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#26 菜食主義の挫折(ヴィーガン引退会見)

12月7日。月曜日。慌ただしく一週間が始まる。昨日の疲れがだいぶ残っている。
そんな今日は、【菜食主義の挫折】について。先週(6日前)からやっていたヴィーガンの、引退会見になります。呆れる程に、つらかった。

先に書いておくと今回の記事は大作で、8000字近くあります。でも読んでほしいかな。

今日の記録

8時半、起床。9時からバイト。フルグラ×アーモンドミルク。略して、アモミ・グラ。バイトは座ってるだけ。Hartの訳を作成。

13時、バイト終わり。CoCo壱でベジカレー。研究室で昼寝。寝過ぎた。15時からのバイトに遅刻。地味に遅刻したのは初めて。
バイト。もうそろしんどい。年度内にはやめる予定。新しいバイトを探さねば。18時ごろ終了。

夜、海鮮丼。海鮮丼である。今日はこの話題になる。のち、Tully'sで翻訳の作成&提出。5日間で15ページ分の全訳を作った。なかなかではなかろうか。そうでもねえか。21時過ぎ、研究室。これを書いているところ。

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夕食の海鮮丼。ちなみにご飯の写真撮るの苦手。

菜食主義の挫折

この1週間、菜食主義(ヴィーガン)の実践を行ってみた。その理由、試みなどは一応↓の記事に書いている。要は、倫理的・道徳的な要請から(健康が理由ではない)、肉・魚・卵・乳製品の摂取を一切やめてみたという話。

今日の記事では、1週間ヴィーガンやってみて感じたことを、いくつかのタイトルに区切って紹介したいと思います。ほとんどが雑感です。しっかりしたまとめは、後々ちゃんと作成するつもり。

・・・

1.人はなぜヴィーガンになるのか?

まずはこの話題から。この1週間、ヴィーガン・ベジタリアンについて結構調べた。noteのいろんな人の投稿を読んだし、アニマルウェルフェアのHP、Vegewel(ベジウェル)のサイトなどを眺めたりなんなり。
で、そこで気づいたのは、「ベジタリアンの種類」(卵・乳製品・魚を食べるか否かなど)については詳しく解説されているのだが、「ベジタリアンになる理由の多様性」については、あまり詳しく解説されていないということだ。どのサイトも、「いろんな人がいろんな理由でベジタリアンになる」ということは説明しているのだが、それによって「具体的にどう実践が変わってくるか」については、あまり書かれていない。
が、大事だと思うので、僕がちょっと書く。

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やっつけで作ったが、菜食主義になる主な理由は、だいたいこの4つのいずれかと思う。

① 食肉への生理的忌避・嫌悪
…幼少期のショッキングな体験などから、どうしても肉が食べられないなど

② 健康
…肉を避けることは体によいため、菜食主義を実践

③ 動物倫理
…食肉は動物を不当に苦しめるものであり、許されることではない

④ 環境への配慮
…持続可能な社会を実現するためには、菜食主義になった方がよい

*追記:宗教的理由を完全に忘れてた。ただ見た感じ、少なくとも日本語のブログにおいては、この立場のものはほとんどいなかった。
あと一応、「留学先で習慣として身につけ今も実践してる」「旦那・妻の習慣に合わせて」というのも多かったが、そういうのは1つの理由としてまとめるのが難しかったため、省略しました。

多くの場合、これらの理由は各人に複合的に存在している。つまり、この理由のどれか一本でやっている人は珍しく、大抵は「菜食は健康的だし、地球にもよい」と行った具合で、薄く広く理由を持っているということ(僕の場合は③一筋であったが、、、)。

で、なぜこうした「理由」の区別をしたかと言えば、それによって食べられるものやその「実践」が大きく変わってくるからだ。雑にまとめると次のような感じ。

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少し説明すると、上3つは容認できるもの・できないもの、下3つはその実践や目標となる。一応、どれも「この理由一本で菜食主義になった」という極端な人を仮定している。

「毛皮製品」というのは、ファーコートなどに反対するかどうかだ。「健康」志向の人は別に気にしないだろうが、動物愛護を重視する人は、当然これを許容しない。「食」以外にも実践は表れるという話。

で、僕は環境主義からの菜食主義に詳しいわけではないのだが、これは多分そこまで間違ってはないだろう。あと、「健康」という観点から牛乳や卵を避ける人がいるというのは、今回発見したことの一つである。

・・・ここで、言いたいことは2つあって、1つは菜食主義になる理由は様々だということ。そして2つ目に、菜食主義になる理由によって、その実践や目標も変わってくるということだ。当然といえば当然だけれど。

