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当事者としてLGBTを考えてみる

この数年で“LGBT”という言葉が一気に浸透して、もはやこの言葉に解説はいらないくらいになった。

でも、私が感じる同年代の大半は「知識としては知ってるけど、LGBTの人と会ったことないな」とか「そういう人もいるんだー」くらいの温度感だと思う。

改めてLGBTを調べてみると

LGBTとは、レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、両性愛(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の各単語の頭文字を組み合わせた表現である。クエスチョニング(Questioning)、間性(Intersex)の頭文字を加えて、LGBTQ、LGBTI、LGBTIQ、LGBT+などと表されることもある。 (Wikipedia)

レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーなどは、有名人がカミングアウトして話題になることもあり、耳にしたことがあると思う。

その他の2つについて大まかに説明すると、クエスチョニングとは自分の性別や性的嗜好を決めかねている人。男性と女性とも言い切れない人のこと。間性とは母親の胎内にいるときに、性分化が通常とは異なる発達をした人のことだ。

他にもアセクシャル(無性愛)、ノンセクシュアル(非性愛)など様々あるらしい。つまり「男×女」「男×男」「女×女」という形のカップルだけでなく、もっともっと多様な形のカップルがいるということ。自分の性自認が定まっていない人、男女どちらでもない、と思っている人がいるのであれば、もはや「男×男」とか表現することすらナンセンスなのかもしれない。

マイノリティはもっといる

セクシュアルマイノリティは、本当にセクシュアル”マイノリティ”なのか、と思うことがある。こう書くと、差別的な扱いを受けた人や現在、法整備ができていないことで、不便(だけでは表現できないほどの不平等)を感じている人は憤りを覚えるかもしれない。
「マイノリティだから差別を受けてるんだ!」と。今、この瞬間も私が想像できないほどの苦しみを味わっている人も、たくさんいるだろうということは私にも想像できる。法整備を進めたり、不当な扱いを受けないというのは当たり前であり、すぐにでも解決するべき問題だ。

そういう前提で話をすると、セクシャルマイノリティ”ではない”と自認している人の中には、自分がメジャーだと勘違いしている人がいるのではないか、ということを言いたいのである。つまり実際はセクシュアルマイノリティに分類される人はもっとたくさんいて、それに気がついていない・目を背けている人がいるのではないか、ということ。

そう感じるようになったのは、セクシャリティー診断をしたのがきっかけだ。『JobRainbow』というLGBTフレンドリー企業を掲載している求人サイトで行っている診断で、会員登録もなく無料で受けられる。転職活動中で、各求人サイトの適性検査を片っ端からやっていたこともあって、とても軽い気持ちで試してみた。

結果は、トランスヴェスタイトノンセクシュアルヘテロロマンティック女性。
必殺技かよ、とつっこみたくなるくらい長いし、何より強そうな診断結果。

解説すると、
・トランスヴェスタイト=自分の性と異なる服を着たい人
・ノンセクシュアル=恋愛感情は抱くが、性的感情は抱かない人
・ヘテロロマンティック=異性に恋愛感情を持つ人

ということらしい。

この診断を受けるまで、私はヘテロ女性として、”フツー”の人間だと思っていた。確かに昔からレディース服よりもメンズ服の方が好きだけれど、それは好みの問題で、LGBTとかセクシャルマイノリティといった言葉とつなげようとも思ったことがなかった。
だって、異性愛者だから。
LGBTって性自認が身体の性別と違う人とか、同性愛者の人の話でしょ?別に気持ちわるいとか思うことはないし、差別しようという気はないけれど……と、どうしても他人事のように考えている自分がいた。

けれど、この診断には服装の好みとか、相手に性的感情を持つかどうかとか、それまでの私が持っていたLGBTのイメージとちょっと違った角度の質問が含まれている。それを見て、私は自分はLGBT当事者なのかもという可能性を考えるようになった。

分類:恋愛をしない人 

ちなみに、この診断でノンセクシュアルという言葉を初めて知って、自分が恋愛してこなかった(できなかった?)理由を冷静に見つめられたのも大きな収穫だった。ノンセクシュアルの人は恋愛感情が希薄な人もいるらしい。

特に女性は友達同士で恋バナをしたり、知り合いのおばちゃんに「彼氏いるの?」と言われたり、恋愛に気持ちを向けていないといけない風潮を感じる。その度になんとかやりすごしていたものの、「こんな私を好きになってくれる人なんているわけないだろ」とか「恋愛できないなんて、なんて魅力のない人間なんだろう」と自分で自分を傷つけるのが常だった。

けれども診断を受けてみて、自分と同じように性的感情を抱かない人がいる、恋愛に人生のウエイトを置いていない人がいるんだと知ることができた。だって、ノンセクシュアルという分類があるということは、一定数そういった人がいるということだから。
「同じような人が他にもいるんだから、恋愛できなくてもいいじゃん」と開き直るようになって、かなり気持ちは楽になった。もちろん、トランスヴェスタイト(メンズファッション好き)の方もさらに進展して、最近は男女問わないデザインの服や雑貨ばかりを買うようになった。
ちょっと前まで「男っぽいものばかり好きだから、恋愛できないのかな」とか悩んでいた自分が馬鹿らしい。たまにははいた方がいいのかもと思って買ったスカートは、もうはかないと思うし、数カ月以内に捨てるだろう。
私みたいに、LGBTやセクシャルマイノリティについて知識がないがために、他人事になっている人は一定数いるだろう。

人を構成する要素でしかない

「メンズ服が好きなのはお前の趣味だし、恋愛できないのはコミュ障なだけだろ」
私の話を読んで、こう思う人もいるだろう。実際、私自身だってそう思っている。けれど、そういった短所を含めて、私を構成している要素だ。私の一部だ。
そう考えれば、男か女か、男が好きか・女が好きか、はたまた恋愛するのか・しないのか、といった事柄も人間を構成する要素でしかない。良いも悪いもましてや差別する要因はない。グリーンが好きか・むらさきが好きか、きのこの山か・たけのこの里か、と同じだと私は思う(後者はよくケンカしているけども…)。

「名前は○○、趣味は■■で、たけのこの里が好きです!」
と、自己紹介でたけのこ派を表明しなくても生活になんら支障がないように、自身の性的嗜好や性自認を公表してもしなくても、なんら生活に支障がないような社会になってほしいと、当事者として心から思っている。

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