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『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(今井むつみ・日経BPマーケティング)

1年前に、中公新書で『言語の本質』を共著とし、珍しく非常に売れ行きを呈した。認知科学という分野で言語について迫るもの、特にオノマトペを正面から扱って、一般人に注文されたのである。出版社が、その流れに注目しないわけがない。今回は、「何回説明しても伝わらない」という、日常的にありがちなテーマを看板にして、新書ではなく単行本形式でやや多めの論述を世に問うた。新書に比較すると大幅な売れ行きとは行かなかったことだろうが、ビジネスの現場では、もっと火が点いてよいように思う。
 
ちゃんと説明したのに、伝わらない。社会生活を営む私たちから、拭い去ることのできない悩みである。時に、謙虚な人は思う。自分の説明の仕方が悪かったのかもしれない。そのくらい冷静に見ることができたら、まだ平和が訪れるだろう。自分は正しい説明をした。それを理解できないほうが悪い。そういう思い込みが、SNSひとつ眺めても、この社会には充満しているのがよく分かる。自己反省とか自己認識とかいうことが、社会から消滅しようとしていることに、私は小さくない懸念をずっと抱いているのである。
 
この現象を、認知科学というフィールドで捉えると、どういうことになるのか。また、そこで何を気にかけることができたら、悪い事態を少しでも避けることができるだろうか。そんな期待を以て、読者は読んでいくとよい。
 
まるで講演会で話しているように、聞きやすいと言えるような文章で、淡々と述べられる。よく見れば、文章理解のために最低限必要なイラストを除けば、イラストらしいイラストは見られない。ひたすら文章で埋まっているという感じなのだ。ただ、小見出しも多く、重要テーゼはゴシック体で目立つようにしてあるので、要点は何か、外すことはあるまいと思われる。
 
細かな議論は、どうぞ本書で出会って戴きたい。ただ、章立てだけはここに遺しておこう。
 
 第1章・「話せばわかる」はもしかしたら「幻想」かもしれない
 第2章・「話してもわからない」「言っても伝わらない」とき、いったい何が起きているのか?
 第3章・「言えば→伝わる」「言われれば→理解できる」を実現するのは?
 第4章・「伝わらない」「わかり合えない」を越えるコミュニケーションのとり方
 終 章・コミュニケーションを通してビジネスの熟達者になるために
 
中身は明らかになっていないが、方向性は、これだけからでも読み取れる。ただ、「説明」というものが、やけに論理的であるべきだという錯覚または思い込みから、私たちは解放されるべきであろう。論理だけで解決しているつもりになると、自分は論理として完璧だという正義の理屈が、自己正当化の沼に陥らせることになる。
 
人間の認知は、論理オンリーで働いているのではないからだ。だが、人間を動かすものとして、何らかの「感情」というものが、必ずある。
 
そのことを弁えておけば、説明がうまくゆかなかったことについて、もう少し忍耐強く捕え直すこともできるだろう。
 
と、ビジネスサイドの人々は、こうした提言を、なるほど、などと理解するのだろうか。早速部下に対しての説明に応用しようとするのだろうか。
 
申し訳ないが、本書に書かれてあることは、私は毎日体験している。仕事のすべてが、それの連続である。学習塾で教えているとき、「説明しても伝わらない」というのは、最低限の前提であるからだ。もちろん、そこには相手が子どもだという点で、大人相手に「伝わらない」と悩むのとは訳が違うはずである。だが、それなりに発達段階やそれぞれの個性を把握して踏まえた上であっても、驚くほど「伝わらない」ことを、分毎に感じている。
 
本書でも、「私たちの思考には、意識されずに使われる「枠組み(=スキーマ)」がある」という見出しの頁があって、一人ひとりの経験によって、同じ言葉が与えられても、イメージするものがそれぞれ異なる、ということが指摘されている。認知心理学で使う言葉であり、著者による他の本でも触れられていた。
 
しかし、それはもう日々、痛いほど味わっている。子どもにもこの言葉は通じるだろう、という思い込みが、すべての間違いなのである。そもそも、その言葉自体をまるで知らない、ということに毎日出会うため、せめて経験値を活かして、他の機会ではまず言葉の意味の説明から入る。あるいは、この言葉の意味知っている?と問いかけてから説明を施す。そのようにして、一つひとつの言葉に止まりながら、本題の説明へと入り込むのである。
 
とにかく、言葉が通じない。その意味では、「説明が伝わらない」とは違う。「言葉自体が伝じない」のである。こうなると、「認知」という本書のコンセプトから外れてしまう。本書はあくまでも、「認知」の構造にメスを入れるものである。「語彙」の問題に還元すると、本書の趣旨を外してしまうだろう。だから、本書にはもっと期待して戴きたい。「通じない」相手へ届く言葉と心について、考えるひとときが与えられるだろう。そして、自分を顧みる機会を経験するだろう。読めば十分改善する、とは思えないが、何かに気づくことができたら、少しでも心が軽くなることだろう。

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