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芸術隠れ名所ミラノ記念墓地Cimitero Monumentaleとアドルフォ・ヴィルト

 ミラノには、著名人や名士の家族のお墓がある記念墓地があります。墓石の設計にはアーティストがかかわっているものも多くあり、さながら美術館のような場所にもなっています。


アクセス

 地下鉄Monumentale駅からすぐです。隣には中華街が広がっており、その手前にはADIデザインミュージアムが位置しています。墓地ですから、入場料は無料です。内部にはトイレもあります。
 露出の多い服装は避けてください。

彫刻家アドルフォ・ヴィルト

(ベネチア/カ・ペーザロ所蔵)

 アドルフォ・ヴィルトの名前を知っているなら、あなたはかなりの美術専門家だと思います。彼は20世紀のミラノ出身の彫刻家で、イタリアのシンボリスム(象徴主義)の中でも異彩を放つ存在です。極度に象徴的な部分を誇張した造形は、一見奇をてらったものに見えます。ですが、よく目をこらしてみると、彼は解剖学的な知識をもとに伝統的な彫刻から進化を遂げていることを感じ取ることができます。

パルチザンに破壊されたムッソリーニの胸像
(トレント・ロヴェレート近現代美術館の企画展にて)

 イタリアの20世紀はいうまでもなく劇的な変化とともにありました。それは、19世紀後半にリソルジメント(イタリア統一運動)を達成した直後であり、そしてほかの国と同じように世界大戦を二度経験していることからも明らかです。ヴィルトはこの激動の時代に、ファシストであった美術評論家マルゲリータ・サルファッティの注文を受け数多くのムッソリーニやヴィットリオ・エマヌエーレⅢの像を製作しています。ファシズムという、今ではイタリア人が反感を持つイメージが彼の名前に定着することになりました。
 今では彼の作品は評価されており、イタリア各地の近代美術館で見ることができます。ミラノ近代美術館や、フォルリに多く作品が保存されている模様です。ですが如何せん世界的に有名とはいいがたいため、彼の作品を探すのは大変です。この記念墓地には彼の作品のうち9個もの彫刻=墓石があり、必見の名所となっています。

概要

 記念墓地のホームページに、彼の作品の場所が書いてあるマップがあるので、これを頼りに探索してください。このサイトのQRコードは墓地入り口の掲示板にも貼ってあります。このサイトで彫刻の解説も見ることができます。

 https://monumentale.comune.milano.it/itinerari/adolfo-wildt

 墓地は迷路のようになっており、非常に迷いやすいので、常に大きい通路や大きめの墓石などの目印をたよりに根気強く探してください。あまり迷わなければ、1時間以内で全部見ることができると思います。

ヴィルトの作品

Monumento Ulrico Hoepli

正面
左から

 スイス出身の名士であるウルリコ・ホエプリは、ミラノの印刷業界に貢献しました。ミラノ自然史博物館の隣にあるプラネタリウムは彼が寄贈したもので、彼の名前がプラネタリウムの名前にもなっています。

Monumento Ravera

正面
アップ

この作品は、1890年から1928年に起きたヴィットリオ・エマヌエーレ3世国王へのテロ攻撃未遂により、他の11人の民間人とともに亡くなったベンヴェヌート・ナタリーナ・モンティ・ラヴェラ(1890年~1928年)と彼女の2人の幼い子供、ジャン・ルイージとロジーナ、そして甥のエンリコを追悼するものである。

記念墓地ホームページから翻訳

Monumento Wildt

正面から
アドルフォ・ヴィルトの自画像アップ

 アドルフォ・ヴィルト自身の墓もここにあり、彼の妻及び家族とともにあります。彼の雄大な彫刻とは違い、いたってシンプルですが、存在感があります。

ミラノの建築家ジョバンニ ムツィオが設計したシンプルな記念碑は、彫刻家アドルフォ ヴィルトとその家族の埋葬を示しています。(中略)彼の妻ディナ・ボルギを描いたメダリオンでは、その歪んだ行為が、美術評論家マルゲリータ・サルファッティを中心に1920年代に結成された20世紀グループによって実験された現代的な解決策と同様の古典主義の中で再構成されているように見える。(中略)巨匠によって何度か複製された後、2 つの直筆の肖像画は 70 年代に現在のブロンズのコピーに置き換えられました。

記念墓地ホームページから翻訳

Edicola Chierichetti

 未完だそうです。この墓は非常に大型で、通りの真ん中にあるため見つけやすいです。

Edicola Körner

正面から
彫刻のアップ
顔アップ

 この作品は先ほどのEdicola Chierichettiの隣にあるので見つけやすいです。建築家Giulio Ulisse Arataとヴィルトの共作であり、ヴィルトはこの墓の門の部分の彫刻を担当しました。この彫刻は大型で迫力があり、この記念墓地の彼の作品の中でも目立っていました。

Monumento Carlo Cena

左から

 幾何学的な構成です。こちらは見つけるのが大変でした。

Monumento Giovanni Zucchetti

正面から
右からアップ

 こちらは木に囲まれており、見つけるのが非常に困難でした。

Monumento Bistoletti

正面から
彫刻部分アップ
右アップ
左アップ

 植物が生い茂っており、彫刻の一部が見えない状態でした。ですがこれが意図したものであるなら、よく考えられていると思います。

Monumento Cesare Sarfatti

正面
左から

 詳細について私もよく理解できていませんが、チェザーレ・サルファッティはのちにアドルフォ・ヴィルトを支援したマルゲリータ・サルファッティ(旧姓グラッシーニ)の夫だそうです。一方で、マルゲリータはムッソリーニの愛人であったとのことです。

他の作品

Edicola Campari

正面

 これは最後の晩餐を現した彫刻です。ミラノ生まれのイタリアを代表するリキュールであるカンパリを開発販売したガスパーレ・カンパリの息子、ダヴィデ・カンパリの指示で建てられたそうです。設計は彫刻家のジャンニーノ・カスティリオーニです。

Monumento Umberto Fabe

右から

ウンベルト・ファベ(1918-1941)は、第二次世界大戦中、空軍曹長だった。1941年、23歳の若さでイゼオ湖上空での飛行機墜落事故により死去。

記念墓地ホームページより翻訳

彫刻家エンリコ・パンチェラの作です。

まとめ

 この記念墓地は巨大で、ここで紹介しきれなかった作品がたくさんあります。入場は無料ですから、故人とその家族に敬意を表し、ミラノとイタリアに貢献した名士たちのお墓に訪れてみてはいかがでしょうか。

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