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【小説】迷い猫 7

6話 / マガジン / 8話

(7)

 茉莉のスマートフォンに表示された母の名前を見ながら、茉莉は呆然とした。このタイミングでの母からの電話は、何事かを予感させる。横から翔太がスマートフォンを奪い取って電話に出た。

「おかん? 俺、翔太。うん、ちょっとあねと一緒にいるの。どうした?」

 うんうん、といいながら翔太が話す。茉莉はまるで今も手の中にスマートフォンがあるようなポーズのまま、その様子を眺めた。

「え? あー……。ああ、それね。うんっと……ちょっとね、あねに聞かないと分かんないけど。一時的だから大丈夫だよ」

 翔太はこちらを見て口パクで「母は無事」「姉の部屋みて、生き物がいたことがバレたっぽい」と伝えた。

「とりあえず。いまからあねと帰るから。そのあと説明するから。おかんは家から出るなよ!
 なんで? なんででもいいだろ、家にいろよ」

 翔太が電話を終え、ひとまず母が無事なことに三人は安堵した。

「茉莉……、とりあえずとろろを連れて家に帰る?」
「え? 警察は?」
「……とりあえず帰ったほうがよくない?」

 友梨佳が何を言ったか、理解できない。

「本気?」
「……茉莉は怖くないの?」
「怖くないのって……。怖いよ。友梨佳にまで脅迫電話がかかってきた以上、もう、すぐにでも警察に届けるべきだと!
 だいたい、これまでソーシロたちは『猫を返さないなら警察に被害届出す』とか言ってたくせに、ここにきて急に『警察に通報するな』とか言い出すなんておかしいじゃん。
 これって当初は軽い脅しでビビってとろろを返してくるだろうと高を括ってたけど、思い通りにならないから本気出してきたってことでしょ。
 そんなことしてくるなんて明らかに犯罪に関与している証拠じゃん!」
あね……」

 思わず声を上げた茉莉を横から翔太が抑える。友梨佳は首を振った。

「相手が明らかに犯罪組織っぽいから帰ったほうが良いかなと思ったんだよ。 
 大学名も住所も分かってるし、家族に危害を加えるって言ってた。あれ、本気っぽいじゃん。
 このあと茉莉にも連絡が入るようなことも言ってたし、安易に動かないでまずは一度帰ってお母さんの無事を確認しないと」

 友梨佳の横顔を夕陽が照らす。その横で翔太が情けない顔をして立っている。
 茉莉だって母親のことは心配だ。
 昨晩、茉莉の食べなかった筑前煮をタッパーにいれている姿を思い出した。父の亡きあと、一人で家を守ってきた母の後ろ姿は最近ずいぶんと小さく見えることが増えた。

「どこかで見張っているかもしれないよ。とにかく弟くんと一度家に帰りなよ。私も一度家に帰る。その後のことは、それから考えよう。マジで変なやつがいるなら、その場で110番すればいいんだから」
「...…わかった。一度帰る。でも、母の無事がわかったら、そのあと警察に連絡する」
「うん、そうしよう」

 茉莉と友梨佳はどちらともなくとろろの居るキャリーに手をおいた。考えていることは一緒のはずだ、と茉莉は思った。

「でも友梨佳はどうするの? 一人暮らしなんでしょ? それこそ一人じゃ危ないよ」

 友梨佳は少し考えた様子を見せたが、苦笑いしながらこう言った。

「たまには私も実家に帰ろうかな。父が寂しがっててうるさいって兄から連絡あったし...…」
「ではご実家まで送りますよ」

 友梨佳の言葉に被せぎみに翔太が返す。妙に格好つけている。姉としては見ているだけで羞恥心を煽られる。

「ありがとう! 弟くん本当に頼もしいね。名前なんていうの?」
「翔太です!」
「じゃあうちまで送ってもらおうかな。そのあと、お姉ちゃんのこと宜しく頼むよ」
「任せてください。唯一の男子、山本翔太、全力で二人+一匹を護衛いたします」

——みゃあ

 翔太のこっ恥ずかしい演説の横でキャリーからとろろが鳴いた。それを見て茉莉はふと先ほど電話の前に言いかけたことを思い出した。

「翔太、唯一の男子じゃないかも。どうやらとろろ、オスらしいから」
「え? そうなの? 男の子なんだ?」
「そうみたい。最初に保護して帰ってきたとき、知人で詳しい人がいるからいろいろ相談してたら、『男の子かも』って」

