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未来日記

今俺は、富田林のバイクカスタムショップにお邪魔して、自分のバイクの加工をしている。
フレームのシートレールをぶった斬っているところだ!

いわゆるチョッパーにしている状態だ。
日本車なんだか、チョッパーはチョッパーだ!
コイツを早く完成させて、仙台のツーリングクラブに来週から合流するんだ。

ここにはぶらっと遊びに来て、近くの太子温泉に宿泊している。

数年前に法人を立ち上げ、情報発信ビジネスも軌道に乗り、株式投資も好調なので、こういった自由な時間が持てている。

群馬県の温泉宿も購入してログハウス風にリフォームし、サウナも増設した。
そこが、本拠地だ。

妻の実家の畑で野菜が取れ、猪を狩れるのでほぼ自給自足の域に達している。


サラリーマン時代には、まるで考えられないことが現実になった。

時間と場所が制約され、自分の意思とは関係なく進めなければならないタスク!

そのために奪われる自分の時間。

会社都合なのに何故かルールだと言われ、会社以外から収入を得ることを禁止されているが、そこまで規制をして満足する給料を与えてくれる訳でもない。

日本国が副業の推進をしているにもかかわらずだ。

多くのサラリーマンは酒を飲んで、この理不尽な事実を誤魔化して、『仕事に生きるだ!』とか『命を賭けるだ!』とかなんだか分からないマトの外れた言い訳を必死にして、自分を一生懸命正当化している。

でも、楽しく飲んでいる訳ではない。
むしろ、酒癖が悪い。

一時期は俺も、このサラリーマン環境でも楽しんで仕事ができて、やりがいがあればそれで良いと思っていたが、働き過ぎて身体を壊して入院したときに会社は何もしないことや、(有給があるからいいだろう程度、まあありがたいが)

転勤させられることにより、自分の意思で人生を転がせることが不可能だと悟ったときに、全てにおいてバカバカしいことに気付いた。
(まあ,この転勤のおかげで土地勘が広がったメリットも大きいが)

結局は、他人(自分で選んだわけでもない上司)の目を気にして、媚びを売る社内営業をするか、その目を気にしないで自分(おのれ)を貫き通して自分の意思で人生を転がせないことを選ぶのかの二択なのか?


こんなことをするために、わざわざ新潟の田舎から千葉の大学に新聞奨学生をしながら通って、4年間での卒業が危ぶまれるので、途中で新聞配達を辞めてバイトを掛け持ちしてまで、卒業する価値があったのだろうか。

育英奨学金というデカい借金まで負ってさ。


戦後の詰込型ロボット育成教育に、すっかり染められてしまっていた。


あまりにも無知すぎた。
(がでも、あの時はそれで良かったんだ。
おかげで、人生の幅が広がったじゃないか!
そして、目覚めたのだからココにこれたんだろ?)

が、今は違う!

行きたい場所も、時間も、やりたい仕事も、周囲の人間も全て自分で選べる。

これが本当の自分を生きるということだ。

これが、俺の未来だ。

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