前回は3社目のわらわらへ転職して、現場のトレーナー、インストラクターとしての成長できたことについてお話をしました。
今回は、この会社でとても苦労したことについてお話をしたいと思います。

リーマンショックと競合出店の煽り

僕がこの会社に所属していたのは、2007年6月から2012年12月までの5年半でしたが、この期間は、リーマンショックや東日本大震災等があり、世の中の経済的にも大変なことが続きました。

また、航空公園店がある所沢地区も競合他社の店舗が増えていき、ふじみ野店もすぐ近くに競合店の出店等の影響を受け、両店の会員在籍と売上は右肩下がりで下降していきました。
更に、2007年8月に出店した宇都宮店は、2年と持たずに2009年4月で閉店してしまいます。
既存の2店舗もこのペースで減収減益していけば、1年後には立ち行かなくなるという危機に直面していました。

そこで会社は、閉店した宇都宮店でマネージャーをしていたM口さんという人を、本部で両店の営業を統括するポジションに置き、このM口さんに経営の舵取りを委ねます。

このM口Y児という男は、僕より10歳年下ですが、高卒で現場からの叩き上がったトレーナーで実力があり、僕が入社した時は宇都宮店のチーフトレーナーとして、転勤していました。
その宇都宮店は、相応の設備投資をした高級感のある施設だったのですが、初期集客から苦しみ、初代のマーネージャーも退職され、M口さんは23歳という若さで宇都宮店のマネージャーになります。

最終的に会社は、大きすぎる負債の回収が困難と判断し、宇都宮店は閉鎖となってしまいましたが、彼がマネージャーになった最後の半年間は、色々な策を講じて、業績は伸ばしていていました。
彼は会社からその経験と実績を評価され、既存店の立て直しの指揮をとることになります。

ビジネス力の低さを痛感

ここから僕らは、M口さんと3年間毎日一緒に仕事をすることになります。
その3年間は滅茶苦茶学んだし、滅茶苦茶成長できました。
でも。
この3年間を一言で表すなら「地獄」でした。笑

彼は、地頭が良くて、宇都宮にいた時からフィットネスビジネスもとても勉強していました。そして現場でPDCAを繰り返していたので、当時の僕らよりもバランスシートやPL表の数字から問題点を見抜く力、そして決めたことをやり抜く実行力に長けていました。
ただ、ものの言い方、やり方は強烈で、週次会議はいつも荒れまくっていました。苦笑
経営や営業で数字に対して厳しく向き合うのは当然ですが、担当者がロジカルに説明できなければ徹底的に詰められます。絶対に言い逃れができない。笑
そんな状態が続き、幹部の中には会議が始まる前に気分が悪くなってトイレに籠る人や、ついていけなくなって退職する人もいました。

彼と僕との仲はというと、とても悪かったです。笑
会議中につかみ合いになりそうになったことが何度もあったし、そのうちの1回は本当にやり合う寸前までいきました。
彼は体も僕より大きいし、迫力もあるので、現場の若手スタッフの中では、「M口さんと青野さんがガチで戦ったらどっちが勝つか」という戦闘力分析までされていたほど。笑
彼とガチで戦ったら、おそらくどちらかが命を落とすという決着になるでしょう。笑

M口さんとは、そんなバチバチな関係でしたが、彼が言っていることは原理原則に基づいているし、本質を捉えていました。それに根底にあるビジョンや、想いというものは、近しいものがありましたから、当時は「嫌いだけど、心の底から嫌いではない」という感じでした。

典型的な「現場男」だった僕は、彼と一緒に仕事をしたことによって、如何に自分にビジネス力がないかということを痛感して、本格的にマネジメントを学び始めます。
社外へも積極的に出ていくようになり、業界のセミナーや勉強会にも参加しました。

そんな中、参加したセミナーの講師をしていたE藤さんという方に出会います。僕はこのE藤さんから多くの影響を受けていて、今でも僕のメンタとして、とても尊敬している方です。
この方との関係については、後日改めてお話します。

まあ、とにかくこの3年間は心身ともにしんどくて、かなり老けました。笑
現場やレッスンの通常シフト(8時間)があって、その後、事務所で自分がマネジメントを担当している仕事をするという日々で、1日16時間くらい働いていた時期もあります。
帰るのが明け方4時、5時なんていうことも多くて、常に睡眠不足でした。
大変すぎてヤバかったけど、この3年間がなければ、僕は今頃ビジネス力のない「終わっている大人」になっていたと思います。

結果として、業績はV字回復をして業界誌等でも取り上げられたことで、このクラブはフィットネス業界では全国的に有名になりました。
僕も、日本一の業績回復率を誇るクラブのチーフトレーナーとして、外部の方々から色々とご質問を受けましたが、裏で何が起きていたかは公表しておりません。笑

そしてM口さんは、2012年の3月に退職して、翌月の4月にFiNCを創業します。
僕は彼が創業した時から応援はしていましたが、仕事はもう二度と一緒にしたくないと思っていたましたから、まさかその7年後に僕もFiNCに関わることになるとは、当時は夢にも思っていませんでした。
人生はわからないものです。笑

次回予告

次回は、わらわらでの最後の1年間と、4社目の企業に転職することになった経緯についてお話をしたいと思います。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


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