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鎖国とは事実上の保護貿易でもあったのではないだろうか?(画像は長崎出島Wikipediaより引用)


鎖国に関しての本当にキリスト教禁教が理由だったのか?

鎖国について、表向きの理由はキリスト教禁教ですが、島原の乱以降、キリシタンに対する締め付けは、さほど厳しく行われておらず、建前では禁教としながら、実際それ程厳しい締め付けは行われなかったようで、最近江戸期の経済発展を日本酒研究の部分から見ていて気づいた事は、鎖国の本当の理由とは経済的な理由であり、一つ目が江戸幕府が特権的に貿易の利益を独占する事と、二つ目が江戸初期の日本に海外へ輸出できる産物が、金、銀、銅と樟脳位しかなかったので、このまま貿易を従来通りに続けたところで商売的な部分での旨味が無いと考えた事も理由の一つだったんだなって感じるようになりました。

徳川吉宗公 画像

※画像は徳川吉宗公 Wikipediaより引用

八代徳川吉宗公の時代には米が余り出していた


ただ、五代綱吉公の元禄期を過ぎて、八代吉宗公の頃になると、今度は、新田開発や米の生産技術の向上により、米の生産量が増えすぎて米価の下落だけでなく、江戸を中心に食卓が以前よりも豊かに成った事や、米本位制下での米価の下落イコール各藩の財政悪化が加速した事もあり、この頃から商品作物の生産や生糸の生産、各地の名物と言われる郷土料理の開発が積極的に行われ、お酒に関しても上方を中心に市場での品質競争が本格的に行われた結果、徐々に灘酒が商品の品質で他を凌駕しだしたのが見えてきました。
実際、八代吉宗公の頃に一時、海外貿易の拡大も検討された事があったようですが、色々な事情が有り実行される事は無かったようです。

幕末の特産品開発の結果


ただ、江戸末期から明治半ばまでの日本の輸出品の主力が生糸であったり、江戸時代半ばから醤油や伊万里焼、干ナマコが輸出されているのをみると、事実上の保護貿易だった鎖国により緩やかではあったものの、海外と取引できる位の高品質の商品が日本国内で生産されている事に江戸幕府の幹部の方々も気づいていたように思います。

ひれ酒 上てっさ

※画像は大阪名物だった づぼらやの上てっさとふぐのひれ酒

考えてみれば、非常にクオリティーの高い地酒やの高い郷土料理が存在するのは世界中探しても日本位だと思われます。


考えてみれば、現代の日本で日本各地に郷土料理があり、地酒が存在できる理由を考えると非常に不思議な話でもある訳ですが、江戸幕府による260年続いた泰平の世の中の事実上の資本主義経済体制で、尚且つ事実上の各藩による自治体制が採られていたが故に独自の酒文化や食文化が存在するようになったのが本当だろうとは思います。

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