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「無理して『YES』と言っているうちは、まだ他人の関係」

無理して「YES」と言ってるうちは、
まだ他人の関係。
   ジョン・グレイ(人間関係カウンセラー)

地球の名言


「私はこの人のことが本当に好きなのかな?」と自問自答する時の基準になっていると思う。

例えば恋愛で片思いをしている時とか、付き合ってるような付き合っていないような曖昧な段階の時に。それから、友人関係を深める時にも無意識に考えている気もする。




昔、長年片思いしていることがあった。職場で出会った人だったけど、言葉を交わすようになってから、たしか2か月も経たないうちに彼はアメリカに行ってしまった。それなのに妙に気が合って、時差もあるのに頻繁にスカイプでチャットしたり話したりしていた。帰国するたびに連絡をもらって、買い物に行ったりごはんに行ったりしてた。お互いに言葉にはしないまま、微妙な感じが細々と続いていた。でも、結局ちゃんと付き合うことはなく、自然消滅していった。

その後、私は人生で初めてちゃんと本当に自分を愛してくれる人に出会えた。その時に「アメリカに行ってしまった人のこと、本当に好きだったのかな?」と考えると、どこが好きだったのか分からなくなった。

最初は自分にまったく持ち合わせていない価値観をたくさん見せてくれて、「大人だな」と感心しきりだったけど、今になって思うと、ひねくれてただけのような気がする。

価値観が違いすぎたのに、「嫌われたくない」という思いも働き、自分の考えを出せなくなっていった。だんだん会うのも億劫になっていった。

貴重な20代のほとんどをこの片思いに費やしてしまったけど、自分を出せないまま固執しなくてよかった。学べたこともあるし、引きずることもなく次に進めてよかった。




家族であれば遠慮することなく「YES」とか「NO」と言えるかというと、そうとも限らない。

昔は親には何でも話せると思っていた。恋人と別れても、友達に裏切られても、上司や同僚とうまくいかなくても、親は最終的には自分の味方になってくれると思っていた。


でも、親を心配させないように言わないことも少しずつ増えてくるし、家族だから価値観は何でも同じという考えそのものが違っていることに気付く。

親兄弟にも遠慮して本音を言えてないなと感じることが増えていった。


これはマズいことというわけではなく、私にとっては親離れできてきているとも言えると思っている。私の親は過干渉な部類に入るし、そんな親に、私は甘えすぎなところがあった。いずれ親離れしないとまずいなという気持ちもあった。

今でも完全には親離れできていないけど、親を悲しませたくなくて、反抗はしても、最終的には親の言うとおりにしてしまう。

いつも「親の敷いたレールの上を歩かされている」「私は自由じゃない」という不満に縛られている。

親のために生きているわけじゃないし、不満を言うだけで終わっているは自分にも責任がある。誰かの言うとおりにして愚痴を言ってる方が楽だから。



自分の人生を、自分で生きていくためには、経済面だけじゃなくて精神的にも親から自立しないといけない。

そのうえで、自分が無理せず素直に付き合える人たちを増やしていきたい。




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