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勇猛果敢に人を愛する

 拝啓

 封筒は、あと11通分です。

 あと11通分の間に、あなたは単に優秀なのではなくて、理屈の通らない魔法を証明する人なのだと証明するために、わたしは態勢を整えます。

 今日は2011年(ご本人から訂正いただきました。2017年の誤りです。大変申し訳ございません。)2017年11月4日に届いた、その日に読んだ本の話をします。

 この本は、詩集です。わたしの「ことば好き」を嗅ぎ取るのか、わたしがSNSをすると「ことば好き」と「音好き」が大半を占めることになります。
 でも、わたしの生活周辺には、新しく刊行された詩集をチェックしに行って買ってきて読むということをする人はほとんどいません。

 割と頭の中が天然で詩人か、その逆かで出来ています。先日はオブジェのコンセプトがわりと心理的なので、作ったオブジェについて上手に説明できる資料として、心理学の本を紹介してしてくれませんか、とかで心理学の本を持って用事に出たりしたけれど、詩集を教えてと言われたことはありません。

 わたしは当時から、歌をうたっていたのですが、今とは様子が違います。
 酷い、自分に対して酷い言い方をすると、馬鹿の手遊びで、自分の生まれ持った性別や環境を越えるとか、馴染むとか、赦すとか、考えないで、納得できる場所を探そうとする、無謀なことでした。愛を知らない勇猛果敢さを持っていました。

 わたしは今でも、生まれたことに意味など無くても、貫きたいものは持っています。それが愛です。
 愛のためには、ときに無謀にもなるでしょう。
 そのことを思い出す。そんな感覚にさせてくれるものが「ことば」にも「音」にもあります。

 当時届いた本は「死水晶」という本です。
 著者は白島真さんという方で、わざわざメッセージを付けて、わたしに送って下さったのですが、手書きのメッセージでは「元気を出して」と書いてありました。
 本を送ってくれてまで励まさないと、酷く落ち込んでいるようなことがあったのでしょう。

 今後もあるかも知れないけれど、表現や出来事や、自分への挑み方も覚えてきたから、きっとこの本も血肉にさせてもらえたと言えます。

 まず12頁に

原野に放たれ
都市の肉を引き裂くおまえを見たかった
力強く疾走し
苦痛と不和とを削ぎ殺してしまうおまえを見たかった

「死水晶」白島真より抜粋

とあって、わたしもそういうものに憧れて
 そういうものになろうとしていたことを思い出しました。(やっぱり本のページで読んだ方がおどろおどろしさがありますね)
 大人しくて優しくて獰猛で残酷なのがわたしの理想的な人間の本心で、見たくもあり、そう居たくもあることを言い得てあります。

 勇猛な自分を、誇らしく感じられませんか。

 それから、当時のわたしは46頁の「澱む月夜」という詩に、お気に入りマークを付けています。

愛したのだよ
愛したのだよ
それでも愛したのだよ

「死水晶」白島真より抜粋

 悪魔のうめき声のようで、インパクトのある行です。当時のわたしは報われないでも納得できる自分発信の愛を体得したがっているときでした。
 今の方がこれに近くなっている(わたし個人は)かもしれません。脱線しましたけれど、重要なのは悪魔のようにうめくほどの愛の方ですね。

あのつきつめた烈しさは
命がけの〈嘘〉だった
と 言ってはみても
死んではいない 殺してはいない
それが本音だ

「死水晶」白島真より抜粋

 続きがこのようになっているのですが、わたしでも「若々しい!」と感じる連です。
 わたしには、命や人生を賭けて、人を愛することがあるけれど、その心を誰かに向かって証明したい気持ちに駆られることがあります。
 ハッピーエンドが一番良い。そうでなくても、証明したい。それは命を落とせば証明できるという時代でもなくなって、命の証明にもなってくる。良い重々しさを感じることばに見えてきます。

 街の巨大広告に、時々突然こんな重々しい言葉が表れて、みんなが忘れてるふりした心を取り戻して良いと、安心できるといいのに。
 わたしの思い出したかったのは、報われない悲しみではなくて、この、傷付いたようになりながら勇猛果敢に人を愛する姿勢です。

 この本を読み返してみて、感情の塊みたいなことばの群れに、やっぱりパワーがあることを思います。

 この、簡単には言い様のない、愛や人への思い、人への感情、自分を何だと思う?とか、それをどうにかして言葉の形にして表そうとする烈しい引っ掻き傷のようなものが、活字から感じ取れる不思議な現象です。

 読んで、感じてみて欲しいと思うものを、今日は紹介してみました。
 敬具

 令和4年2月15日 火曜日
 Y.J



11.729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす


難しいです……。