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〜偶然を飼いならす〜
Bonsoir !!
今日は僕が個人的に研究しているブリコラージュについて少し触れながら書かせていただきたいと思います。
実際に僕がこの「ブリコラージュ」という考えと出会ってから自分の人生の価値観や世の中への見方が大きく変化しました。
そしてブリコージュを話す上で絶対に欠かせない言葉の一つが
『偶然を飼いならす』
なにかぼやけたような漠然とした言葉ではありますが、実はすごく深みがあり、僕自身がレヴィ=ストロースの影響を受けてから自身の考えも交えながら提唱しているブリコラージュの定義には必要不可欠です。
そして僕のバイブルにもなっている『野生の思考』 ~La Pensée Sauvage~
偶然とは?
「偶然の定義は何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。」
必然とは?
「必ずそうなること。それよりほかになりようのないこと。」
辞書を引けばそれぞれの言葉の意味がこれらのように定義づけされます。
『偶然と必然』についての議論はそれの『有る無し』へと移り、やがては『信じる信じない』へと発展していきます。
そして議論の中で必ずしてはいけないのが『偶然など存在しない、必然など存在しない討論』何故なら『偶然と必然』は、どちらも存在するから。
また世の中の全てがこのどちらかにカテゴライズされるとして偶然をはたして全て運とすることができるのでしょうか。
僕は運や運命という言葉を使わず『偶然の必然』という言葉にしている。
『偶然〜』とは偶発的に起こることなので予想やロジックで判断をして、学術的ににロジックだてて説明することは非常に難しい。
そんな曖昧な感覚であるので明確な定義をお伝えするのは難しいですが
その感覚やフィーリングについては説明することができます。
例をあげると
・なにげなく散歩をしているときに発見した面白いカフェやバー。
・小さなレストランで相席になった人と話をしてそこから友達になる。
・意図的に計画を立てたわけでもないのに、どこかで決まっていたような気もする。
・忘れ物を取りに帰って、そのときに偶然見た綺麗な夕焼け。
・たまたまだけれど説得力のある成り行き。狙ったわけではないけれどハマった落とし所。
・そのときは分からなかったけれど、振り返ってみると感じる必要性。
・書店をぶらぶらしていた際にたまたま出会った人生を変えるような書籍
偶然のなかの出会いや偶発的な運動のそのさきに計算された必然は実は存在する。
それがいわゆる、『偶然の必然』です。
運の世界というのは制御不能で、
思い通りに進まないことの方が多い。
人との縁、出会い、運命これらは『偶然』です。
ただそれをそのあとコントロールし制御することによってそれを『必然化』とします。
つまり偶然を飼い慣らしそれを楽しんでさえいるブリコラージュの真髄とはそういうことでそのときにあるものや偶然見つけたものをつなげ、くっつけて、クリエイティブにアプローチをかけます。
最初の偶然と必然の定義に付随する情報になりますが『偶然』には誰の感情も意思もない事象。
『必然』には誰かの意思が宿り目的意識が存在します。
このように2つの言葉を並べてカテゴライズをしてもう世の中は簡単には行かないことが多いです。
現実世界には偶然も必然も存在する。
特に偶然に関しては少し厄介である。
なぜなら偶然はよくも悪くもなる。
決して予測がつくものではない。
でもそれを『飼いならす』『楽しむ』ことができればもっと楽しくなるのではないかと思います。 いやー難しいけど楽しいなー!
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