とりわけ僕は最終段の「属性」(これは僕が勝手に名付けた)を重視している。①と②が個人的な実践、つまり「自分がよければとりあえずよい」というタイプであるのに対して、③と④は、社会全体で実現すべき目標を持っていると思う。つまり、「私」が菜食主義になるだけでは不十分で、「あなた」も菜食主義にならなければ達成できない目標を持っているということだ。この理解は重要だと、個人的には思う。

2.動物倫理からの実践

次は個人的な話というか、自分がどういう立場だったかについて。
僕はとりわけ「動物倫理」の視点から、つまり「動物に不当な苦しみを与えてはならない」という観点から、菜食主義の実践を試みた。

これは要するに、「食肉文化は、動物に対して不当な苦しみをもたらしている」という主張だ。「不当な」というのは、本来なら必要のない・避けることができるということ。
例えば動物愛護法の41条には、動物実験について次のような規定がある。

「動物を教育、試験研究又は生物学的製剤の製造の用その他の科学上の利用に供する場合には、科学上の利用の目的を達することができる範囲において、できる限り動物を供する方法に代わり得るものを利用することできる限りその利用に供される動物の数を少なくすること等により動物を適切に利用することに配慮するものとする」

ここで言われているのは、動物を用いる必要のない実験に動物を用いるな、用いるとしてもできる限りその数は減らせ、ということである。

で、僕はこれは、動物実験だけでなく、「食肉」にもこれをあてはめることはできルはず、と考える(ちなみに完全に、児玉聡(2020)『実践・倫理学』勁草書房、第6章をパクっています)。
我々が日々食べる肉(卵・乳製品を含む)の量を減らすことで、動物の苦痛を軽減できるのであれば、そうすべきであるということ。

これについては「食肉は人間の文化だから」「強い者が弱い者を食って何が悪い」という反論も予想されるが、その辺については↑の「菜食主義の実践」でも書いたので、ひとまずそちらを参照すべし。

・・・で、ここで強調したいのは、動物倫理の立場からは次のことがいえると言うこと。すなわち、

「この社会における『苦痛』をできるだけ減らそう。そして苦痛を感じるのは人間だけでなく動物も同じだ。だから、動物を不当に苦しめるのはやめよう」

ということだ。そして動物実験と同様、代替案がある限りは、「食肉」ではなくそちらを選びましょうということになる。僕は実際、かなりこれに賛同している。

念のため。「人間も動物も苦痛を感じる点で同じだから」と書いたわけだが、これに対する反論として、「いや、人間は動物と根本的に異なるでしょ」ということは言われるかもしれない。ただ、こうした主張を正当化するのには、相当な労力が伴うと思う。これも前記事にちょっと書いたので、ここではあんまり書かない。
一応、これを突き詰めると「人種差別」「性差別」と同じロジックに陥ってしまう、ということが言われている。詳しくは「種差別」でググるのがよいか。
何が言いたいかといえば、一方で人種差別・性差別を批判しつつ、他方で「人間(種)」を特権化して食肉を肯定するのは難しいという話だ。

3.菜食主義の困難

そんなわけで、倫理的な観点からヴィーガンになったたわけだが(僕が調べた限り、動物倫理の観点のみでヴィーガンになっている人はほとんどいなかった。①と②がほとんどで、残りは④という感じ)、肉はともかく、魚・卵・乳製品が食べられない生活は、とにかくしんどかった

ここで1つ、クイズを出させてください。すなわち、「次のうちヴィーガンが食べられる(購入できる)商品はなんでしょうクイズ」だ。

選択肢は「○ 食べられる」「× 食べられない」「△ 大半の場合ダメ」のいずれかです。みんなもやってみよう!!

・フルーツグラノーラ
・100円3パックの納豆
・海苔の佃煮(ごはんですよなど)
・食べるラー油
・コンビニのとうふ味噌汁
・アルフォート
・シュークリーム

ヒントを出すと、○が2つ、×が3つ、△が2つだ。君は何問解けるかな? 最低限、○が何かが分かればよいと思う。

それでは正解の発表。

<答え>
・○ フルーツグラノーラ
・△ 100円3パックの納豆
・△ 海苔の佃煮(ごはんですよなど)
・○ 食べるラー油
・× コンビニのとうふ味噌汁
・× アルフォート
・× シュークリーム

まず○について。フルグラはヴィーガンにとってのお供である。これは外せない。また意外なことに、食べるラー油にはガーリックなどしか使われていない。動物性の成分は、書いてある限り見当たらなかった。この2つがとりあえず○。

