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レスポンス

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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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#黙示録

救いのスペクタクル

先週はイレギュラーであったが、今日の礼拝がゲストの説教者であることは、以前からの計画通り…

たかぱん
5日前
2

神の言葉は人を生かす

「白馬の王子様」は、乙女の憧れの極みであった。アーサー王などの源流が想像されることがある…

たかぱん
2週間前

死を超えた礼拝

ある方が家で事故に遭われたという、びっくりする知らせから説教は始まった。無理をしないよう…

たかぱん
3週間前

来たれ聖霊よ

ペンテコステ礼拝である。教会の三大祝祭日の一つとされている。弟子たちに聖霊が降臨したこと…

たかぱん
1か月前
5

絶望ゆえの勝利

黙示録を読み解くひとときが続く。17章が開かれたが、ここから18章辺りまでが、実に黙示録らし…

たかぱん
1か月前
1

神の怒りから愛の歌へ

4月26日午後、加藤常昭先生が召された。縁のある教会である。牧会したということではなかった…

たかぱん
2か月前
1

沈黙の声と歌

十字架と復活を語る春であったため、久しぶりの黙示録講解説教である。15章から再開し、その全体からの礼拝説教であった。   14章で、天使が地上に鎌を投げ入れ、神の怒りの搾り桶から溢れる血が都の外に広がった、という壮絶な場面に続くところから始まることになる。但し、ここでカメラは切り替わる。「天にもう一つの大きな驚くべきしるし」があることを、筆者ヨハネは見る。そこには七人の天使がいて、最後の七つの災いをそれぞれ携えていた。この災いは、「神の怒りがその極みに達する」ことを示すことに

オルタナティブな読み方

説教は、「ヤコブの梯子」を見たという話から始まった。美しいその情景は、薄明光線などと言う…

たかぱん
3か月前
1

零れてくるその歌を

教会の創立記念の礼拝であった。太平洋戦争前からの歴史をもつ教会であるが、それは二つの小さ…

たかぱん
4か月前
1

獣に何をされようとも

そして、竜は海辺の砂の上に立った。(黙示録12:18)   先週取り上げた12章の最後の場面から、…

たかぱん
4か月前
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悪魔に対する勝利

黙示録の講解説教も12章まで来た。後半に入るわけだが、説教者はこの12章を、オペラ劇のようだ…

たかぱん
5か月前
2

小さな獣たち

クリスマスの時期を挟んで、久しぶりの黙示録シリーズである。説教は、11章の最後のペリコーペ…

たかぱん
5か月前
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聖書が人を解釈する

黙示録9章全体が開かれた。なんとも凄惨な場面が描かれる。そこではいなごの猛威がまず描かれ…

たかぱん
8か月前
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ウーアイ

黙示録は8章にさしかかる。一時小休止を迎える。しばし風が止む。天使の手に渡された香が、聖なる者たちの祈りに添えて献げられることになる。香の煙が静かに神の許へと立ち上る。聖なる者たちの祈りも立ち上る。すでに黙示録の5章で「この香は聖なる者たちの祈りである」とのイメージが描かれていた。   私はこのイメージを、教会のポスターに使ったことがある。ずいぶん昔のことだ。私たちは、祈るべきだ。祈りは天に届くだろう。そんな気持ちで作ったのだろうと思う。   説教者は、そんな甘いムードに流さ