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芸術や文化が与える力

『戦争語彙集』という本が出版された。ウクライナで、戦禍の市民の声を詩人が聞きとった言葉が集められたものである。各方面から支持され、話題に上っている。日本語版では、ロバート・キャンベル氏が訳し、2023年12月に岩波書店から刊行された。だが、本の紹介は、いち早くNHKがすでに8月に大きく取り扱っている。
 
いまその本の紹介をしようとするのではない。その中の、ごくわずかな箇所だけに注目してみようと思っている。
 
それは、ある人形劇団のエピソードだ。邦訳は、後半の大部分が、キャンベル氏による、本書の背景や取材記録でできている。聞き取りの内容ではなく、取材者の声である。
 
その人形劇団の劇場は、避難シェルターとなっていた。その具体的な情況は分からないが、多くの人が身を寄せてきた。子どもたちも多い。劇団は、人形劇を見せた。最初は沈黙だった。そこには、これまでの恐怖というものが現れていた、と劇団側は捉えた。
 
だが、やがて気づく。子どもたちが、また大人までもが、癒やされていくことに。それは、芸術や文化というものが有する力だった。効率や交渉といった実務的な要素から脱したところにある、何かがそこにあったという。
 
芸術や文化のもつ力。それが与える「命」とでもいうもの。それを実感し、その価値を確信したのだという。いつ爆弾やミサイルが来るか知れない情況で、人形劇は人々に「心」を取り戻す機会を与えた。もしかすると、もうなんとか生きなければならない、と、生存のために必要なことだけに奪われてしまいそうな精神状態であったかもしれないものだが、人間は必ずしもそれがすべてではない、ということを実感することができたのだ。
 
人は、パンだけで生きているのではない。聖書は、神の言葉による、と教えるが、芸術もまた、聖書とは少し違った意味ではあるが、人に「心」をもたらすというのである。
 
かつて日本の自治体で、日本の伝統文化には予算を出したくない、という考えが出されたことがある。市長の関心のない伝統芸能への補助金を凍結したのである。古くさくて人気があるわけでもないものに、金は出せない、ということだったらしい。その後は支給がなされているらしいが、文化と政治という絡みで、当時しばらくワイドショー関係で話題に上っていた。コメンテーターたちも、その文化に興味がない人ばかりだったようで、またその市長がけっこう人気のある有名人だったためか、どうコメントしてよいか分からないような場面も見た記憶がある。
 
衣食住を支えるのが、政治の目的であるかもしれない。また、それらを守るということは、平和を守るということであるのだろうとは思う。それが第一であって、それはそれで大切なことであるが、もしもそれが、「心」など意味がない、とすることになってしまうのであったら、問題であろう。人々は、それに抵抗しなければならない。
 
コロナ禍に陥ったころ、アーチストたちは活動ができず、苦難に喘いだ。あのとき、芸術などは二の次で、生活に役立たない、などと言い出す者たちがいた。あの窮屈な生活が強いられた中で、歌や絵が、どれだけ人の心を支えたか、明るくすることに貢献したか、そんなことには微塵も気持ちが向かないような発言だ、と私は思った。
 
もし法律により禁止されていなかったとしても、私たちは、「心ない」ことをする人について悲しい気持ちになることがある。悲しく思うのは、私たちが「心」をもっているからだが、逆に心は希望を懐く場でもあるはずだ。ウクライナでは、私たちがいま日本でもつような「日常」や「平安」というものが崩されて久しい。そこに「心」をもたらすような、芸術や文化というものが証言されていたことを、私は驚きで受け止めた。それが何になる、と迫られそうな気もするが、どこまでも「心ある」人間でありたい、と願わざるを得ない。

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