「言語にはコミュニケーションの道具としてだけでなく、考えるための道具としての役割がある」
化学者の言葉。
母語で学ぶから理解が深まるということは、言語学者だけが思いつくことではないんだな。
言語は誰もが触れるものだから当たり前といえば当たり前なんだけど、化学という別の学問の人が言っているのを聞くと、妙に反応してしまった。
数学者である藤原正彦さんの著書『祖国とは国語』で、日本人にとって国語の大切さが書かれていて、非常に感銘を受けたのが特に印象深い。
こうやっていろんな分野のスペシャリストが母語の大切さを語っているのを聞くと、すべての学問の土台には母語があるんだと思わされる。
コミュニケーションすることと考えることは違うレベルにあると思う。
もちろん言語は、それを使ってコミュニケーションを取るための大事な道具だけど、意識はせずとも、「考える」ためにも言語を道具として使っている。
「考える」深さは、母語の方が深いんだと思う。
一時期、朝の通勤電車の中でよく見かけていた小学生の男の子たちは、英語で会話していた。
どうやらインターナショナルスクールに通っている子どもたちだった。
3人くらいでゲームについて話していたけど、発音も綺麗で完全に英語を使いこなしていた。
「あんなに英語が話せて羨ましいな」と思ったけど、同時に引っかかるものもあった。
3人のうち1人は親が日本人以外の人なんだと見受けられたけど、他の2人はおそらくどちらも日本人の親だと思う。
日本人らしき2人だけで話す時も英語で話しているのを見た時に、「ネイティブのように英語が話せるのはすごいけど、果たしてこの子たちは日本語は話せるのかな?」と疑問に思った。
将来、英語圏で働くのであればそれでいいんだろうけど、日本にいて日本語が話せない、しかも見た目は日本人ということになると、困ることもあるんじゃないかと、他人の子どもながら勝手に心配してしまった。
バイリンガルというのは、いくつかのパターンがあるらしい。
2言語習得しようとするものの1言語しか習得できない場合や、2言語話せるようになるけど思考レベルが制限されてしまう場合があるらしい。
話すことも考えることもできる完全なバイリンガルは実は限られているんだとか。
考えを深めるためには、まずは母語をしっかり鍛えることが大事なんですね。
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