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【小説】迷い猫 6

5話 / マガジン / 7話

(6)

 13時に自宅へ戻った翔太に、とろろの世話に関する説明をして、茉莉は家を出た。

 三限が終わる頃に大学で友梨佳と話をするつもりだった。警察に届を出すにあたって、その後のことを相談したいと考えていた。

「部屋の扉閉めるの絶対忘れないでね。なんかあったら連絡して」
「うぇい」

 翔太は手を振った。軽すぎて少々頼りないが、この状況でとろろを外に連れ歩くよりはマシだろうと考えた。午後はずっとオンラインゲームをするので自宅にいるという。

 とろろを弟に預けてきたので、自転車で大学に向かった。いつもそうしていたはずなのに、猫がいない自分がとても身軽すぎて不思議な感じがする。通い慣れた道路をいつもより心持ちゆっくりと自転車を走らせた茉莉は、キャンパスの駐輪場でスマートフォンが振動していることに気がついた。
 確認すると早速翔太からのメッセージだった。

〔とろろが藤代巧のアクスタで遊んでるけど大丈夫?〕

 茉莉は慌てて翔太に電話し対処を頼んだ。

 とろろの届きそうな範囲からは関連グッズも含め、触ったら危ないものはあらかた片づけたはずなのに……。アクスタは確か棚の一番上に並べてたはずだ。
 茉莉は思わずため息をついた。元気になった証拠と言えばその通りだが、あんな高いところまで行けるとは猫の身体能力のすごさを改めて感じる。

 ようやく学食に向かい歩きはじめるとと再びスマートフォンが振動した。
 また翔太から? と思いスマートフォンを取り出すと、今度は見知らぬ番号からのSMSだった。
 なんだろう? と思いながらメッセージを開いた茉莉は、画面を見て硬直した。

〔こんにちは。マリさん。ソーシロさんの動画を見て貴女のことを知りました。今は大学へ来ているんですね?〕

 思わず周囲をみた。大学生らしき若者が数名いるが、顔を知る人はいない。どこかで誰かが私を見ている……? それともGPS?
 いやまさか……。昨日、立川であの自称飼い主の人物と会って以降、見知らぬ人物とは誰とも接近していない。GPSなんて付けられようがない。
 何より電話番号や名前まで、ソーシロの動画では晒されていなかったはずだ……。そもそも携帯番号自体は、ソーシロにも伝えていない。もっともソーシロが自称飼い主から携帯番号を聞いている可能性はかなり高いが……。

 茉莉の内心をあざ笑うかのように、続いてSMSが届いた。

〔横取りはよくないと思いますよ。親切心からの忠告です〕

 スマートフォンの画面が揺れ、茉莉は自身の手が小刻みに震えていることに気がついた。
 もう片方の手で手の甲を包み込み、スマートフォンをポケットにしまうと今度は周囲を一切見ることなく歩き出した。

 テラス席に行くと、今日はまだ誰も集まっていなかった。ここで友梨佳を待とうかと考えたその時、後ろから肩を叩かれた。思わず飛び上がるように振り返るとそこには彩愛が来ていた。

「茉莉ちゃん! 来てくれて嬉しいよ」

 SMSに動揺して怖い顔をした茉莉に向かいから甘い香りが漂う。

「彩愛さん……」
「さんって。うちら同期だから呼び捨てとかでいいよ。茉莉ちゃん、苗字山本っていうの?」

 苗字を言い当てられたことに驚く茉莉に彩愛はリュックのキーホルダーを指差した。
 なるほど、と茉莉は思った。これはカスタマイズグッズだったので「M.YAMAMOTO」と名前が刻印されている。

「じゃあ〝ヤマリ〟って呼ぼうかな。いい?」

 友梨佳と同じテンションで彩愛は呼び名の壁を越えてきた。茉莉は苦笑しながら頷く。

「もうすぐ皆くると思うよ。そういえば、猫ちゃんは無事返せた?」

 とろろの話になって、茉莉は内心動揺した。猫は事情があって返せなかったと説明する。そこへ三限が終わった友梨佳と久美が現れた。

「茉莉、その後ソーシロからなにか連絡あった?」
「え、ソーシロってなに?」

 友梨佳の問いに横から久美が訊ねる。

「知人が猫を探してます、って動画だしてた配信者。
 その配信者が間に入って、猫の飼い主って人とやりとりしてたんだけど、実際に返しに行ったら、とても飼い主っぽくない奴が現れたから返さずにいったん帰ってきたの」
「え? どんな?」
「年齢はうちらと同じくらいなんだけど、急に態度を豹変させて、動物用のキャリー投げつけたりしてた」
「え、やば」
「そしたらソーシロって配信者が茉莉のところにすぐ猫を返せってメッセージ送ってきて、それだけじゃなくて今朝こんな動画アップされたの」

 友梨佳がスマートフォンの画面を見せた。今朝のソーシロの配信はアーカイブで残り続けていた。横から久美と彩愛が覗き込む。

「こわ……。それで?」

 二人は茉莉のほうを見る。
 茉莉は躊躇した。さらに別の不審なメッセージが来ている中、誰が耳にしているか分からないこの場で詳しいことを言っていいものか判断がつかない。

