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龍力挑戦ストーリー~生酒編~

今では、しぼりたてや生酒は、あたりまえになっています。

実は、龍力の生酒の販売は、1970年代まで遡ります。
これは、日本でも1番か2番目に早く販売した蔵です。
少なくとも近畿圏(大阪国税庁管内)では一番早い蔵元です。

では、なぜ言い切れるのかと言いますと、
こんな話を四代目蔵元本田眞一郎が、話しておりました。

1974年、大学を卒業し、蔵に入社した眞一郎。
その頃は、キリンビールの特約店で、キリンビールが本田商店の売り上げのほとんどを占めていました。

お酒は、冬に杜氏集団がやってきて、仕込んで行きます。
当時は大吟醸とかの特定名称はなく全て同じ酒を仕込みます。
その酒の良し悪しを審査し、特級、一級、二級と決めて行きます。
そして、ほとんどのお酒は、当時、灘の酒の下請けを受注していたので、
タンクローリーがお酒を持って帰っていきます。

眞一郎は、キリンビールの積み込みの作業に精を出していたそうです。
しかし、それも慣れてくるころ、「おかしい。僕は造り酒屋の息子だ。日本酒を造ることも売ることもないなんて何か変だ。」と思ったそうです。
そう思いながら仕事に取り組んでいました。すると気が付いたのです。
夏場は、自動車修理工場の従業員が車の修理に蔵に来る。冬場は、社長が蔵にやってきていました。

そこで、「おっちゃん、冬だけ来るけどどうしたん??」と聞いた。
そうすると
「冬にできる搾り上がったばっかりの酒が美味いんや。売ってへん味やからな。」との言い、
「それならばいくらで買ってくれる?」と眞一郎は尋ねた。
「一升¥2500でも買う!!」とおっちゃんは答えた。

¥2500と言うと、当時の特級酒より高い値段だ。当時、特級酒ですら約¥1700で販売されていたのだから、かなりの高額でした。
それならば一升瓶¥2000で、商品化しようと動き始めた。
眞一郎が、まだ25歳の頃だ。(1976年)
動き始めて税務署に相談すると難しいですね。と
生酒の販売は、前例が無く、当初認められませんでした。

「生のままお酒を出荷するなんて腐ったらどうするんや!」とお叱りを受けた。
それならば、「12月25日~1月15日までの限定販売という事でどうでしょう?
仕込んだお酒もその時期は、まだ火入れせずに蔵においてありますし、期間を過ぎたものは回収します。」ともちかけ、なんとか販売可能となりました。

販売可能となったしぼりたての生酒は、普通酒の生酒でした。トロリと甘く、ドシっとした口当たり濃厚甘口なお酒です。(現在では、グレードを上げ、特別本醸造蔵出し新酒として販売しております。)
そして、販売したお酒は、思いのほか大ヒット!!
今までなかった味わいとして人気を得ました。

そうすると、前例ができたのか、まわりの蔵でも生酒のしぼりたてを販売するようになっていきました。
この頃から、「龍力は新たな価値観の創造」に挑戦しております。
生酒への挑戦は、これからはじまる龍力の挑戦の歴史のプロローグです。

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