文(ふみ)は読まれにくいけれど
拝啓
物語は、とても力が必要だから、手紙でなければ、言えることはすごく少なくなるのかなと、考えています。
物についての雑文は、どうなのでしょう。
わたし何回も見て非常に考えています。
「一般人の文を読もうとする人がいるでしょうか?いませんよね」
そうです。でも、誰も知らない人も、自分の持っている力はどこかしらで出しておいた方がやっぱり、良いかも知れないですね。
便箋がなくなったら、物についておもうことを、物録を書いてはどうかとも、考えます。
歌を聴いてくれた人がいました。嬉しかった。
でも、すぐ話しかけてしまうからどうしましょう。これは文のことです。
封筒がなくなったら日誌(帳面)になります。帳面に話しかけて良いものでしょうか。
今日はわたしは、よく眠るつもりです。
眠れない日は、気になっていることをして下さい。
気になっていることが手に付かない上眠れないときは、実はそれをしようとしている自分が怖いので「怖い!怖いんだな?わたし」と言いましょう。
お布団で「怖いね。でもしないとね」と言うと、すぐ眠れることがありますよ。
よく眠れますように。(ふと嫌な予感がしたので書き足しておきます。よく眠ってそのまま起きなくなったりしないでください。ちゃんと起きてくださいね。)
もしこれを見たのが朝や昼だったら、その日の夜眠れなくて何も出来なかったら、自分と話してみてください。わたしはそんなのちっともおかしいとおもいません。 草々不尽
令和4年2月20日 日曜日付
Y.J
11.729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす
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難しいです……。