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【小説】迷い猫 5

4話 / マガジン / 6話

(5)

 茉莉は6桁の数字を見つめた。
 何故、最初にこの違和感に気付かなかったのだろう。普通、自分の飼い猫に数字などつけるだろうか。
 これは何かを指し示す番号に違いない。

 ヒントがあまりにも少ない中、とりあえず茉莉はその6桁の数字を検索してみた。世の中の様々な商品番号などがヒットし、もちろん何の参考にもならない。
 続いて「猫 103568」と検索してみる。こちらもペット用品などがヒットした。

「そんなにうまくはいかないか」

 茉莉は友梨佳に連絡をした。
 動画配信者からきたメッセージを転送すると、友梨佳からすぐに電話がかかってきた。

「やばくない?」

 警察に通報する、の部分を友梨佳は不安がっている。いつもの少々強引でポジティブな友梨佳らしからぬ様子が電話越しに伝わる。

「明日、病院のあと警察にも届けようとは思ってた」
「いや、そういうことじゃなくて。あんな男でも本当の飼い主の可能性もゼロではないじゃない? あんまり考えたくないけど、虐待するために動物を飼う人だっているって聞いたことあるし。
 相手が本当の飼い主だった場合、確かにうちらの行動は窃盗か何かにあたるんじゃない?」

 茉莉は押し黙った。
 相手が主張するところの「所有権」を実際に有しているとしたら、自分たちの行動は何らかの罪に問われるのかもしれない。
 動物を虐待するために飼育しているといった話も聞いたことがある。目の前にいるとろろがそのような目に遭っていたら、と考えるだけでおぞましさが身体を駆け抜ける。

「友梨佳の言ってることは分かるよ。でも、とろろについてた緑のタグ、よく見たら6桁の数字が印字されているの」
「……6桁の数字? なにそれ?」
「ヘンだと思わない? 飼い猫に名前じゃなくて数字なんてつける? 携帯番号なら11桁だし」
「……確かに」

 とろろが何かに巻き込まれている気配を感じ取りながら、理由も分からずあの粗暴な相手に返すことは出来ないところまで茉莉はきてしまっていた。
 数秒、お互いに沈黙した。
 その後、声を発したのは友梨佳のほうだった。

「わかった。でもさ、無茶しないでね」

 友梨佳と電話を切ったあと、茉莉は翔太の部屋をノックした。首輪のタグに番号があることを見つけたと伝えると、翔太も覗きにきて眉間に皺を寄せた。

「この番号だけじゃ分からねーな。うーん。
 なんかネットオークションとか? いずれにしても商品番号っぽいよな」
「オークションって……売られてた猫ってこと?」
「もしくは普通のペットショップとかじゃない正規外のルートとか?」

 正規外のルート……。何にしても人間のエゴしか感じられない。
 茉莉はとろろを起こさないようにそっと手を置いた。

「友梨佳は、あの粗暴な人が本当の飼い主で虐待とかしてる可能性もあるんじゃないかと言ってた」
「姉に久々に出来たお友達の友梨佳さんね」
「うるさいな……」
「虐待されてるように見えないけどなぁ。人に懐いてるし」
「だと……いいけど」
「まぁ、なんか気づいたら教えてやるよ」

 相変わらず口だけぶらっきぼうな翔太が自室に戻ると部屋の中には再び静寂が拡がった。

 違法な飼育環境のブリーダーがいるという報道を見たことがあった。ああいうブリーダーはどこへ動物を流すのだろう。虐待にしろ違法にしろ、いつも犠牲になるのは動物のほうだ。
 茉莉の生活にほとんど関わってこなかった卑劣な実態が目の前にあるように思えてならない。

 確かに翔太の言うように、とろろの醸し出す穏やかさは、虐待や違法行為と無縁のように思える。茉莉にとってとろろとの二日間は日々の〝心のささくれ〟が気にならなくなるような不思議な実感があった。生き物がここまで自分を癒してくれると思っていなかった。

 茉莉には些細なきっかけで古い記憶がフラッシュバックするような感覚がしばしばやってくる。〝心のささくれ〟のようなそれは、茉莉においては付き合っていかなければならない自らの習性のようなものだ。
 昼間、高校の同級生でもある久美に久しぶりに会った時もフラッシュバックが起きた。

——友達だと思ってたのに、そんなこと言うんだね?

