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はじまりノ節(芒種)

芒種

暦の二十四節気*のうちの「芒種(ぼうしゅ)」は、毎年6月6日頃。次の節気「夏至」までの間を指します。
今年は6月5日。

芒種は、稲や麦など「芒」を持つ植物の種をまく頃。芒は、は、のぎと読みます。禾とも。米や麦などイネ科の植物の穂先から生える毛のような突起物。尖って種を包み守っています。今は5月が稲の種まき時期ですが、昔の暦では芒種の頃だったのですね。

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お米中心のくらし

お米は稲の実です。今も日本人の主食です。約2000年前に、その種は熱帯・亜熱帯の大陸から海を渡ってやってきた民族がもたらし、持続的な食糧確保が可能な稲作が始まりました。

海と山の自然に抱かれて”狩猟採集”してきた〈縄文〉とは異なる、”開拓”の世界の始まりです。
縄文は受け入れ、弥生は切り拓く生き方とでも言えるでしょうか。

いずれにせよ、稲のたくさんの実は、多くの命を繋ぎ、未来を見据えることを可能にしたのだと思います。農の人たちは、暦を作って作物によい時季を読み、品種を改良し生育法を研究し、今や、狩猟採集民の地で寒冷な東北や北海道が米の大産地となっています。

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田の神

一方で、やませ(東北の夏の冷たい風)や日照り、稲の病気、虫・鳥・イノシシなど自然によって引き起こされる「飢饉(ケガチ)」は繰り返され、その度に祖先は、山から降りてくるという”田の神”を祈り、願いました。稲が順調に実るように。
私たちは今も、米を作り食べて生きのびる、という祖先の強い意思を、田の行事や祭り、郷土芸能に見ることができます。

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米と山海の間の東北

北東北の縄文文化が、世界遺産(北海道・北東北の縄文遺産群 https://jomon-japan.jp/)に登録されます。

狩猟採集の地に、稲作という大陸外来文化と民が北上して遭遇したその時、東北の祖先は、何を思い、どのような選択をしようとしたのだろう?将来をどこまで見据えていたのだろう?

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私たちは今、旨い米や酒を戴きながら、
ここ東北に残り、伝わっている芸能や信仰文化に微かに匂う縄文からの融合と抗いの記憶を読み取ろうとしています。
どんな将来を見て、選択し伝えるのか、それが縦糸横糸合同会社の思いです。


*「二十四節気」は、春夏秋冬を24分割して暦にしたもの。日本の農耕サイクルに合わせて”旧暦”として使われていました。二十四節気をさらに3分割したのが「七十二候」。
昔と今の感じ方を”暦”を通して比較し、そのサイクルを体感的・知覚的・知識的に感じて、私たちのこれからの暮らしに活かせる種を見つけることを、このnoteは目指しています。




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