 へーといって、翔太と友梨佳はキャリーを覗き込んだ。当のとろろのほうは、勘弁してくれよといった雰囲気でキャリーの中で丸まった。

 三人は夕暮れの道を注意しながら歩き、友梨佳の実家へ無事到着した。「相手から連絡あったら教えて」と言い自宅へ入っていった友梨佳を見送ったあと、翔太と茉莉は再び歩きだした。

「翔太、さっきありがとう。私、お母さんに何かあったのかと思って怖くて電話出られなかった」
「うん、俺も。でも電話出たら、いつもの調子で笑いそうになったよ。『ちょっと、あんたたち居ないからおかしいと思って茉莉の部屋みたら、なにこれ? あんたたち生き物でも飼ってるの? お母さん無理よ!!』とかって一人で怒ってたわ」

 翔太が母親の口調を真似るので茉莉もおかしくなった。

 会話をしながら歩きものの10分程度で茉莉たちも自宅へ着いた。
 先に翔太が自宅へ入り、母親と話をしているのが聞こえる。
 どうやら何の異変もなさそうだ。SMSや電話がなければ、とても脅されているように思えない。
 玄関からひょいっと顔を見せた翔太が、手招きするのに応じて茉莉はキャリーを抱えてそっと自宅へ入った。翔太が母に「猫のことは本当に大丈夫だよ」ともう一度話をしている。

 そのまま何事もなく夕飯時となり、茉莉と翔太はいつものように夕飯を食べた。報道番組は、政治家の失言をメインテーマとして扱っていた。昨日まで扱っていた強盗事件については、一切触れられない。

 状況が変化したのは9時を回った頃だ。再び茉莉の携帯に見知らぬ番号から着信が入った。友梨佳にかかってきたのと同様にボイスチェンジャーを通した歪で途切れ途切れの音声だ。

「ヤマモトマリ さん ユリカさんから 伝言 は 聞きましたか?
 明日9時 立川駅 昨日 待ち合わせしたビル の裏手 に コインロッカー があります そのロッカーに 猫を キャリーごと 入れてください。
 すぐに 我々が 確保するので 心配はいりませんが 猫の飲み水 いれておいてください。
 ロッカー に入れたら 鍵をかけて 封筒にいれてください。
 鍵の 受け渡し場所 は 明日また 連絡をいれます。
 ロッカーに 猫を入れたら この番号に SMSを 送ってください。
 わかりましたか? 」

 茉莉はその連絡に「わかりました」と返事した。ひとまず従っておいたほうが良いと判断したからだ。すると電話は一方的にプツリと切れた。

 茉莉は友梨佳へ電話をして、母も自分たちも無事であったことを伝え、その後脅迫相手からの電話について説明した。

「ロッカーに入れろって言ってるの?」
「うん」
「ありえないね。生き物だよ?」

 友梨佳が電話の向こうで憤っているのが伝わってくる。

「それで、私、考えたんだけど。明日の朝、とろろは翔太に預けて空のキャリーをもって指定場所へ行ったらどうかなと思ってる」
「警察にはその後行くの?」
「うん。猫が返されないとなると、犯人がどんな行動に出るか分からないけど、ひとまずはこちらが従う態度をとれば、猫が返されるまでは何もしてこない気がする」
「なるほど」
「それに、どこかで見張られているとした場合、実際にとろろが居る場所……つまり我が家から犯人たちを離れさせることが出来る。そうして誘き寄せておいて、ロッカーの鍵の受け渡しには行かず、そのまま警察へ駆け込む」
「さすが、茉莉。いい案かも。じゃあ、作戦会議も兼ねて明日ちょっと早めに立川で待ち合わせる?」

 茉莉と友梨佳は翌朝8時に立川駅に待ち合わせすることとして電話を終えた。

 茉莉は自室の窓から外を眺めた。このあたりは静かな住宅街で、夜も10時を過ぎればほとんど人影はない。茉莉は帰宅してから何度か外を見たが、誰かに見張られている様子もない。

 家の場所を知っているというなら……。
 犯人たちの目的はとろろであるのに、こんなまどろっこしいことをする必要があるだろうか。
 犯人たちがあの資産家強盗殺人事件と関連していると仮定して、あのような残忍な行動に出る相手なら、家に襲撃にきて奪えばいいのだ。
 となると答えは一つ。犯人たちは家の場所までは知らないのではないか。