*追記(1209):「フルグラはお供」とまで言い切ってしまったが、実際は白砂糖が使われているので、動物倫理的にはダメだった(砂糖の精製過程には骨炭という牛の骨などが使われている)。だから実際は○じゃなくて、△か×になります(コメントでのご指摘ありがとうございます)。
無糖フルグラなら大丈夫なのだが、これはあんまり見当たらなかった。ので、砂糖不使用コーンフレークが一番よいと思う。

次に×について。味噌汁には多くの場合、出汁として鰹が使われている。魚を食べられないヴィーガンにとってはアウトだ。
アルフォートなどのチョコレート製品には、大抵の場合全粉乳が用いられている。これはれっきとした牛乳なので、ヴィーガンにも乳アレルギーの人にとってもアウト。
最後、シュークリーム。クリームを使っているので当然牛乳と卵が含まれる。のだが、僕はこれをヴィーガンを始めるまで知らなかった。小学校の家庭科からやり直してください。

そして、△について。なぜ納豆が△なのか、これは大抵のパック納豆には、鰹ダレが付いていることに由来する。納豆自体は問題ないが、タレでヴィーガンチェックに引っかかる。シソダレなら大丈夫らしい。
「ごはんですよ(海苔の佃煮)」について。これは基本、海苔と食塩でできている。だから大丈夫と侮るなかれ、そこには魚介エキスが含まれているのだ。

ちょっと立ち止まって成分表を見てもらうと分かるが、この魚介エキスというのはあらゆるものに使われている。実質、魚介エキスと卵と乳製品によって、ヴィーガンの食べられるものの大半が制限されていると言ってよい(たぶん)。

ただ、海苔の佃煮に関しては、魚介エキスを含まないものもあるので、そちらなら大丈夫ということになる。

*追記(1211)
よく見たら食べるラー油にも海苔の佃煮にも砂糖が使われていました。そして無糖のフルグラはほとんどない。ので、正しくはこうなります。

<答え>
× フルーツグラノーラ
100円3パックの納豆
× 海苔の佃煮(ごはんですよなど)
× 食べるラー油
× コンビニのとうふ味噌汁
× アルフォート
× シュークリーム

みなさん、白米と納豆を食べましょう。

・・・こんな感じで、ヴィーガンを徹底して実践すると、非常に甚大な労力を要することになる(ネガキャンみたいで申し訳ないですが)。ちなみに、楽がしたい人にはCoCo壱番屋のベジカレーがおすすめだ。僕は週6でこれを食べた。他にも素食カフェ・ベジ食品などはあるが、基本的に値段が高い。まあ本気で実践したければ、自炊しろという話なのかもしれない。

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素食カフェの食事。豪華だが、1400円。

そんな感じで、ヴィーガンを実践するのに非常に疲れてしまいましたという話。昨日とか、チャリ旅にも出かけいたので、そこで探すのも大変だった。続けられる人は多分、元から食への関心が高いのだと思う。

・・・ただ、これからも基本的にはベジタリアンの生活を送るつもり。例えば、肉を食べるのは1日に1回、あるいは週に1回にするなど。目標は「少しでもこの社会に菜食を根付かせる」なので、そんな無理にやらなくてもいいかなと思ってしまった。緩くいきます。

4.この社会への不満と、菜食主義者への不満

この章は愚痴になります。何を愚痴るかと言えば、社会におけるヴィーガンの生きづらさについてです。

この1週間、一応「マイノリティ」として生きてみて、いろいろ感じたとはある。ヴィーガンに向けられる視線の冷たさや、菜食主義への社会の無理解などなど。ただ、僕も今まで肉を食べて生きてきたので、そこまで社会やマジョリティを批判するつもりはない。

で、もし僕がこの社会に対して言いたいことがあるとすれば、もっと菜食主義を実践しやすくしてくれということである。「食肉は殺人だ Meat is Murder」とかはとりあえず言いませんので。

例えば、先日学食に行って驚いたのは、ヴィーガンが食べられる主菜が一つもないということだ。白米とほうれん草ぐらいしかなかった。うどんは食べられると思ったが、魚介由来の出汁が使われていた。
京大は国際色豊かで、結構マイノリティ文化への理解もあると思っていたので、これはちょっと驚いた。留学生でヴィーガンの人などはどうしているのだろう? 僕が知らないだけで、構内でそうした需要を満たせる場があるのか。

あと、コンビニなんかでもヴィーガンコーナーとかを設けてもらえるとありがたいなと思う。この1週間、日本の企業戦略として、ヴィーガンを対象とするという発想は全然ないのだなあと実感した(数が少ないので当然ではある)。「健康志向」「ベジタリアン向け」とされる食品でも、卵や乳成分なんかは結構含まれていたりする。

