『すずめの戸締まり』(新海誠・KADOKAWA)
2016年の「君の名は。」で、アニメ映画界のトップに躍り出た新海誠監督。2019年の「天気の子」も、その地味なタイトルとは裏腹に、非常に高い評価を受けた。それから再び3年の期間を経て、2022年11月11日に「すずめの戸締まり」が公開されるはこびとなった。そう、11日である。
映画にはどれも、自身のノベライズが存在する。あるいは、小説を描いた後で、映像化をしている、と言った方がよいかもしれない。
メジャーになる前の作品も叙情的で好きだが、やはりスペクタクル感のある最近の作品は、魅せるものがあるし、世界的に評価されているのも肯ける。これまで私がその小説を読んだのは、映画を観た後であった。映画で説明されなかった事柄が記されているのは、理解の参考にもなった。その方が、映画での感動を受けるためには相応しいとも思っていた。だが今回、そのタブーを破った。上映前から小説が読みたくなったのだ。映画公開の2か月以上も前なので、小説を人々が読んだら映画はどうなるのだろうか、と下衆の勘ぐりはさておいて、これからその本を紹介するというのは、さすがに気が引ける。そこで、ストーリーや物語の鍵になるようなことをご紹介することは、すでに映画サイドが予告していること以上にはしないという前提で、思うところを触れてみようと思う。
扉というのが大きなキーポイントである。タイトルの「戸締まり」は、そこからきている。宮崎に住む高校生・岩戸すずめ(鈴芽と漢字があてられているが、タイトルのとおりひらがなで表記することにする)が、災いの扉を閉める「閉じ師」の宗像草太と出会い、共に大きな扉の戸締まりに挑む。同時にすずめは、自分自身の扉というものとも向き合うところを感じ取りたいところだ。でも、そのテーマをとやかくいま持ち出そうとは思わない。
ここで注目したいのは、この「岩戸すずめ」という名前である。「すずめ」は、穿った見方をすれば、「朱雀」という神獣を思わせないだろうか。厄災を防ぐというその役割は、物語にマッチする。しかし私は、この「岩戸」という姓と「すずめ」の音の響きのほうに、連想が走った。「すずめ」は「うずめ」にたいへん近い音をしている。「宮崎」「岩戸」「うずめ」で連想が走らないなら、それは日本神話について全く知らない人だけであろう。当然そこには、物語のモチーフの「扉」という概念も関わるように思われる。
共に旅をする青年の名は「宗像草太」である。知らない人は読めまい。「むなかた」である。福岡に住む者でこれを読めない者はない。宗像氏という豪族の故なる宗像大社は、海の正倉院とも呼ばれる沖ノ島を神領にもつ。日本古代の神事を、いまの世にも伝える貴重な文化は、ついに世界遺産にも選出された。
つまりこの物語は、日本神話の塊なのである。
これまでのメジャー作品にも、それは色濃く出ていた。「君の名は。」では、口噛み酒が重要な鍵になっていたことを覚えておいでだろうか。そもそも三葉は奥飛騨にある宮水神社の巫女であったが、その酒は宮水神社の御神体へ奉納すべきものであった。二人の感動的な出会いのシーンは、御神体のある山であった。隕石落下という、村全滅の災いをなきものとした彼らのアドベンチャーに、観る者はハラハラした。なお、ラストシーンで三葉と瀧の二人が再会を果たしたのは、設定上2022年の春だったはずである。
それから「天気の子」での陽菜は、ビルの屋上にある神社(これは物語の重要なポイントになる)にて、雨を止める「晴れ女」の能力を得ていた。しかしそれは陽菜の命を縮めるものであった。異常気象を止めようとする晴れ女の働きのため、気象神社の神主が教えた「天気の巫女が人柱として犠牲になる」伝承の通りに、一時は陽菜は消えてしまう。陽菜はいろいろあって救われたが、代わりに雨は2年半続き東京の大部分が水没することになる。この災害は、物語の設定上2021年の夏であったが、その年も、また映画が公開された2019年の夏も、大きな水害が日本を襲った。
この物語の根柢には、竜神思想があった。巫女という特殊な役割の女の子がいて、どちらも多くの人々を死へ追い込む災いを防ぐために、命を捨てるようなきわどさがあった。仏教的なものはどこにもなかった。あるのは、ひたすら神道思想や日本古来の伝説であった。
今回の「すずめの戸締まり」もまた、こうした構造が共通していると思う。よほどそれらがお好きなのだろうと感じた。これがすんなりなじめるのだとしたら、やはり聖書という世界は、この国ではずいぶん異質なものでしかないのだろう、と思わされるのだった。
ところで、小説を読んだら映画を観なくなるのだろうか、という点について、最後に述べておく。小説を読んだところで、それがどのような映像になるか、私には全く予測がつかなかった。「ええっ」とか「ああっ」とかの多い台詞も、映画の中ではきっと違った印象で届くのだろうと思った。読んだら読んだで、映画をきっと楽しみに待てるのではないか、という気がした。でも、そこは個人のお好みの問題である。どちらにせよ、お楽しみ戴ければ、それでよいのではないだろうか。
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