 それに、と茉莉は考えた。今回の件は、凄惨な強盗殺人事件と関連してるにしてはどうもチグハグな感じがする。
 ソーシロからも、SMSからも、さきほどの脅迫電話からも、どこか冗談めいた感じがして危機が迫っている感じがしない。
 茉莉は昔から危機が迫った状況への感覚が鋭いほうだ。それは他人の感情が伝わってくるのと同様に、研ぎ澄まされた本能のようなもので説明はつかわないが、ほとんど当たるので自身の感覚を信じてきた。

 今回の件で茉莉が危機感を覚えたのは、待ち合わせ場所に訪れた自称飼い主の男を見た時だけだった。

 友梨佳にも話したが、茉莉のスマートフォンに届いたあのSMSはソーシロたちとはスタンスが違った。
 そして、友梨佳にかかってきた電話と自分にかかってきた電話の口調の違い。何というか……それぞれ、全くバラバラな人間が動いているような……。

 茉莉はノートに時系列を記載し始めた。

水曜日 16時前後
 イヨンの1階を出た大通り沿いの側溝で、とろろを発見。
 通りかかった友梨佳と救出し自宅へ連れ帰る。
 その夜、ソーシロチャンネルで迷い猫の情報提供動画を見つける。
 ソーシロに連絡をとり、とろろの写真を送る。
 猫の飼い主を名乗る人物から連絡が入る。
 翌日16時に、立川駅で待ち合わせて猫を引き渡すことに同意。

木曜日 10時30分
 友梨佳とともに大学へ行き、友梨佳の友人たちに会う。
 (久美、彩愛、健吾)
 健吾さんにとろろを預けて講義にいく。

同日 15時~16時
 友梨佳とともに立川駅へ移動。
 待ち合わせ場所に現れた人物に不信感⇒逃げる
 友梨佳の従兄弟、利久斗さんに助けてもらい逃げることに成功。

同日 20時
 ソーシロからメッセージ。
 猫を返さなかったことへのクレーム(半ば脅し)

金曜日(本日) 8時
 ソーシロチャンネルで、猫を返さなかった私たちのことを配信される。

同日 13時~14時半
 翔太にとろろを預けて大学へ。
 大学到着とほぼ同時にSMSがくる。
 私が大学に着いたことを監視しているような内容。
 とろろを返せなどの具体的な指示はない(単なる忠告? 目的不明)

同日 17時~18時くらい 
 友梨佳、翔太とともに資産家宅へ。
 警察へ届けることを決めた途端に友梨佳に着信。
 大学名、自宅住所を把握している
 家族などに危害を加えるような内容の脅迫(命令口調)

同日 21時
 私の携帯にも着信(丁寧口調)

 ここまで書いて茉莉はノートを閉じた。これだけまとめてあれば警察で話すときにもスムーズなはずだ。
 明日のために睡眠をとっておこうと考えた。


 翌朝8時、友梨佳との待ち合わせ場所のコーヒーショップへ茉莉は入った。自宅からここまで、これ見よがしに大事そうに抱えてきた空のキャリーケースを大きな袋にいれた。
 とろろは翔太が自宅で保護している。母もパートが休みで自宅へいるようだった。少なくとも午前中は外出しないと言う。
 友梨佳の家族についても茉莉は心配したが「父も兄も柔道黒帯だから大丈夫」と友梨佳は笑った。

 店に到着したことを翔太に伝えると、とろろの写真とともに無事を知らせるレスポンスがあった。

「おはよう。とろろは元気?」

 先に席を確保していた友梨佳が手をあげる。茉莉は翔太からきた写真を見せた。ドリンクを注文すると、二人は流れの確認をした。

「9時になったら、一昨日ソーシロの知人とかいう人物……例の自称飼い主の人……と待ち合わせしたビルの裏にあるロッカーに入れに行く。事前にマップのビューで場所は確認しておいた」
「うん。ロッカーにキャリーを入れたら連絡するんだね?」
「そう、昨日私にかかってきた電話の番号にSMSを送る」
「オッケー。送ったら?」
「ロッカーの鍵について受け渡し方法の指示が来るはずだから、それが来たらそのまま交番に行く」

