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『街とその不確かな壁』(村上春樹・新潮社)

2023年の春、本書の発売がニュースになっていた。650頁ほどの本だから割は合うが、3000円くらいかかるというのは痛い。またそのうち手に入るだろう、ということでのんびり構える程度のファンである。だから、半額くらいで入手できるようになるまで半年待っていたことになる。それだけの時間をかけるほどの価格かどうかはさておき、読みたいときに読めばよいという考えも、私らしくてよいかもしれない。
 
小説である。ストーリーをここで語るわけにはゆかない。
 
読み終わったとき、異例の「あとがき」に驚いた。作者自身の「あとがき」である。これは紹介してもよいか、と思うのが通例であろうが、これもやめておく。内容は、本書が書かれる経緯であった。内容についてではない。このようにご紹介すると、これからお読みの方は、気になることだろうと思う。だが、安心して、どうぞ最後にお読み戴きたい。そのほうがよいだろうと私は思う。
 
さて、ストーリーは告げられないが、本書については、いくつかのキーワードがあると思う。「図書館」は舞台になる。かなり曰くつきの図書館である。しかし、まずはタイトルの「壁」であろう。その街は壁に囲まれ、中を一角獣がさまよう。しかも、寒くなると死ぬなど、気の毒な存在にも見える。これは、かつて他の作品でも登場したキャラクターである。そこにウクライナが絡んできたのは、昨今の事情を含んでのことなのかどうか、それは分からない。執筆は2020年から2年余りに及ぶというが、確かにウクライナへのロシアの攻撃はその中にある。しかし物語の上での本筋には影響しないものとしておく。
 
私は、タイトルにはないが、「影」が一番問題であったと感じた。「影」のない人間が登場するのだ。あるいは、その影か奪われるとか、自分の影はどこにあるとか、その影と対話するとか、全く作品の映像化を不可能にするためのようにしか思えないような仕掛けである。
 
影をなくすというと、どうしてもまず、シャミッソーの『影をなくした男』が思い起こされる。これは私は読んでいる。影を譲ってほしいという男の申し出と共に大金を得ることになる主人公であったが、影がないことで痛い目に遭う。後半はそれとは少し無関係な方向で奇想天外な物語となるのだが、今回の村上作品の「影」は、そういう軽いものではないし、教訓的なものでもない。
 
その後私が偶然知ったのは、アンデルセンの『影法師』であった。哲学者のような学者の影が、勝手に他人の家に入り込む。その影法師は、自分の意思で動き、勝手な人生を歩むようになる。学者はついに影法師の家来のようになってゆき、影法師は王女と結婚するに至る。そして影法師の秘密を知る学者は不幸になる、というような話だという。
 
実はこれなら、この村上作品に出てくる「影」と、少し通ずるものがあるのだ。「影」が別の世界で暮らしているというような点が、何もアンデルセンと同じだなどと言うつもりはないが、作者は何らかの形でこの物語を知っており、モチーフにした可能性は否めない。
 
それは『影の現象学』という河合隼雄の本である。ここには様々な影の出来事が叙述されている。その本のことをいま解説することはできないが、影のない話と共に、二重身の例が挙げられていた。いわゆるドッペルゲンガーであるが、本小説にある描写は、それそっくりではないか。村上春樹は、そうした何か病的な現象について、自ら体験したかどうかは知らないが、いろいろ調べたのではないか、と勝手に私は推測してみた。
 
独身の男性主人公が、高校生のときの淡い恋心のようなものから始まり、中年になるまでそれを引きずっていることは、私は少しキュンとなるものがあった。高校生の恋愛というものがどういうものか、私の中では大きなものであるからだ。また、後に知り合う女性との関係も描かれるが、これが村上作品としては珍しく、なかなかピュアなのである。他の作品を知る者としては、これはかなり純愛的に感じる。妙な爽やかさを覚えるものである。
 
しかし、一体これら登場人物の名前は何だったのだろう、と思い始めると、悩ましい。実はほんの数人しか名前が挙げられず、重要人物としてはほぼ二人に限られる。よくぞこれで物語がここまで展開できるものだと呆れるやら感心するやらであるが、よくあることなので、いまさら驚くことはない。特異な才能をもつ少年を呼ぶときには、伏せ字のようにしてあった。全く、愉快である。
 
相変わらず、先行きを決めない作家的態度で、何ものかの導くままに自由に筆が進むようであり、話が大団円になることもなく、予定調和も見せる気配がない。だが、この作家は、推敲に実に時間をかける。今回もかけたはずである。何度も読み返して、何かと狂いがないように配慮は十分なされている。だから、実に読みやすい。物語の先は読めないが、物語そのものは非常に読みやすいのである。これが、ファンにはまたよいところであるのかもしれない。妙な謎を仕組んで組み立てる作家であれば、それを見破る読者も当然出てくる。だが、そもそも謎もないならば、謎解きそのものが成立しないのである。読者は、理解にかんしては絶望的な沼にはまりこむ。そして、それが気に入った者は、それが快感となり、中毒となる。
 
相変わらず、ジャズ系をはじめとした音楽は随所で粋なスパイスを提供しているし、文学についてはなおさらである。服や部屋の描写、何かとユニークな喩え方など、村上春樹の魅力は、今回も十分に発揮されている。だが、コロナ禍という異常な環境の中で閉じこもって書いたものであるだけに、従来のものとは、何かが異質であるような気もした。その不確かな壁が、コロナ禍という世界の中になんとか成立している自分の生活であり、いったいどちらが本物であるのか、どちらが影であるのか、それを問いたい気持ちが揺り動かしていたのかもしれない。そこにあったのは、静観なのだろうか。それとも、何か怒りのようなものだったのだろうか。否、それは読者の側が揺さぶられて惹き起こされた感情を以て、読者の回答とすればよいのだろうか。

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