僕にとっての正義はCoCo壱にしかなかったという話です。サブウェイは近くになく、ヴィーガン向けといわれるファミマ商品も近隣のコンビニにはなかった。

・・・で、もう一つ、ヴィーガンの人に対する不満が少しだけある。それはネットで見かけるヴィーガンの多くの人が「私は自分のライフスタイルをあなたに強要しません」と言っていること。つまり、ヴィーガンは「個人的な」実践であって、あなたに何かを強要したり、あなたの考えを改めさせようとするものではないということだ。

自分の健康などの理由からヴィーガンになった人は、それでよいと思う。ただ、動物倫理・環境問題、あるいは「マイノリティの視点に立つ」などの観点から菜食主義を実践している場合、「私個人の実践です」ではダメなんじゃなかろうかと思う。

何度か言っているように、動物倫理・環境問題における目標は「社会的な」次元にある。最終的な目標は、「この社会のあり方」を変えることなのだ。「わたしは肉を食べませんが、あなたが肉を食べることは否定しません」という態度で、本当にこの社会に変化をもたらせると思っているのだろうか、それが僕は疑問だった。集団的な目標を掲げる以上は、当然集団で取り組む必要があり、社会の多数派を「説得」する必要があると思う。

ついでに言うと、個人的な実践を達成するという観点でも、「社会の側からの理解」は重要だと思う。社会の多数派が菜食主義に興味がない・あるいはそれを否定する場合、さっき書いたような、「コンビニでビーガン商品を増やし、菜食主義者が生きやすいようにする」というようなことも、実現不可能なはずだ。「なんでそんなことしないといけないの?」と言われるからである。
それに答えるためには、菜食主義の社会にとっての益を説明したり(環境によいなど)、それこそが社会的な正義であることを(動物にも権利があるなど)、社会の多数派に理解してもらわなければならないだろう。つまり、少なからず多数派に対して「考えを改める」よう促すことが必要ということだ。

noteや個人ブログなどを見ていると「食肉工場に反対して・環境問題の観点から菜食主義になった」けれど「私の考えをあなたに押しつけるつもりはない」と書いている人が多くて、それはちょっと、八方美人になりすぎなんじゃないかと感じたという話。「目的」と「手段」が噛み合っているのかどうか。

ただ、この点は書きながら「僕が間違ってるかもしれねえな」と思うところもあったため、あとで考えを修正するかも、、、 当然、個人レベルの実践が重要であることを否定するものではありません。
ただ繰り返すと、「私は私」「あなたはあなた」だと、問題は解決できないんじゃないかなと思ったという感じです(だからといって、全員にプラカード持って駅前に立てとも言わないけれど)。

5.バナナとの出会いと別れ

最後の話題は、「バナナ」です。

みなさん、バナナ食べてますか?

バナナ、とてもおいしいですよね。

安くて栄養価もあるし、素晴らしい果物だと思います(唐突なnoteっぽい文体)。

ヴィーガンの実践を始めた当初、バナナを見つけたとき「これだ!!」と思った。何より腹持ちがいいし、日持ちもそれなりにする。もうバナナだけ食っていけばいいじゃんと思ったものである。

で、僕はヴィーガンがバナナを食べてよいかは微妙な問題だと考える。それはなぜか?

時に「果物の王様」と称されるように、バナナには『王』としての人格が備わっていて、それゆえ苦痛や快楽を感じるから、ではないです。しかも果物の王様はドリアンか。まあそういう話は置いておいて。
なぜ食べるのが微妙かといえば、決して少なくない数のバナナが、東南アジアの農家からの搾取から成り立っているからである。以下の記事を参照。

で、何が問題かと言えば、「動物倫理」の観点からヴィーガンになる者の目的は、この世の苦痛の総量を減らすことにあった。動物もその対象になるわけだが、その前に当然、人間の苦痛も減らさなければならない。

こちらの記事をご覧になれば分かるとおり、日本の企業では「スミフル」のバナナが問題視されている。ちょっとサイトから引用すると、

ミンダナオ島コンポステラ・バレー州にある「スミフル」のバナナ梱包工場の労働者たちは、低賃金と劣悪な労働環境の是正、そして正規雇用を求めて労働組合NAMASUFA(ナマスファ)を結成し、長年にわたり声を上げてきました。