 自分が他人の感情を人よりも受けやすい性質だと気づいてから、茉莉は人との関わりに一定の距離を保つようにしてきた。誰かと深く関わればそれは必然的に〝解って〟しまうのだから、他人との関係性を緩くしていれば、知らないふりをして生きることが出来る。

 だがそれでも、感情は止めようもなく動くし、世界は茉莉の感性を刺激する。心は感動や喜び、面白さを渇望するし、そういったものが一切ない世界で生きていくことは出来ない。

 だから茉莉が俳優である藤代巧の活動を追いかけることに没頭したのも自然な流れだった。もちろん、茉莉はいわゆる〝隠れオタク〟で、表にそのことをあまり出さずにいたのだが、ちょっとしたグッズをスクールバッグに付けたりすることはあった。

 高校のクラスである日、久美が話しかけてきたことがあった。

「山本さん、それ、藤代巧? 好きなの?」

 久美は、上映中の映画をたまたま見たらしく「演技力あるしカッコいいよね」と続けた。それ以来、たまに藤代巧の話で声をかけられるようになった。

 茉莉も自分の好きな俳優の話題は楽しく、当初は声をかけられれば喜んで応じていたし、自分からも話しかけることもあったが、次第に違和感を覚えるようになった。
 久美は藤代が好きというより、藤代の話題を口実に自分に声をかけることを目的としているニュアンスがあった。話しかけられて応じても、それ以上話題の展開はない。天気の話題でも話しているようだった。
 もちろん一言に好きといっても、深さや感度は人それぞれだが、ドラマや映画の感想を嬉々として話す茉莉を見て、彼女が少し引いたように嗤うことさえもあった。
 もっとも久美は上手に話をしていた。茉莉で無ければこの違和感に気がつかなかったかもしれない。

 共通の話題が出来る友人が欲しいのかとも考えたが、茉莉に話しかけたりしなくても、久美はクラスの中で比較的輪の中心にいるタイプであったし友人も多くいた。

 何を目的として自分に話しかけてくるのかよく分からないまま、茉莉は心の距離を少し取りながら、かといって無下にも出来ず声をかけられれば応じるようになっていった。

 ある日、クラスでの他愛もない会話の中で彼女が言い出した。

「私、最近観劇が趣味で、たまに舞台とか観にいってるんだ」
「え、そうなの」
「推しの俳優がいるの。藤代巧。知ってる?」
「あーなんかたまに見かけるかも」
「これから売れる実力派だと思うよ。山本さんと推し友なんだ。ね?」

 急に自分に向けられた目線に、茉莉は少し動揺した。
 突然そのような話を始めた経緯も理解出来なかったし、彼女が藤代の舞台を観に行ったことがあるのは初耳だった。
 彼女は茉莉と自分がいつも共に映画に行ったりイベントへも行ったりしていると言い出した。舞台どころか映画ですら一度も行ったことなどなかった。誘ったこともあったが彼女はのらりくらりと躱すだけだったのだ。

 なので、茉莉は思わず言ってしまった。

「いや、でも。一緒には一度も行ったことはないよね?」

 その瞬間教室内がシンとした。
 茉莉の背中にじわっと汗がつたう。
 あ、ミスったな。
 そう察したときには、無言のまま茉莉を見る久美の視線は侮蔑に満ちていた。

——友達だと思ってたのに、そんなこと言うんだね?

 帰り際、下駄箱でそう言われた。
 後から気がついたことだが、久美は単に観劇などを趣味とする自分を周囲に見せたかっただけで、茉莉にはその話にうまく合わせてくれる役回りを期待していたのだ。

 それ以来、教室の中にいるのが苦痛になってきた。
 茉莉のことはおそらく裏であれこれ言われているのだろう。「映画もイベントも一緒に行ったのに、行ってないことにされた」そんな話が流れている空気が茉莉の周囲を濃く支配した。
 昼休みが特に苦痛で、一緒に弁当を食べていた友人たちもいつの間にか離れていった。

 昼ごはんを一緒に食べる友人がいない。
 周囲が同情か憐れみか何らかの感情で茉莉を観察していることが分かる。誰も直接、あの出来事は本当はどっちが正しかったのかなどと確認しない。

 友梨佳はクラスが違ったが、久美とはあの頃から親しかったはずだ。

 

 すやすやと眠っていたとろろが、少し動いた。意識を現実へ戻した茉莉は再びスマートフォンを手に取った。

 「違法 ブリーダー」と検索をした。とろろのことは明日警察に相談にいくのが一番のように茉莉は思い始めていた。だが、何かをしていないと気が落ち着かないのだ。

 保護猫や虐待された猫を支援している活動家のブログを発見した。飼い始めたものの様々な事情で飼えなくなったり、病気になって手に負えなくなって手放したりというケースもあるようだった。
 中には、こんなにお金がかかると思っていなかった、といって棄てる人もいるようだ。いずれにしても無責任すぎる。

 活動家のブログを読み進めていると、保護団体を偽装した悪質業者がいるとの記事に行きついた。崇高なる目的をもって動物を保護しているように見せかけて実態は寄付金を目的としており、動物はその〝消費される商品〟という位置づけで、譲り受けられた動物たちを過密飼育し、不衛生な状態で死なせてしまったりなどの事例もあると思う。

——ペットオークション会場での売れ残りや強盗や窃盗などで不正に入手した安価な犬猫たちを、善良な人の心へ訴えかけアピールし、無知な人々から会費や寄付金として搾取する

