらタイムラプスで市内の風景を撮りました。
フローニンゲンからズヴォレへ
フローニンゲンをでてからは、タイムラプス動画です。ズヴォレ市手前で雨のためバッテリー切れした区間がありますが、あとはホスト宅への到着まで撮れてます。
ジャージを着たガチサイクリストはすごく珍しいです。今回の旅全体を通して、平均して1日1~2回見かけるくらいだったと思います。この方たちは爆速で並走してました。怖い。
フローニンゲン郊外のHarenにてシュークリームとチュロスを購入しました。
一人に食べるには多すぎるチュロスを注文してしまったのをイジってきた人に半分食べてくれないか?と頼んだけど断れれました。持ち運びながら少しずつ食べました。高カロリーな食べ物は旅にはありがたいです。
Eetcafé/cafetaria 'De Molensteen'さんで休憩を入れました。私の英語力のせいか、外国人の少なそうなエリアだったせいか、英語でのコミュニケーションに難儀しました。ハンバーガーを注文したところ、しばらく待ってから「with Bread?」というようなことをきかれたので、「そこまでお腹空いてないからパンはいらない」と答えました。
するとビックリ、提供されたのはハンバーグだけ。ハンバーグをパンで挟むかどうかをきかれていたようです。英語力が不足しているとこういう悲しい目にあうということを学びました。ハンバーグが美味しかっただけに残念です。常連ぽいお客さんと一緒に笑顔で対応してくれたので嫌がらせとかではないと思います。
自転車用か分かりませんが、道沿いに日本では見ない形のゴミ箱をときおり見かけました。自転車からポイッと投げ入れることができて便利です。デンマークでも見たような。
目的地のズヴォレ手前ではまた雨に降られました。雨の中走ってる姿がおもしろかったのか、道端の人から「What a wonderful day for a bike ride!」的なことを言われました。そういうこの方は何してる人だったんでしょう。
川沿いのサイクリングロートで雨の中停止して道を確認していたときは、通りがかったジャージのガチサイクリストが「Are you OK?」と心配してくれました。道路上での助け合い文化は、今回の旅全体で感じました。
オランダでウイグル人の家に泊まる
当日連絡したにも関わらず、快くOKしてくれたウイグル人の方の家に泊めてもらいました。自分の1つ上の32歳です。「I was in China. But I'm not Chinese.」というようなことを仰っており、難民としてオランダに住んでるとのことでした。本棚のノルウェイの森の中国語版を見せてくれました。本棚には1984(ジョージ・オーウェル著)もあってなるほど…という感じです。
ポルトガルからオランダ(だったかな?)まで2週間の自転車したことがあり、そこでWarmShowersをゲストとして使っていたとのことです。
メッセージのやり取りの中で「なにか食べたいものあるか?」ときかれ、「フルーツ、パン、あとは何かタンパク質多いもの」というお願いをしていたところ、まさにその通り用意してくれていました。タンパク質はツナ缶です。ありがとう!
夕食を用意してくれたあとは、ジム行ってくるわ!と言って彼は1時間くらい外出しました。部屋には自分ひとり。オランダって治安いいんだな…と思った瞬間です。
疲れ切って洗濯機を回すのが遅くなってしまい、彼がジムから戻ってから洗濯が終わるまで30分くらいありました(ごめん)。その時間に、彼自身のことを話してくれました。かなり聞き間違いがあると思いますが、聞けた範囲で紹介します。
新疆に生まれ、北京の大学に進学、大学院でトルコに留学、さらにポルトガルにも交換留学?していたこともあるとのことでした。海外経験が豊富で、日本の学校しか行ったことがない自分からするとスゴいグローバルエリートです。
そこまでの人生は全く問題なかったとのことなのですが、ウイグルへの締め付けが厳しくなってからは一変したようです。弟は刑務所にいて政府の監視もあって家族との連絡が取れなくなり、中国には帰れない状態になってしまったようです。もちろんウイグルのことはニュースで知ってるつもりでしたが、報道されるのは極端なケースだとも思っており、彼の話をきいて初めてこの問題が現実のものであると認識させられました。
正式にオランダの居住権を得て、自由に海外に出るためにはオランダ語の試験に合格する必要があるとかで、現在は週3はその勉強、週2はITエンジニアとして働いているとのことでした。政治によって人生を左右されてきた彼の話きくうちに、学校や仕事が、住む場所を基本的には自由に選択できるというのが、決して当たり前ではないのだと、思わされました。
この日のことも含めて、欧州各地を走る中では、ウクライナやパレスチナなども含めた政治も問題が(主に悪い意味で)生活に身近なことになっている印象を受けたことがありました。
日本は平和でいいのですが、難民の受け入れ基準がすごく厳しいとかも、、欧州がこんなに受け入れてるのに、日本だけ見て見ぬふりするのもどうなんだろう…と考えさせられます。
日本にもウイグル人の友人がいるとのことで「労働時間長すぎらしいね」的なことを言われてしまったので、電通過労死事件からはマシになってるよ…と説明しました。
オランダ語の試験に通って海外に行けるようになったら、まず日本に来たいと言ってくれました。そのときは自分がWarmShowersのホストとしてもてなしたいと思います!
翌日に続く
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