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「何かに囚われるということは、みずから亡びるということの暗示」

私は何ものにも囚われたくない。
囚われるということの一面には、
みずから亡びるということが暗示されているように思われる。
   ─ 宮城 道雄 ─ (箏曲家)

「20世紀の名言」


私がいま囚われているのは、職場の人の機嫌。かなり振り回されている。
いつ機嫌が悪くなるのか、何がきっかけで良くなるのか分からない。

「あれ?なんか機嫌悪い?」
「何があったんだろう?」
「仕事が忙しいのかな」
「私、何か気に障るようなことしたかな」
から始まり、

「もしかして私に怒ってる?」
「私、何かしたかな」
「私が元気すぎたのが良くなかったのかな」
「あの時の言い方が気に障ったのかな」
「私の仕事の進め方が気に食わなかったのかな」
「また怒らせたらどうしよう」
と自分に原因がないか考えて怯え、

「これってただの八つ当たりじゃないのかな」
「気分屋って恥ずかしい」
「いい加減にしてくれ」
「何か不満があるなら言ってくれよ」
と自分まで感情的になって怒りがこみあげてくる。


みんなが気分よくしている方が仕事の効率もいいし、精神衛生的にもいい。

元気がない人がいるなら周りが気にかける方がいいし、自分が原因で誰かの機嫌を悪くしているのなら自分で反省しないといけない。

お互いを気遣えるのが風通しのいい職場だと思う。


だけど、相手への気遣いも、度を超すと、「気遣い」や「思いやり」じゃなくて「相手の機嫌に囚われている」ことになる。

私の場合も、視点を変えてあれこれ考えても不機嫌になっている人の考えが分からないことがある。

それに、実際の原因がどうであれ、不機嫌の理由を考えたり、そうならない方法を考えたりすることにエネルギーをかけすぎること自体、完全にその人の機嫌に頭の中を支配されてしまっている。


この名言が言うように、何かに囚われてしまうと、自分自身までおかしくなってしまうと思う。モラルが崩壊してしまう。

憶測だけで相手の事情や感情を決めつけて悪者にすることがある。

逆に、心当たりもないのに自分に原因があると思い込んで、仕事のパフォーマンスを落として逆恨みされないように変な気を遣うこともある。仕事なのに、「ちゃんと仕事をしない」という意識が働くようになる。



どうやったら何かに囚われることを避けられるんだろう?


きっと感情や機嫌に振り回されてるなと感じたら、限度を超す前に、「これが正しい」と信じることを基準に動くことを、意識的にやっていかないといけないんだろうな。

普段は意識しなくても、「ん?これはまずいぞ」と感じたら、ちょっとスイッチを切り替える。


感情や機嫌って扱いが難しい。特に負の感情や不機嫌って、パワーが大きすぎて、つい優先してしまう。「怖い」「ムカつく」と思ったら、正常な思考が止まる。「これが正しい」と信じる道を貫くのが難しくなる。

でも、いつまでも感情や機嫌を野放しにしておくと、いつか歪みが生じる。だから、時には意識して論理を優先させる。


あまりに相手の不機嫌がひどくて、もうただのわがままでしかないという程のものであれば、「気にしない」というのがかなり大事になってくる。

以前、「鈍感力」という言葉が流行っていたけど、それですね。本当は気になってても、気にしない。自分の察知力を無視する。


自分を亡ぼしてまで、他人の機嫌をとることない。
自分を大事に。

逆も然り。
誰かを亡ぼすほど、自分の機嫌を優先しない。



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