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今日は僕のあふれ出す愛を語ります。(マジで)

(※ちゃんとフットサルに関係ある話とかもするよ)

(※このnoteは依然として湘南ベルマーレフットサルクラブのダイレクトマーケティングをします)

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前回の記事が予定よりも圧倒的に多くの人に見てもらったのはうれしかったんだけど、いかんせん2回目が書きづらい。

だってさ、好きな本の話とか、スポーツビジネスの嫌な話とか、とりとめもなくやろうと思ったのにもう無理だ。これはもう仕方ない。適当なことはかけない。社長にも見られたし。

インターネットは怖い。脳がかゆい。恥ずかしい。

けどまあ、暇だし、書ける範囲で思ったことを書こう。

今日は僕のあふれ出す愛を語ります。(マジで)

表題を繰り返しました。(大事なことなので)

世の中には大変だったりしんどいことばっかりするし、何か社会問題もたくさん見えるし、努力しても上手くいかないことばっかりだ。

だから、せめて幸せな話をしよう。希望を語ろう。

僕はフットボールを愛している。

フットサルも、サッカーも、ビーチサッカーも、ほかにもあるけれど、とにかく、足でボールを蹴ることが主だったスポーツが大好きだ。

もうなんで好きなのか、色々理由はあるし、語るに語り切れないのだけれど、とにかくしぼって、愛と語ろうと思います。

<失敗こそ人生だ>

とにかく足を使ってボールを蹴ったりするもんだから、手を使うよりミスが多い。足は正確な動作には向かない。誰だって好き好んで足で字を書こうとは思わない。(一部の変態は除く)

パスしょっちゅう外れる。シュートは基本的に枠を外れて飛んでいく。ドリブルの間合いがずれてボールは外へ出ていく。そんなミスをしないために足に集中しようものなら、留めなく動く相手にボールを取られたりする。

ミスが多いものだから、メンタルがもう本当に影響してすぐにぐずぐずになる。血のにじむような努力がちょっとしたミスで泡沫と化す。選手に一喜一憂する時間はない。憂えていながらでも、次へ向かう必要がある。流れはすぐに過ぎ去っていく。プレーはどんどん流れていく。下を向いている余裕すら与えてくれない。

だけど。

ミスが多かったり、上手くいかないことがたくさんあるものだから、何度も何度も次こそは上手くやろうって、声をかける。ミスってもミスっても堪えて、何度も勇気を出して挑戦する。しんどくたって、背負っているものがあって、自分にも期待して、苦しみながらも辿り着きたい場所へ、汗水流して戦い続ける。

それに、なんせミスがあふれかえっているから、絶対的な体格差、身体能力差だけじゃ結果は出ない。まったく影響がないとはいわないけれど、短距離走のような人種の差の絶望はない。身長がどんなに高くても、小さい選手の突き詰めた技術で勝てる。(サッカーのスーパースター、リオネル・メッシはアスリートとしては規格外の小ささだ。湘南ベルマーレフットサルクラブにも林田フェリペ良孝という150cmのスピードスターが活躍している)

ミスがあふれているから、1人のミスをカバーしあって、助け合わないとどうにも勝てない。これが絶対的な身体能力だけではどうにもならない理由の2つ目。自己責任と互助をひたすら繰り返さないといけない。だからこそ、強固な組織は最後に勝利する。

選手たちは、声援を力に、家族を力に、自分を取り巻く全てのために走るのだ。足を止めたら負ける。足を止めぬものにしか勝利は来ない。

翻って、僕たちの人生も失敗だらけだ。

連絡はしょっちゅう上手くいかないし、目的通りの結果は中々得られないし、思い通りに簡単には事は運ばない。

辛い日々が続いても、想いのためには時に休んだとしても、結局は走り続けるしかないのだ。時は止まらない。それでも、何とかしようって、自分のために、誰かのために、励ましたり、励まされたり、小さな波はきっといつか大きな波になると信じて、前へ前へどうにか進むのだ。

足を止めたら、それで仕舞い。人生が流れ続ける限り、僕らはどうあがいても最終的には走り続けるしかない。

フットボールには、そんな人生の一部がたった数十分、数時間につまっている。

(フットサルの公式戦は前半20分、後半20分、計40分です。集中しきれる丁度よい時間ですよ!)

<そしてゴールは圧倒的に小さい>

全然ゴールは入らない。なんで足はこんなに自在に動かないんだ。

ボールは手で扱うよりずっと曲がらないし、狙ったところには中々飛ばないし、そのくせゴールキーパーたちは常に自分が最後だから決死の力でゴールを守る。(半ば常に火事場の馬鹿力だ)

カタルシスのタイミングが少ない。(これはバスケや野球と比較されて、フットボールが嫌われる理由でよく聞く話だ)

だけど、少ないからこそ、ゴールが入った瞬間のカタルシスには全身に稲妻が走るような喜びが待っている

選手たちはたった1点で興奮を露わにするし、観客は踊り叫ぶ。

当然、勝負である以上、決着の瞬間が最大のカタルシスなのだけれど。たった1点で常に叫べるのは素晴らしいことだ。(例外もあるが、基本的には1点の重みが半端じゃない)

(下記は昨年の湘南ベルマーレフットサルクラブのベストゲーム。GKの得点が狙えて、それで流れが変わるのはフットサルの面白いところ。1点の重みが伝わると嬉しい)


こんなたった1日にもならない、たった数十分に人生は揺さぶられる。

ダメなこともある。ダメな試合もある。ダメな年もある。

でも、それこそが人生だ。みんなの人生も、多かれ少なかれそんなときが来る。上手くいったり、いかなかったり。

でも、それでも前を向いて、希望を持って、ああ、次へ頑張ろうと歩みを進めるのだ。少なくとも、多くの選手たちがそうやって試合を戦っているのを見ることができる。

(希望が見えなくなると生きられない、という事実を改めて昨日見たけれど、それはまた違ったときに、話が落ち着いたら話してみたいとは思う)

もし、あなたの人生が暗澹としているなら、ぜひフットボールを見に来てくれ。

不運や不幸、どうにもならない日々と戦うきっかけが転がっている。

あなたの人生が、それなりに何とかやれているのなら、だったら改めて一緒に泣いたり笑ったりして、人生を楽しもう。フットボールはそんな日々に彩を与えてくれる。だから来て。(しつこい)

あと、サッカーもフットサルもサポーターは食事にうるさいからちゃんと美味しいものも用意してる。いいからおいで!(人生に食事は必須だ!)

(去年から湘南ベルマーレフットサルクラブはこんなことやってます。いいでしょ。)


最後に

本題に戻ると。

そうやってフットボールには人生の苦楽や、上手くいかないことばっかりが詰まっていて、

でも。

なんだかんだ頑張って、上手くいくようにあがいて、上手くいったりいかなかったりする瞬間がたくさん詰まっていて、結局ダメなときもあるけど、

上手くいって、うれしくなって、喜んだり叫んだり、そんなカタルシスが詰まっているのが好きなのだ。

(前述のように、他にも理由はたくさんあるけれど)


なんというか、何度もこの業界から足を洗おうと思ったのに、どうにも洗えない。

少なくとも僕はこのフットボールと生きるのが向いているみたいだ。

フットボールに捕らわれた一人として、これで少しでも興味を持ってくれる人が一人でも増えたらうれしい。

実際にシーズンが開幕できるかまだまだわからないし、これからの世界は今までよりも良く見えない。

でも、それでも、できることを一つずつ、顔をあげて、失敗しながら、前へ進むのだと、僕はフットボールに教えてもらってきた。

だから、そうしよう。

坂下

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