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誰かの大切なものを「噛む」という行為に内包された、行き場を失った日本の差別意識

もう、言わずもがなと言っていい。
このニュースである。

最初にこのニュースを目にした時、言葉が出なかった。
そして徐々に、「きもい」であるとか「気持ち悪い」であるとか、感情が言語化されてきた。

後藤選手の活躍は素晴らしく、弱冠20歳というその若さで、ベテランエース上野選手から受け継いだマウンドをしっかりと守ったその姿は、堂々としていて、今でも目に焼き付いている。

見事金メダルを獲得し、そのメダルは、彼女の傍で、一生彼女の人生を支えていく存在になるだろう。彼女の年齢的にも、人生のベースとなり、糧にもなりえるものだろう。
大切な場所へ保管されても、いつでも自分の目の届くところに飾ったとしても、メダルは常に近くに存在し、勇気をもらえる。そういうものなんじゃないかと思う。

そんな、一生彼女の傍にある大切なメダルを「噛む」という行為。
彼女はこれからずっと、支えになってくれるはずのメダルに対して、この時の気持ちもセットで思い出してしまうのだろう。
こんなこと、あっていいはずがない。
せめて、せめて新しいメダルになれば、と心から祈る中、このニュースが飛び込んできた。

感染症が蔓延する世の中であること、アスリートに対する尊厳の喪失など、「噛む」ことに対する批判には様々なものがあるけれど、そもそも論として、他人のものを「噛む」という行為からして許すべきことではない。それは「セクハラ」以前の問題であって「器物損壊」とか、犯罪レベルの話だ。後藤選手が巻き込まれた、意図せず発生した事件である。それなのに、杓子定規な対応しかできないのか。アスリートファーストはどこへ行ったのか。

どうだろう。自分が必死に努力をして手にしたものを、他人に丸ごと台無しにされてしまう気持ち。
わたしなら、考えただけでもう、絶望しかない。過去も未来も、全て否定されたような。

文字おこしを見てみると、言動も酷いものばかり。

・「ええ旦那をもらって。旦那はええか?恋愛禁止かね?」
・「いくら入っているか分からんけど、税金ですので、俺の金じゃないので、税金だで」
・「元気な女の子は最高だわ。女の子と言えんか。アップに耐えられるかな」

さらに、このような発言があったことに対して、後藤選手がとった対応が「大人な対応」として称されることにも違和感がある。

これは、子どもへの性犯罪を「イタズラ」という言葉で済ませてしまうことと同じ恐ろしさを感じる。

しかるべきことにしかるべき名づけをすることは誰かへの救済になる。
例えば、セクハラという言葉の誕生によって、言葉にできない不快な言動や行動を受け流していた人は救われたはずだ。しかし、このような誤った名づけは、本来の出来事を、気持ちを、隠ぺいしてしまう。そしてそれは、より強い権力に都合のいいように、より聞こえがいいように隠ぺいされてしまうのである。

「大人の対応」は、あの場でせざるを得なかった対応であって、本来したかった対応ではないはずだ。「大人の対応」をせざるを得なかったのは、メダルを噛んだということを問題にした方が悪いと思われるから。女性は男性の軽口を我慢して受け流すことが当然とされてきた時代を生きてきた人だから。相手の意図に則った対応が表敬になると思ったから。
それを「大人の対応でかわしてすごい」という流れとするのは、こうしたハラスメントを野放しにしておくのと変わりない。というか、ハラスメントの横行を容認、さらには推奨しているとすら感じてしまうのである。

最近、セクハラだけでなく日本にこびりついている差別意識が、行き場を失って爆発しているように感じている。

このニュースだってそうだ。「多様性」をテーマにしたオリンピックで、なぜこんな他者を排除するようなことを言えてしまうのか。
さすがジェンダーギャップ120位の国、日本である。

ここでは深くは触れないけれど、ジェンダーギャップ指数とは、各国の男女格差を数値化したものである。「教育」「健康」「政治」「経済」の4分野からデータが作成され、日本は「教育」と「健康」はハイスコアで上位にいるものの、「政治」と「経済」の分野で足を引っ張り、世界156ヵ国中120位となっている。
特に、「政治」の順位は147位と、先進国とは思えないほど最低だ。国会議員の女性割合は9.9%、大臣の同割合は10%に過ぎないこと、それらが挙げられる。

つまり日本では、政治における女性参画の「量的」不足だけではなく、一部の男性参画による「質的」低下が、同時多発的に起きているのである。
それは今回記事に載せた政治家の言動や行動からも明らかである。

話題になった韓国文学「82年生まれ、キム・ジヨン」という作品がある。

この作品は多くの女性が共感し、「これはわたしたちの物語だ」というムーブメントが起こった。作品の中で描かれる女性差別は「いつの時代?」と感じる人もいるくらい、前時代的な描写も多かった。
しかしその韓国の順位は102位である。中国は107位。
日本の120位という順位は、先進国としては本当に憂慮すべき順位で、近隣アジア諸国の中だけで見ても、かなり遅れをとっている。

そんなことを考えている中で起こったこの痛ましい事件。

メディアによっては、犯人の動機「誰でもよかった」という部分を強調しているけれど、「女性なら誰でもよかった」と発言していたようである。

「6年前から幸せな女性を見ると殺してやりたいと思っていた」

きっと、犯人が6年前に体験したであろう個人的な出来事がきっかけになっているのだろうけれど、彼の中には、どんな女性像があったんだろうと考えてみる。想像するに、女性は男性の言うことに対して文句を言わずに従う、という理想像があったのではないか。
だから、女性が自由に、楽しそうに過ごしている姿に、憎悪を膨らませたのかもしれない。
犯人の職業は分からないけれど、男性は、正社員であることや、お金をより稼ぐという部分に重点が置かれる。それがうまくできない苦しみもあったかもしれない。まして現代では、女性の方がバリバリ働いてお金を稼いでいることだって珍しくない。自分が信じてきた価値観と現実との違いに、すごく戸惑って、とても苦しかったのかもしれない。
だけど、個人的な怨念から、これほどの事件を起こしてしまうことには甚大な恐怖を感じるし、犯人と全く関係ない方が怪我をし、これからも精神的な苦痛を追って生きていかなくてはいけないことを考えると、許すことはできない。

わたしはそこに、彼の事情に加えて、社会的な価値基準(ここでいうとジェンダーやミソジニー)にも目を向けていかなければならないと思っている。これほどの事件になるほど、この国では、人々の心の中にある差別意識が、持っていき場をなくしているのだ。
※報道から知り得たもののみで記載しているので、全く違う動機があるかもしれないし、これ以上は何とも言えません。

この差別意識をなくすというのは至難の業で、目の前にいる人との対話を繰り返していくしかないのだろう。差別意識を持っていることにちゃんと向き合って、お互いの価値観の違いを認め合っていくしかないのだろう。

最後に。

名古屋市長のニュースは、市長の性別や年齢、後藤選手の性別や年齢から、とても分かりやすいおじさんのセクハラという構図で入ってくる。
でも、何度も言うけど、誰かのもの、ましてや大切なものを「噛む」という時点で許されるべきものではなくて、被害者と加害者の年齢や性別が今回と異なっていても、許されるべきことではない。

様々な価値観が存在する中で、その価値観同士がぶつかったりすることはあるかもしれないし、信じていた価値観がすでに時代遅れになっていて、意図せずに新しい価値観に圧倒されることだってあるだろう。

そんな時代、これから自分がしようとしていること、言おうとしていることには、すごく慎重にならないといけない。

そして、常に変化に柔軟な、しなやかな人でありたいと、強く思う。

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