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映画レビュー『お葬式』伊丹十三が言いたかったこととは?

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私が映画をみるスタンス、それは学びを得るということ、つまり楽しみながら学習するということだ。その意味において、この伊丹十三監督の映画『お葬式』は、かなり影響をあたえてくれたと思っている。

父との死別、従弟(2歳年下)突然の死、大学時代の友人その急死。それぞれ伊丹十三作品での学びをとおして、葬儀に臨んだ記憶がある。

病院での死亡確認から通夜・告別式までの流れは、この作品を通じて、どうあるべきか!をおぼろげながらに頭に入れさせてもらった。これは人生において大きな意味をもっていたと思う。伊丹作品は、シリアスな題材をコミカルに描いた。これはありがたい作り方と言える。だからこそ、その学びは、私の血や肉になったんだろうと思う。

*あらすじ
夫婦とも俳優の井上侘助(わびすけ・山崎努)と、妻の雨宮千鶴子(宮本信子)は、テレビCMの撮影に臨んでいた。そこに1本の電話がはいる。妻の父・新吉が亡くなったというのだ。この葬儀を取り行うのは、当然のこと侘助ということになる。急ぎ病院に駆けつけた夫婦。マネージャー里美(財津一郎)に相談しながら、今後の話しを詰めていく。

けっきょく葬儀は、侘助の自宅で取り行うこととした。自宅はかなり山深い山林のなかにあったが、ここに次々と関係者が集まってくる。葬儀屋や親族・近所の人たち。そのなかで段取りを考えていく夫婦・マネージャー・葬儀屋だったが、良からぬの人物も混じっていた。わび助の愛人・良子(高瀬は春奈)だ。

手伝いできたフリをして、侘助を林のなかに誘い込む。自分への愛情を確かめるためだった。そのとき、妻の千鶴子は、ブランコの上に立ったまま、それを揺さぶり、天空をただボーッと見つめる。

通夜と告別式を終え、やっとのこと、安堵する夫婦。弔問客をすべて見送ったあと、妻はわずかに微笑み、そっと夫を手を握り締めるのだった。

*伊丹十三が言いたかったこと?
はじめ、葬儀が始まる最中に、愛人との情事となる主人公の侘助。そんなこと絶対ありえないでしょう!とも思えるが、この部分が大事だったようだ。フェミニストでもある伊丹。夫の侘助に愛人がいるの気づいている妻・千鶴子。知ってはいるが、絶対に自分の口からは言わない。夫はただ遊んでいるだけ…。それを重々承知で、自分の手のひらで泳がさせているということだ。

もう一つ、特徴的なシーンがある。精進料理の前での挨拶。本来なら侘助がやるはずであった。ところが急に、故人の妻(菅井きん)が自分がやると言いだす。それならやってもらおうという侘助。ここで4分にもなる長セリフがある。妻としての心残り、これから1人で暮らす覚悟、参列者への感謝の言葉。監督の伊丹十三、主役が女性であることを訴えたかのようだった。

*エッセイストだった伊丹十三
とにかく、その才能ときたら、多岐に渡っていた。CMを手がけたり、雑誌を編集したり、イラストも書いている。たんなる俳優では無いのだ。そんな伊丹はよくエッセイも残している。そのエッセイのなかに伊丹の本質が凝縮されていた。

伊丹いわく「女は猫であって欲しい。男の尺度では推し計れぬものであってもらいたい」。また、こうも言っている。「女性の対人関係の良さは、社会によって作られるものであり、性差別の産物だ」と。

社会であっても、家庭にあっても、主人公は女性なのだ。働き、子育て、差別とも戦う。これは男には真似できない。伊丹は「女性はこうあるべき!」という考えはなかった。逆に「こんなところが男より勝っている」そんな思いを常にずっと持っていたのだ。

*映画のつられた時代背景
1984年につくられたこの『お葬式』。この時代の日本、自動車産業では、生産台数が米国を抜き、世界第1位となる。

一方、世界においては、各国首脳が新たな政策に舵をきった。米国のレーガン大統領、英国のサッチャー首相は、新自由主義を打ちだす。まさに競争社会の幕開けだった。

その後、日本においても、この新自由主義により社会が塗り換えられていく。「人と人とのつながり」そのものが希薄化して、強いものが勝ち、弱者は切り捨てられていった。

まとめ
この映画が封切った1980年代は、まだ自宅葬が一般だった。それが1990年代からは葬儀社で行うことが多くなったという。2020年代の今日では、自宅葬は5%未満だそうだ。

葬儀社での通夜や告別式、いろいろ工夫はされているようだが、「人のぬくもり」をあまり感じない。手作り感は無いし、時間をかけて個人との別れをする!そんなこともできない。やはり人と人との関係はどうしても薄くなってしまう。

近所への配慮や、様々な準備と片付け。その負担が大きいのは確かだ。ただやはり言えるのは、葬儀には「ぬくもり感」が欲しいという事。それに尽きると思う。

この映画『お葬式』では、人と人との交流、その暖かさを感じられる。現代人の我々が置き忘れた、「社会のぬくもり」、それを感じるのは私だけだろうか。

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