標高と自己肯定感は比例する:山に住もう
こんにちは、@tateshina_lifeです。
昨今、自己肯定ができないことで苦しんでいる人が多いように思います。
自己肯定感を高めるには環境を変えることが大事です
人間は外部環境を鏡として自己を認識する
親を含め外部環境が悪いと自己肯定感が低くなる
外部環境を変えれば自己肯定感をリセットできる
大きく変えれば変えるほど良い
人は動物ですからそれぞれが固有の能力を持って生まれてきています。本来であればその能力を社会=外部環境の中で発揮することが「生きる」ということです。
固有の能力は潜在的に刻み込まれていて、顕在化されることを今か今かと待っている訳です。それを生物学者はDNAから説明しますし、宗教家は宿命として説教するのかもしれません。
なぜ自己肯定感が低くなったのか
僕は小さい頃に両親や教師、場合によっては第三者(友達の親など)から「やりたいこと」を否定されて傷ついたことを少なからず覚えています。何をすべきか、何をするべきではないか、「良くないこと」は全てダメだと言われてきました。
僕なりになぜそれをやりたいのか、それが欲しいのかについて理由をつけて説得しようとしましたが、最後に決まって「屁理屈ばかり言って」と言われました。
”屁理屈”の定義もよく分からなかった僕は納得できませんでしたが、従わざるを得ませんでした。
こういったことが積み重なって高校、大学生になった頃の僕には自己肯定感は(当時は自信と言ったかもしれませんが)ほとんどありませんでした。何か新しいことに出会うたびに恐怖を感じてオドオドしていました。
自己肯定感を持つきっかけは何か
変えてくれたのはインターネット(当時のパソコン通信)で出会った年齢を超えた友人たち、そして中国での生活です。
音楽が好きということで知り合った友人たちは年齢も職業も生きてきた背景もライフスタイルも全く違う人たちでした。みんな歳下の僕をそのまんま受け入れてくれました。
就職して自分の意思で駐在した中国、僕は”外国人”の”異邦人”として強く認識されました。プレッシャーももちろんありましたが、僕がなぜそこにいるのか、について常に問われ続けている状況では自分の能力を発揮すること以外に何をする余裕もありませんでした。
自分(の能力)が本能的に発揮されたいと願って望んで投げたボールが、そのまま、あるいはもっと強い力で返ってくる。そのボールを強く受け止める。衝撃を感じる。手の平や身体全体で。
生きるってこういうことだと思います。
山に入るとなぜ自己肯定感が上がるのか
蛇足かもしれませんが、もう一つ。
山の中でトレイルランニングをしていると、生きているなと強く感じます。これはランナーの方であれば皆同じ気持ちを持っていると信じています。
山は不整地なので予測が効きません。
次の一歩、体勢をどうしようかと考えるまもなく急激な下り坂や大きな岩がどんどん迫ってきます。思考よりも行動を先になります。
そして自分の身体に行動を預けると自然と脚が出ていきます。出た先の衝撃を自然に身体で受け止めます。自分はこんなに柔軟に動けるのか、とビックリします。
生きるってこういうことだと思います。
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