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38通目 命しか持っていなくてもしたいこと

 インターネットサービスのページにログインできなくて必死になっていた夜。

手書きの手紙

 何もないところで、何かがあると思っていた気がします。三年半前も。
 一年前、約一年前、今年の一月、去年の十二月、二年前から一年弱前にかけて、わたしは自分に何もないことを学び直していました。

 才能、人に誇れるほどの経験、有名な賞の受賞歴、「いい人」以外の関わってもらえる理由、仕事を任せてもらえる程の有能さ、好きこそものの上手なれ。

 好きです。愛している。
 存在している理由がなくなっても、誰かに気持ちを伝える意味すらなくなっているように感じて、黙っていることしか出来なくなっても。

 何故行動しないのかと、その間、自分によく言いました。
 そのころのわたしは、人が結局自分の好きなことのために行動しているだけだと、知らずにいたのです。(追記。好きなことのために行動しているとは、シンプルな、良いことでしょう)

 知らないなんてことあるかという顔をされます。
 本当に知りません。だから生きたいと思うことさえ罪だろうかと、考え込んでいました。

 部屋は毎日蒼暗く、このまま死んでしまいたくないという我儘な気持ちを無理矢理通して、今も若干、無理に通しているのでしょう。

 それで、好きなものから探し直して、自分には何もない(訂正。持っているものが何もない)ことを確認し直して、友情も愛する人全部、家族も、いないとか、これから先全てを失っても、命だけがあったら、どうする?と考えて、命だけあったら、食べるより先に歌をうたい、文を書きました。

 実際に、当時のわたしには「お人好し」とか「いい人」とか「粗末に扱っても優しくしてくれる」の(追記。都合の良い、自分では後悔しか出来ないような)理由で関わる友人しかいないように感じられていた。

 自信を持つには、わたしが命しか持っていなくてもするだろう
(好きな)ことを、忘れないでいなきゃなりません。

 それは愛すること、伝え残すこと、最適な伝え方を見つけ出そうとすること、生きてる間に。
 嫌われないようにいい顔することだけ上手だったら、あとは家柄や学歴でどうにかなったかもね。(追記。いい気分でいることぐらいは)
 だけど、わたしにはそれでは証明出来ないようなことがどうしても大事なです。 草々不尽

 二〇二一年十二月七日



11.729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす 38

難しいです……。