2017年6月には、フィリピンの最高裁が労働者をスミフルの正規の被雇用者として認める判決を出したにもかかわらず、スミフルはNAMASUFAとの団体交渉にも応じなかったため、組合は正式な手続きを経てストライキに踏み切りました(2018年10月1日)。しかし、そのストライキへの参加を理由に労働者らが懲戒解雇される、組合員が脅迫を受ける・銃撃されて死傷者が出る、さらには放火でNAMASUFA委員長の自宅を含む民家2軒と組合事務所が全焼するという事件まで起こってしまいます。

バナナの王様!!
バナナの王様!!
バナナの王様・完熟王〜〜!!完熟王〜〜!!
(深夜テンション)

でおなじみ、スミフルのバナナは、こうした点が問題視されている。おそらく、動物倫理・環境問題に関心のある人は、これらを見過ごせないのではないだろうか。

だから正確には、バナナそのものは大丈夫だけど、モノによってはあかんということになる。そうなると、我々は何を食べることができて、何を食べることができないのだろうか? 購入する商品は、すべてフェア・トレードのものにしなければならないか? おそらく倫理的にはそういうことになる。

だが、それを実践するのはかなり大変だ。コンビニコーヒーの豆がセーフなのかどうかを調べてもよく分からなかったし、僕は気になって、納豆の作成過程に搾取が潜んでないかを調べたりしていた。調べた限りでは大丈夫だったが、こんなことをしていたらきりがないとも思う。ちなみスタバの豆はフェアトレード豆らしいので、スタバを愛そうと誓った。

* * *

総括すると、「反・肉食主義」は倫理的には正しいかもしれないが、その実践はとても大変であるということ。おそらく、いきなり徹底的に実践するのは大変だし、その必要もないとも思うので、これからは緩やかにやっていくことにした。
ただその場合、「いつ・何を食べよいのか」が恣意的になりがちなので、自分に甘くならないかは大変だ。甘いのは搾取のない高級バナナだけで十分である。

たくさん書いたので、疲れた。読みにくかったら申し訳ないです(ここまで読んだ人がいればの話ですが)。これがベジタリアン・ヴィーガンの取り組みのなんかしらの助けになれば幸いです。

最後に一言。

みんな! 食肉は、可能な限り避けような!!

以上です。


<参考サイト>

○基本サイト
アニマルウェルフェア
アニマルライツセンター
Vegewel、などなど

○マイノリティとマジョリティの話〜LGBTとベジタリアンそしてカナダ〜
http://pioneer-lgbt.com/2017/12/12/majority-minority-japan/ 
この記事で言う①の立場からのベジタリアン。だが、その主張を政治的主張(マイノリティの生き方)に結びつけ、社会や多数派意識の変革を促しているところがよい。

○1カ月間、“ヴィーガン生活“をやってみて気づいた8つのこと。
https://www.huffingtonpost.jp/fumika-nagasawa/trying-vegan_a_23431285/ 
記事そのものも面白いのだが、特筆すべきはそのコメント欄。皆にもこの恐怖を味わってほしいものだ。

○環境主義からのヴィーガンの主張
https://paralymart.or.jp/kiquest/6948 
正直、僕はあんまり環境主義の議論を追えていない。斎藤幸平の本をちょっと読んだことがあるぐらい(のだが、斎藤氏は別にヴィーガンではなさそうだ。よくわからんな)。環境主義の論点ももう少し詰めて検討したい。

○noteでヴィーガンを発信している方
https://note.com/surim415/n/ndf1d53afb60b 
https://note.com/surim415/n/nbe396c318c97?magazine_key=m1ee26674c544 
noteでヴィーガン発信をしている人はたくさんいるのだが、この方の記事はとりわけよく読んだ。ほんわかしているのが特徴。「私は私、あなたはあなたでは不十分ではないか?」と僕が言うとき、わりとこれを念頭に置いてたりなんなり。

○児玉聡先生ブログ
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/vegetarianism.html 
倫理的・道徳的要請としての菜食主義の解説。僕の観点もこれに近い。詳しくはシンガーをちゃんと読むべきなのだろうが、現在まだ取り寄せ中。

○バナナ
本文で挙げたのがすべて。

○twitter
https://twitter.com/kyotovegandiet 
https://twitter.com/animotethics?s=20 
こちらをフォローして情報を追っている。特に下のアカウントはアカデミックな感じにも発信しているので、非常に参考になる。僕ももっと勉強してから書けばよかったな。

○砂糖と牛骨について
https://sushivoyage.net/sugar-not-vegan/
砂糖容認派のヴィーガンに対する熱いメッセージがある。「〔白砂糖はグレーゾーンだという人々は〕白砂糖まで言うと不便になるから、食べるものが減るからと思っていませんか。何のためにヴィーガンになったのかぜひもう一度考え直してみてくださいね

・・・元気があるときに追加します。