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海太郎、海を行く #4 トビウオ

おまえは周りへの愛がない。昆布に言われて、たしかにそうかもしれないと海太郎は思った。

おっとうと、おっかあの元へ戻るべきか。

でも…。

まだ大切なことを海から学べるかもしれない。海太郎は、そのままユラユラと足ヒレを掻き続けた。

海面を見上げると、魚たちが、あらゆる角度から行き来してキラキラ交錯している。まるでスクランブル交差点のようだ。

そんな魚たちの中に、ふと、姿を消してしまう魚たちがいることに海太郎は気付いた。

トビウオだ。

海水を切るように突き進んでいたかと思うと、突然、海面の膜を破って海上へと飛び立ち姿を消す。

楽しそうだなあ。

海太郎はトビウオに声をかけてみた。

「おい、きみたちトビウオは、なぜ飛ぶんだい?」

「なぜって、怖いからだよ」

「怖い? 何が怖いんだい?」

「主にマグロやシイラかな。彼らに食べられないように、俺たちは、こうして時折、海中からテイクオフして海上へと飛び出すんだ」

一見楽しそうに見えるトビウオも、その実、生き抜くために、必死に飛んでいるのだな。

目先の出来事だけで判断するのではなく、物事の本質を見極めろ。

海太郎は、昆布に言われた言葉を思い出していた。

「おい、海上へ連れて行ってやろうか?よかったら尻尾に掴まれよ」

「え、いいのかい?」

「ああ、掴まれよ。しっかり捕まっていな。振り落とされんなよ」

海太郎がトビウオの尻尾を掴むと、そのままトビウオセーリングが始まった。

「うわあああ!速いなあ!」

トビウオは海中をぐんぐん加速していく。

「どうだい!勉強なんて、どうでも良くなっちまうだろ? 学校なんかやめちまいな!学校の勉強なんかより、生き抜く術、生き残る術を、ここで学ぶほうが、よっぽど為になるぜ!」

いえ、あの、自分は学生ではありません。社会人です。素潜り漁師です。そう言いたかった海太郎であったが、トビウオセーリングのスピードが思いのほか速く、掴まっているのに必死だったため、流れで、つい「はい!」とだけ答えてしまった。

やがてトビウオは、さらに加速し、海太郎を引き連れたまま、ついに海面を突き破って海上へと飛び出した。そして海上、海中、海上と、両界を行き来しながら、爽快なトビウオセーリングは暫し続いた。。

最高だ!こんな気分はいつ以来だろうか。感激に浸る海太郎を尻目に、トビウオはなんてことないといった表情だ。

「まあ、こんな感じかな」

「ありがとう!楽しかったよ!」

「で、きみは俺になにをしてくれるの?」

「え?」

「俺はきみを連れて泳いで飛んだけど、こんなの別に楽しくないじゃないか。むしろ普段より尻尾が重くて大変だったよ。だから、きみだって俺に何かしてくれないと割りに合わない」

確かに、トビウオが言うことに一理ある。彼は普段、生きる為に泳ぎ、生きる為に飛んでいるのだ。

そうだな、と、海太郎は思案を巡らせた。自分がトビウオにしてあげられることは何があるだろう。海中には貨幣なと存在しない。よって運航費を払ったところで、トビウオにとっては、そんなのお荷物である。

さて、何が出来る? 何をしてあげられる?

海太郎は思案を重ねた末、トビウオに告げた。

「ここでマグロやシイラが来ないか、見張っててあげるよ」

「おお!そいつは助かるぜ!」

海太郎はトビウオと契約を結んだ。トビウオを狙うマグロやシイラが接近してきたら「旦那、来やしたぜ!」と教えてあげて、無事、危険回避となったら、トビウオセーリングに連れて行ってもらえる。双方の利害は一致した。

だが、契約成立以降しばらく経つと、海太郎は、自分は一体、ここで何をしているのだろうという、どこか解せない感情に苛まれた。

ここ最近、常にマグロやシイラの監視に追われ、くちにする言葉も「旦那、来やしたぜ!」ぐらいしか発していない。

なんなんだこのルーティンは。生きるか死ぬかの大海原だというのに、なんなんだこの突然降って湧いたような生ぬるい黒潮海流のような互助会システムは…。

トビウオセーリングは確かに楽しい。だが、それは一時の娯楽に過ぎない。ほんの僅かな娯楽のために、果たして、この互助会システムに身を沈める価値などあるだろうか? 今の自分は、大海原を移動して、もっとたくさんの海洋生物たちと触れ合って行くべきではないだろうか?

後方から、巨大な本マグロが突進してきた。

「旦那、来やしたぜ!」

「おお、せんきゅー」

トビウオが海上へ飛び立って行ったのを見届けて、海太郎は一帯の海域から離れる決意を固めた。

なあに、元々トビウオたちのあいだには、俺の警報システムなど存在していなかったのだ。つまり、俺がいなくたって、彼らの生活は成り立っていたのだ。

やめるなら、ぶっちぎるなら、早めのほうがトビウオたちにも迷惑がかからない。

黙って去るのは、さすがにマナー違反であると思った海太郎は、海底の砂地に、せめてもの書き置きを残していった。

トビウオ殿。大変申し訳ございませんが、私にはマグロ及びシイラの接近監視業は向いていないとの決断に至りました。誠に勝手ながら、本日をもって契約を解除させていただきたく、このような砂地メモを記録させていただきました。事後承諾となってしまいましたが、何卒、ご理解いただきますよう、宜しくお願い申し上げます。貴殿の今後のさらなる発展ご活躍を、陰ながら、海藻の陰から見守らせていただく所存です。

これで良かったのだ…。

そう自分自身に言い聞かせながら、海太郎は次なる海域を目指した。

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