堅苦しい挨拶を抜きにすることの意味
こんにちは@tateshina_lifeです。
今日は人に話しかける時は唐突で良い、ということについて書いてみます。
僕はこれを中国で体得しました。
それまでは人に話しかける時には「失礼します」とか「こんにちは」、「本日はよろしくお願いします」などと型通りの挨拶を契機に会話を始めていました。特に深い考えもなくそうすることが当たり前だと思っていたからです。
それがNRIで北京と上海に駐在することになった後、大陸で生活をするようになってからは「皆さんは○○ですか?」とか「すごいTシャツ着てますね」のように自分の相手に対する興味や好奇心からいきなり会話を始めることが増えました。
仕事のミーティングでも「今日は実は怖いんです」とか「実は山に住んでるんです」という感じで自分の状態や、相手が驚くだろうと思うような自分のことから入ったりします。
中国では百貨店のテナントからコーヒーショップ、小さな売店から路上で野菜を売る市場まで、僕が珍しいものを一生懸命に見てそこにあるものが何かを興味を持って理解しようとしていると、お店の人から声がかかることが普通でした。それも唐突に。
「それ着ても良いよ」
「実は○○で作られたんだよ」
「安くしておくよ」
「どこから来たの」
挨拶は型なので意味はありませんが、こうやって本題をいきなり振られてしまうとこちらも応じざるを得ず、会話の端緒は切って落とされます。ものに対する興味は一旦置いて、目の前の事や人に好奇心は向けられます。
型を使わずに、中身をいきなり見せ合うので、驚きを伴いつつ、僕と相手は同じテーブルにつくことができます。これに乗っかってこない人は型の人なので、その場で本音のやり取りは難しいでしょうし、相手も型に則った意思決定をする人だということが分かります。
日本でも田舎だったり、都市部でも市場や売店のように個人色が強いお店ではこういったやり取りが残っているように思います。大阪を含めた関西はこんな感じですよね。
どちらが正しいということではありませんが、僕にとってはこのやり方は相手を知るという意味で「使える」方法で、日本に持ち帰ってそのまま仕事でも生活でも活用しています。
今日の会議、一番良いにくい、一番聞いてみたいことから始めてみてはいかがでしょう?
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