「ソーシロからは何も……」

 茉莉はそれ以上のことを口に出来なかった。茉莉が無言になってしまったのを、二人は「怖いよね」といって共感を示す。そこへ「おっす」と健吾が現れた。

「あれ? なになに? どうしたの?」
「猫ちゃん返そうと思ったけど、返せなかったんだって」

 彩愛がさきほど友梨佳が話した内容を健吾に伝える。

 皆が話すことを聞きながら茉莉はもう一度先ほどのSMSの内容を反芻する。よく考えるとソーシロのメッセージと今回のSMS。なんとなく違和感がある。

「警察、一緒にいくよ」

 話の区切りで友梨佳が茉莉に向かって言うと、横から久美が同意した。

「うん、友梨佳についてきてもらったほうが良いよ。山本さんだけじゃ、手に負えないかもしれないし」

 久美が自然に放った一言が、茉莉をざらっと撫でる。
 だがすぐに、それが久美の今のトレンドなのだ、と茉莉は思った。
 大学でも皆の中心にいる友梨佳をある意味信奉している。そしてそんな友梨佳と共にいる自分が心地良い。その他のことはあまり頓着しない。
 あの時だって、イメージする自分の姿のこと以外は何も考えていなそうだった。〝想定外〟の私の反発を聞くまで。
 そしてそんなことがあったことも、すでに久美の中では過去のことだ。

「手に負えないようなことが起きるなら別に私が居たとこで、どうにもならないよ。
 茉莉、一度家に帰ってとろろも連れて警察いくんでしょ?」

 友梨佳の言葉に茉莉は頷く。友梨佳が来てくれるなら、警察での話のことも、先ほどの不審なSMSのことも、まとめて後で話そうと考えた。

 友梨佳はもう受ける授業はないという。二人はとりあえず茉莉の自宅に行くことにした。

「おつかれ」
「ヤマリ、またね」

 久美と彩愛が手を振る。

 自転車を押しながら二人は警察に届けた後のことを話した。

「実は皆の前では言いづらかったけど、さっき大学着いた時、脅しみたいな変なSMSが来た」
「え?」

 茉莉は友梨佳にそのままスマートフォンの画面上に表示したメッセージを見せた。

「『今は大学に来ているんですね』って書いてあるじゃん! え、なに、学内にいるわけ?」
「周囲には変な人はいなかったけどね……。GPSかとも思ったけど、そんなの付けられる余地はないはずなんだけど……。ともかく気味が悪いし、これも警察に相談してみてもいいのかも」
「うん、そうしよう」

 友梨佳は強張った表情で同意した。その様子を見て茉莉は頭をかすめた違和感について続ける。

「なんか、このメールはソーシロや自称飼い主と関係ない人のような気もする」
「なんで?」
「『猫を返せ』と言ってない。ソーシロも自称飼い主も猫を返してもらうことを目的としてる。けど、このSMSの送り主は、単に忠告だけ」
「確かにそうだけど……」
「何が目的か分からない内容にも拘らず、私の場所を把握してることを示唆してる」

 丁度そこで茉莉の自宅に着いた。二人はいったん会話を中断した。

「ただいま」

 茉莉は静かに玄関の扉を開けた。母はパートに出ていて不在だ。そのまま二階の自室へ上がる。
 扉をあけると、とろろは静かに丸まっていた。二人は安堵の息をつく。
 友梨佳はとろろの近くに寄り様子を眺め微笑んだ。とろろの不思議な癒しを友梨佳も感じるようだ。
 緑色のタグを静かに触る。

「タグの番号、確かに変だね」
「それ見てとろろが何かの事件に巻き込まれているような気がして調べちゃって……。そしたら、もしかしたらって事があって」

 茉莉は順を追って資産家強盗殺人事件でも猫が失踪しており、その特徴がとろろと似ていることを友梨佳に話した。
 友梨佳は初めはにわかには受け入れ難い表情をして聞いていたが、猫が同じ三毛猫であったことを知るとこう言った。

「今から、とろろを連れて行ってみない?」
「え? どこへ?」
「事件現場」

 それは、茉莉も一瞬考えたことだった。近くに行ったら、とろろは何か反応を示すのではないか。そう思いながら一方でこの状況で無闇に外に出ることは危険を伴うのではとも思う。

「それ、俺も賛成っす」

 二の句が継げない茉莉に代わって後ろから翔太が入ってきた。

「気になるなら、行ってみたほうが早いと思う。多分ここからそんな遠くないし。俺、一応護衛します」
「えー、弟くん頼もしいじゃん」

 友梨佳が褒めるのをまんざらでもない表情で翔太が頷く。

 三人は早速事件現場の住所を調べてみることにした。土地勘があることもあり、ネットや報道による情報でおおよその位置は簡単に絞り込めた。
 茉莉の自宅から北西に2キロ。歩いていくには少々距離があった。