 駅前なので交番はものの五分もかからない位置にあることが分かった。友梨佳も事前に確認したようで頷いた。

 茉莉は昨晩書いたノートをリュックから取り出した。

「私、ずっと違和感があってさ」
「違和感?」
「この件に関わっている人、みんななんとなく統一感がないというか……。
 昨晩の電話にしても友梨佳と私のところにかけてきた人は別人な感じがする。同じくボイスチェンジャーにかけたみたいな歪な音声ではあるけど、口調が全然違ったんだよね。友梨佳のときは命令口調だったでしょ。私のほうにかかってきたのは丁寧口調」
「なるほどね」
「それで、時系列をまとめてみたんだけどさ。犯人の目的がとろろだとして、こんなまどろっこしいことする必要ある?
 大学名を知っていて、私が大学に到着したことまで把握していて、家の場所も知ってるならさっさと奪い返しに来る気がする。
 それをしないのは、実は自宅の住所は把握できていないのと、関わっている人がみんなバラバラで本当の目的を知らないのかな、とか」
「つまり、みんな闇バイトだから……?」

 友梨佳が声を落とし核心を突く。茉莉は頷く。
 昨日、あの資産家の家の前でとろろが鳴いたときから、強盗事件の犯人が報道の通りだとすれば、関わっているのは皆、集められたバイトなのではないか、と考えていた。

「引っ掛かるのは、茉莉が大学へ着いたタイミングで送ってきたSMSだね。自宅の場所が分かっていなさそうなら、GPSはないでしょ?」
「そうなんだよね……」
「学内にも闇バイトが?」
「うーん……でも、私の顔まではソーシロには知られていないはずだし、あの自称飼い主の男だって写真を撮るような余裕はなかったはず……」
「じゃあ顔見知りの誰かってことになるね」

 茉莉は言葉を止めて友梨佳を見つめた。
 内心考えていたことを友梨佳が突いてきたからだ。

「だって、それしか考えられないよね。茉莉のことを知ってて、猫を保護していることも知ってる人なんて」

 そうだ。その通りだ。しかも……。茉莉はその先を言い淀んだ。

「しかもレアキャラな茉莉の顔を知ってるって、限られてくるよね。
 だって、ゼミのときくらいしか顔見たことなかったもん。
 普通、同じ学部でゼミも一緒ならもうちょっと顔合わせるじゃん。
 ランチタイムとかどうしているのか疑問だったよ。
 あのトイレで見かけるまで」

 友梨佳はニコッと意味ありげに笑った。
 茉莉はついにこの時が来た、と感じた。どこかで友梨佳とはこの話をすることになるだろう、と予感していたのだ。

「引いたよね?」

 そう言うと茉莉は手元のアイスコーヒーに視線を落とした。トイレで食事してるやつなんて理解しようったって出来ないだろう。

「うーん……。まぁ最初ちょっとビックリはしたけど、そういう人もいるのかって思ったわ。
 なんかあの日は特別な日だったな。茉莉の秘密を知ってしまったし、そのあと講義とかサボらなそうな茉莉がサボってるのまで見かけて」
「……」
「まぁ私もあの日はサボってたんだけどさ。時々さ、サボりたくなるんだよね。
 なんか人の感情の波で疲れちゃうっていうかさ、一人になりたくなるの。
 前から思ってたけど、茉莉もわりと相手の気持ちが伝わってきちゃうタイプでしょ?
 共感性が高いと言えば良さげだけど、本人たちは疲れるよね?」

 茉莉は再び友梨佳を見る。
 そういうことか、とどこか腑に落ちる感じがじわじわと身体を占めつくしていく。
 友梨佳が茉莉の行動にそこまで驚いたり引いたりしないのも、茉莉に友梨佳の感情があまり伝播してこないのも、それは友梨佳も茉莉と同様の性質を持つタイプだと言われればしっくりくる。
 相手の感情が伝わってくるから、相手の言動にどこか冷静でいるし、自分の感情を周囲に出さない術も知っている。

「それにしても茉莉の調査能力の高さには恐れ入ったよ。その日に飼い主見つけたのもすごいと思ったけど、その人たちが怪しいって瞬時に見抜いて、小さな手掛かりから真相に近づくなんて。もともと地頭良さそうなイメージあったけど、なんか……そういう仕事に就職できるんじゃない?」

 友梨佳が名案とばかりに話すのを見て茉莉は思わず笑った。

「そういう仕事ってなに?」

 その茉莉を見て、友梨佳も笑った。そして腕時計を見ると、茉莉の覚悟を確認するかのように再び目を合わせた。

「9時になるね」

 友梨佳の一言が合図のように、二人は店を出ると指定の場所へ向かった。

(つづく)

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