 強盗……と茉莉は考えた。強盗で生き物が盗られることもあるのか。

 ふいに、立川駅へ向かう途中の電車内で観たニュースの動画を思い出した。

——ご主人が亡くなってからはお独りだったんじゃないかしら。最近は猫ちゃんがいたはずだったけど……。可哀相ねあの猫何処へ行ったのかしら。

 猫、失踪、八王子での事件……。
 まさか……。いや、何を考えているんだ。
 茉莉は首を振った。
 否定する気持ちと裏腹に、手はまたくだんの強盗殺人を検索し始めた。様々な情報があふれる中で、ある記事に茉莉の眼は吸いつけられた。
 資産家の老婦人の家に出入りしていたデイサービスの担当者だという。

——被害者である遠藤いとさん宅に訪問介護で出入りしていた優子さん(仮名)は「本当に、犯人が許せません」と唇を震わせる。

 いつも気品がありとても穏やかな方で、私たちにも優しく接してくださいました。ご主人が亡くなられてからお独りでしたが、あの御歳の方にしてはしゃんとしてお元気でした。
 あんな優しい方を何度も痛めつけるように殴ったと聞いてとても許すことができません(優子さん)

 猫がお好きで「身内がいないから寂しいのよ」といって猫ちゃんを飼われてました。亡くなる直前も可愛い猫を飼ってらして……。ご親族の方に聞いたら、その猫も居なくなってしまったとのことで心配しています。
 白の範囲が多いんですけど三毛猫になるようで、「このちょっと貴重らしいのよ」と笑っておられました(優子さん)

 白の範囲が多い三毛猫……。
 またも目の前のとろろと符合することが見つけ出されてしまった。偶然にしては出来すぎているのではないか。

 茉莉はブラウザを閉じた。これ以上、この事件を追いかけて一体何になるのだろう、と考えた。何より昨夜に続き疲労がマックスとなっていた。そのまま横になるといつの間にか眠りに落ちた。


 翌朝、友梨佳からの電話で目を覚ました。

「茉莉、みた?」
「え、なに?」
「ソーシロ動画! うちらのこと配信してる!」

 茉莉は電話を切ると、すぐさまソーシロのチャンネルにアクセスした。
 すると「窃盗? 横領?『拾ったから私たちのもの』という呆れた理屈で、飼い猫を奪われてしまった話」というタイトルで、朝からソーシロが生配信をしていた。

〔先日、このチャンネルで皆さんに情報提供を求めた知人の飼い猫について、由々しき事態になっているので、どうか皆さんに助けてほしいと思いこの動画を配信しています〕

 視聴している間にもどんどん視聴数のカウントが上がっていく。

〔保護してくれた方が見つかって喜んだのもつかの間!
 翌日、飼い主の知人が待ち合わせ場所にいったのに、その女子大生たちは猫を持ってその場から逃走したというのです。理解できない事態に知人は困惑し、私に助けを求めてきました。
 私はすぐさまその女子大生に連絡を取りました。
 すると! 驚きの返答が返ってきたのです!
『あなたの知人が飼い主だと証明するものはありますか?』
 信じられますか?
 まるで、『拾った私たちのもの』だと言わんばかりのこの言い草。
 はっきり言いますが、これはれっきとした所有権の侵害で場合によっては損害賠償を求める所存です〕

 ソーシロはそのあとも、茉莉や友梨佳の特徴などを配信していた。メールアドレスまでは晒されていなかったが、近隣の女子大学生であることや二人組のことなどを捲し立てる勢いで語っている。

〔最後に!
 女子大生たち! この動画をみて少しでも罪悪感を感じるなら早急に僕に連絡をしてきてください。
 素直に謝れば今ならまだ知人は許すと言っています。いやぁ優しすぎますよね?
 
 動画視聴の皆さん、僕たちは本件に懸賞金をかけることにしました。
 いま写真の出ている特徴の猫を連れた女子大生を見つけたら連絡を欲しいです!
 どうかお願いいたします!〕

 ソーシロはその後も同じ内容を繰り返し配信していた。
 茉莉は妙に冷静な心境でそれを見つめた。相手が大暴れすればするほど、違和感しか募らなかった。友梨佳へコールバックした。

「観たよ。やっぱりとろろのことは警察に相談してみようと思う。届が出ているか調べてもらう。本当にあの人が飼い主で届が出てれば分かるはず」
「大丈夫かな……?」
「……友梨佳、今日授業は?」
「三限あるからいくよ」
「私は授業がないんだけど……。弟がとろろのこと見れそうっていうから、その……直接話できないかな……? 警察に届ける前にちょっと相談したいことがあるんだ。テラス席いってもいい?」

 通話がしばし無音になった。おそらく友梨佳は茉莉が自ら会いに来ることを驚いているのだろうと茉莉は思った。
 それは何より茉莉自身が驚いている。
 ソーシロの動画配信を観なければ、こんな強い気持ちを自覚することもなかっただろう。
 今、最優先するべきはこのが不幸な目に遭わないようにすることで、そのために友梨佳の協力が必要だと考えた。

 お目覚めのとろろは、ごはんはまだかといった感じでこちらを見上げる。

「いまご飯あげるね。とろろのことは絶対護るよ」

(つづく)

4話 / マガジン / 6話

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