「利久斗呼べないかな」

 そんなにあっさりと呼び出される利久斗さんは、いったい普段何をしている人なのだろうと茉莉がシンプルに疑問に思うのとほぼ同時に友梨佳は電話をかけ始めた。

 利久斗と電話がつながったらしい友梨佳はそのまま部屋の外で話をしていたが、しばらくして戻ってきた。

「さすがに無理って言われた。どうする。とりあえず歩きで向かってみる?」

 茉莉と翔太が同意し、三人はとろろをキャリーに入れると早速自宅を出た。
 ソーシロの配信と不審なSMSのこともあり、周囲を伺いながら慎重に歩きだしたものの、全てが嘘のように何ら変わりのない地元の日常に、次第にただの散歩のように空気が弛緩してくる。

 友梨佳はぽつりぽつりと高校時代の話を懐かしそうにし始めた。「あの時、誰それがふざけて先生にガチギレされた」とか「県大会に出たあの子はいま何々してるらしい」とかそんなありふれた話題だ。

 友梨佳の中では高校時代はキラキラと輝く水面みなもみたいなものかもしれないと茉莉は思った。水中の闇は潜ってみなければ分からない。そして潜ったら二度と水面に浮かび上がれない恐怖さえも潜っていない者には分からない。

 だが一方で、茉莉の中では同じカーストにいると思っていた友梨佳と久美の違いを朧げに感じ始めていた。クラスの中心にいるようなタイプなのは同じだが、言うなれば物事に対するスタンスが違う。
 友梨佳は自分の芯を持ち良くも悪くもあまりブレはない。
 〝あの事件〟のとき、友梨佳が同じクラスにいたら、どうしただろうか、とぼんやりと茉莉は考える。

「場所、だいたいこの辺だな」

 翔太がマップを見ながらそう言う。ここまできたらあとは、しらみ潰しにぐるぐる歩き回るしかない。
 とりあえずこの路地から歩いてみるか、そのような計画を立て三人は覚悟を決めて歩き出したが、覚悟は杞憂となりものの五分で目的地についた。

「あれだ」

 翔太の呟きに対して茉莉と友梨佳がその方角を見る。考えてみれば当たり前だ。資産家と言われるだけあり、そもそも家が大きい。それに加えて、まだ捜査中とあり警視庁の規制線が張られていたので一目で分かった。

 しばし、無言でその家を見つめた。ここであの凄惨な強盗殺人事件が起きたのかと思うと身震いがする。

 ガタっと茉莉の持つキャリーが揺れた。思わず中を覗くと、とろろが落ち着きのない動きでキャリーの中でジタバタしているのだった。
 三人は顔を見合わせた。

——みゃあみゃあ

 なおも、とろろは動きまわり鳴いた。何かを訴えるように。

 友梨佳と翔太が呟いた。

「茉莉……。正解だよ」
「ここ、きっととろろの家なんだ……」

 茉莉は言葉を紡げなかった。今までに見たことのないとろろの動きに驚いたのもあるが、突拍子もない自分の思いつきが、いま目の前で現実のものとして認識できた。そういった感慨が茉莉の感情を刺激していた。
 柄にもなく目頭が熱くなるのを必死に堪える。

「……警察にいこう」

 ようやく茉莉が口にした言葉に、二人も同意する。近くの警察署の場所を翔太が所在地をマップで調べ始める。

「とろろ、護ってあげるから大丈夫だよ」

 友梨佳が優しく声をかける。とろろはジタバタしていた動きを少し落ち着かせたが、その瞳はじっと規制線の先を見つめていた。

「それにしても、とろろはお嬢様だったんだね」

 友梨佳が再びとろろに声をかける。それを聞いて茉莉はふと思い出した。

「あ、それだけど……どうやらとろろは……」
「あ、ごめん、電話だ」

 ♪チャンチャララン、チャララン、茉莉が発しかけた言葉を遮るように、友梨佳のスマートフォンが鳴った。

「はいはーい」

 軽快なノリで電話に出た友梨佳の表情が次第に曇る。僅かに漏れ聞こえる音に茉莉と翔太も表情を硬くした。友梨佳は電話をスピーカーモードにした。
 ボイスチェンジャーにでもかけられたように歪で途切れ途切れな音が聞こえる。

「オダユリカ おまえの大学名 も 自宅の住所 も すべて 我々は 把握している。
 ヤマモトマリ が 連れ去った猫 それを直ちに 飼い主に 返すよう 説得しろ。
 返却場所は 追って ヤマモトマリ に連絡する。
 必ず 来ること。
 警察には 言わな。
 これを 脅しだと 思うな。
 従わなければ 危害を加えることも 辞さない。
 繰り返すが 警察には通報するな。
 守らなければ おまえたち だけでなく 家族たちも どうなっても文句は言えない」

 電話は一方的に切れた。

 友梨佳は茉莉を見つめた。一方の茉莉も友梨佳を見つめた。
 事態を脳内が処理しきれない中、何とか言葉を発しようとした次の瞬間、再びスマートフォンが鳴り響いた。

 今度は茉莉のほうだった。

 慌ててみたその画面には、茉莉の母の名前が表示されていた。

(つづく)

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