【スペイン語学習】Netflixでスペイン語③

 前回、スペイン語に関連する映画として、アルゼンチン出身の現ローマ教皇を主人公にした映画『2人のローマ教皇』をご紹介しました。今回は、同じく南米のラプラタ川流域から、ウルグアイを舞台にした作品を紹介します。

12年の長い夜(原題:La noche de doce años)
 さて、一作目では1970年代から80年代にかけてのアルゼンチン軍事独裁政権の過去が触れられていましたが、こちらは同時代1973年から軍事独裁政権下にあった隣国ウルグアイが舞台。

 ウルグアイでは60年代に結成された左派ゲリラグループTupamarosが過激な活動で体制批判を行っていましたが、軍事政権下で厳しく取り締まられ、多数のメンバーが収監されることになります。

 この映画では、そのうち12年にわたって収監されたTupamarosのメンバー3人に焦点をあて、彼らが拷問や劣悪な環境の独房に耐えたのちに解放されるまでを描いています。そのうちの一人、愛称Pepe(ぺぺ)で呼ばれているのは、のちにウルグアイの大統領を務めたホセ・ムヒカ。日本では彼が国連で行った演説をもとにした子供向けの本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)で広く知られているのではないでしょうか。

 もちろん、彼の大統領としての業績にはいろいろな意見があるでしょうが、あの好々爺然とした姿の裏に、映画で描かれるような、人間としての尊厳を踏みにじられる日々を12年も耐えぬいた過去があったと想像すると、その精神力の強さに圧倒されます。今年87歳になるムヒカ元大統領、どんな老後を過ごされているのでしょうか。ふと夜の静寂がおとずれたときなど、過去の地獄のような日々の記憶に襲われてるようなことはないだろうか、一人の人間として心配になります。

 さて、そんな彼らが何とか生き続ける力を得たのは、家族や外部の人との面会。なかでも印象的なのは、ぺぺと母親の面会場面です。文字通り雨にも負けず息子に会うことを待ち続けた気丈な母は、弱音を吐く息子に
Escuchame a mí. A mí tenés que escuchar. Yo soy tu madre.
(私の話を聞きなさい。おまえが耳を傾けるべきは私よ。私はおまえの母親なんだから)
と述べた後、こう続けます。
Vos tenés que resistir de cualquier manera…. Vos resistí y no dejes que te maten.
(おまえは何としてでも耐えるの。耐えて、そしてやつらにおまえを殺させるんじゃないよ)


 面会を拒否されても息子のもとに通い続ける母。独裁政権下では、ただひたすら息子の生存確認を続けることだけが彼女に残された手段であり、収監された息子にとっては生き延びることだけが唯一の抵抗手段なのだと信じる母。その言葉と行動に、彼女の芯の強さが現れているようです。

 また同じく、度重なる拷問で幻聴に悩まされると告白するぺぺに対し、彼を診察した医師はとにかく耐え忍ぶよう説得します。
Tiene que agarrarse de lo que pueda, Mujica.
(しがみつけるものにとにかくしがみついてください、ムヒカさん)
 もし神を信じるのならその信仰にすがるのでもいい、何かを支えにして生き抜くように諭す医師に対し、ムヒカは
¿Qué Dios haría esto?
(こんな状況を許す神がいるとしいたら、一体どんな神だ)
と、もはや何もすがるものはない心情を吐露しますが、医師は
Aguante, sobreviva. Falta poco.
(耐えて生き延びてください。あと少しだから)
と励ますのです。現代社会で、ここまでの過酷な状況に追い込まれることはないことを願うばかりですが、あなたを待っている人がいる、私も仲間だと暗に伝える言葉の強さに心を打たれました。

 さて、思い出すだけで辛い場面も多いこの映画ですが、心を和ませるものとして『2人のローマ教皇』と共通して登場するのが「サッカー」「マテ茶」。この二つの要素が南米文化に不可欠であることが改めてわかります。ウルグアイは、一人当たりのマテ茶の消費量が世界第一位という調査結果もあるほど。そんな国民的ドリンクのマテ茶と国民的スポーツのサッカーの開放的なイメージに対し、重たくのしかかる独裁政権時代の暗い過去。南米を描く上での光と影として、この両輪は不可避の要素なのかもしれませんね。

 さて、二回にわたり南米に関連する映画を、スペイン語とその文化を学ぶという私なりの視点からご紹介しました。三寒四温の毎日ですが、温かいマテ茶を飲みながら、映画の世界で南米にどっぷりつかってみてはいかがでしょうか。

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