前回は、麹町学園バスケットボール部のコーチ1年目のお話をしました。
今回は2年目に得たことについて、お伝えしたいと思いますので、よろしければお付き合いください。

コーチ2年目

代替わりしたチームのコーチは、彼女らから依頼されたことがきっかけで続投を決めたこともあり、並々ならぬ思いがありました。

2年目は、前年に積み上げてきたことも芽を出し始め、色々なことが好転していきます。

まず、1年生からの時から指導してきた子たちの基礎力が向上してきました。メンタルも技術的も体力が目に見えてわかるほど成長し、日々の練習からも手応えを感じられるようになります。まさに心・技・体が充実してきたのです。
僕の期待に応えようとしてくれているのも伝わってきたし、僕も彼女らの想いに応えたかったので、より関係性も深まっていったと思います。
さらに、一緒に指導していた付属の中学から、よく知っている子が高校に上がってきたことや、外部からの新入生でセンスの良い子が加入したこともあり、チームの総力が高くなっていきました。

雪辱の招待試合

それでも、対外試合で勝つことはできていないまま夏が過ぎ、また秋の文化祭がやってきます。
招待試合の対戦相手は、もちろん東京家政学院を呼びました。
僕も彼女らも雪辱に燃えていました。

そして、なんと86対42で勝ちました!
生徒たちもギャラリーも狂喜乱舞でしたね。
僕も記念すべきコーチ初勝利が、去年ダブルスコアで大敗したチームにダブルスコアで勝ってリベンジを果たせたわけですから、
言葉にできない気持ちが込み上げてきたし、今までやってきたことは間違ってなかったと思えた瞬間でした。

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相手チームの東京家政の監督をされていた方は、当時50歳代のベテランの先生で日体大卒の大先輩だったのですが、試合後にその先生が僕らのベンチにやってきて、
「1年ですごくいいチームに育てたね」
と声をかけてくれて握手までしてくれたんですね。
もう嬉しくて嬉しくて、その日は生徒からも「気持ち悪い」と言われるくらいニヤニヤしてました。笑

その日の勝利をきっかけに、生徒たちも自信を持てたようで、益々動きがよくなっていきました。
僕も自信をもって強気な采配できるようになったことでベンチワークも良くなって、控え選手も活躍の場が増え、選手層も厚くなっていくという、好循環が起きるようになっていきました。

入れ替え戦

東京の高校女子バスケは4部リーグ制ですが、最後の大会でもあるインターハイ予選はトーナントなので、勝ちあがっていくと3部の高校と対戦することになります。
公式戦は入れ替え戦を兼ねているので、3部の高校に勝てば3部に昇格できるのです。
結果としては、最後の大会では4部同士の1回戦から勝ち進み、3回戦で3部の高校に勝ち、昇格しました!
そして、さらに2つ勝ち進んで、2部の入れ替え戦までいきました!
この2部入れ替え戦では惜しくも3点差で負けてしまい、僕と2年間一緒に戦ってきた子たちは引退し、僕もここでコーチを引退します。

バスケットボールは、10点差以上の差であれば実力の差、5点差以内の勝敗はベンチ(監督やヘッドコーチの采配)の責任と言われています。
僕にもう少し力があったら、2部昇格もさせてあげられたかもしれないと思うと、悔やまれるところもあります。
ただ、底辺のレベルからここまで躍進できるチームになったことは、僕自身もすごく自信になったし、学びの深い2年間でした。

僕はこの団体競技を通してチームプレーというもの本質を学べた気がしました。
個々の役割をしっかり果たすことでチームは機能します。
その為には、まず個々人の能力を高めて、各々がそれぞれのポジションで戦えるようにしなければなりません。
ただ、1対1でマッチアップする個々の力として、劣っているポジションがあっても、5対5という大局で見た時には、チームとして機能すれば、勝てる戦略や戦術もあると。
これは会社組織などのビジネス上のチームビルディングでも全く同じことが言えますね。

元々僕は、バスケットボール選手として飯を食えるようになりたいというプロ志向で強豪大学へ進学したのですが、このコーチの経験をきっかけに、指導の楽しさや難しさ、深さを学んだことで、指導者になりたいと思うようになります。
バスケットボールを通じて、上述のようなことを広めていきたいと思い、教師を目指すことにしました。

次回予告

ですが、いつも順調に進まないのが僕の人生で、この後また色々なことが起きます。
次回は大学時代の後半の紆余曲折についてお話をしたいと思います。
今回も最後までお読みださり、ありがとうございました。

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