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偽書・シオン賢者の議定書とは⁇(4)

近代ロシアのユダヤ人迫害史

 19世紀のロシアは他のヨーロッパ諸国に比べても多くのユダヤ人が住んでいた。その人口は全ユダヤ人のおよそ半分━━約400万人だという。

 その多くは中世末期、ドイツやフランスから追放され、ポーランドに定住した子孫だ。(19世紀のポーランドはロシアの一部だった)
 クリミア半島のユダヤ人は2000年前に移住してきたという。キリスト教はまだなかったか、極めて初期のころだろう。

 彼らはロシア領内でユダヤ人だけで固まって住み、言葉もイディッシュ語を話し、ユダヤの戒律を守って暮らす正統派の人々だった。

 ロシア人から見ると、言葉も通じず、したがってお互いの意思の疎通があまりなく、何を考えているのかわからない異質の文化の人々。
 どこか神秘的であり、不気味な存在でもあった。
 また、彼らの宗教が持つ選民意識も、キリスト教徒のロシア人にはあまり良い印象を与えなかった。

 もちろん、仲良く暮らしている地域もあったが、疫病や経済悪化など社会不安が高まると、その不安のはけ口はユダヤ人に向けられた。

 ユダヤ人が自分たちに見えないところで、ロシア社会を脅かそうとしているという考えは『シオン賢者のプロトコル(議定書)』(以下「プロトコル』)が世に出る以前からあったのだ。


 1881年3月13日、皇帝アレクサンドル二世がニヒリストの集団に暗殺された。その犯人の中に一人ユダヤ人女性ハシャ・ヘルフマンが含まれていた。

 アレクサンドル二世は立ち遅れたロシアの近代化を進めるため、積極的に自由主義や資本主義を導入し、工業化を進めた。そして、ユダヤ人開放政策をとっていたのだが、犯人グループにユダヤ人が含まれていたことで、反ユダヤ感情が高まった。

 ガリチア(ポーランド南東部からウクライナ北西部地域)から、ポグロム(ユダヤ人殺戮)が始まった。

 1882年5月、アレクサンドル二世の息子のアレクサンドル三世は、「ユダヤ人関連臨時法」(通称五月法)を施行した。
 ポーランド西部にユダヤ人居留地を設け、そこにユダヤ人を強制移住させた。また、移動制限、職業制限、少年の徴兵などの政策で弾圧した。
 復讐といってもいいような政策だ。

 狭い地域に押し込められたユダヤ人たちは、たちまち生活に困窮し、生きるために国外に脱出。西へ西へと着の身着のままで逃げだした。ドイツへ。イギリスへ。そして多くがアメリカに亡命した。その数は10万人に達した。

 1868年から大々的な反ユダヤキャンペーンが行われ、1875年ごろに最高潮に達した。
 その結果、一部のユダヤ人が革命組織に入るようになる。その多くは社会民主党だった。
 やがて社会民主党は二つに分裂し、メンシェビキとボルシェビキになる。

 歴史家ノーマン・コーンはいう「ユダヤ人が迫害されたのは、1860~70年代のテロリズムの中で何らかの重要な役割を彼らが演じたためではない。順序が逆だ。アレクサンドル三世治下の弾圧の結果、ユダヤ人の一部が革命運動に追いやられていったのである」

 彼らは革命組織の中では少数派であり、ユダヤ教を捨て、ユダヤ共同体からも離れた「元ユダヤ人」であることに、注意を向けるべきだろう。

 ニコライ二世の治世(1894~1917)に代わっても、五月法は生きていた。
 ニコライ二世は最初のうちはユダヤ人弾圧に消極的だったらしいが、弾圧をやめたわけではない。
 警察による組織的なポグロムが行われたのだ。

ロシア最後の皇帝ニコライ二世
Wikipediaより

 ポグロムというのは自然発生的に起こることはない。誰かが組織し扇動して、徒党を組んで襲撃するのだ。それに警察が積極的に手を貸していたのである。


『プロトコル』はなぜ作られたか

 そして、1881年にアレクサンドル二世暗殺後に創設された公安機関、ロシア帝国秘密警察オフラナのラチコフスキーの手によって『プロトコル』が偽造され、フランスからロシアに持ち込まれた。

 ラチコフスキーの戦術とは、すべての左翼政党(穏健派から極左まで)をユダヤの手先と決めつけること。
 ロシアのブルジョワジーとプロレタリアートに、左翼政党に対して幻滅させ、積もりに積もった帝政への不満を全部ユダヤに転嫁することだ。
 その反ユダヤキャンペーンに利用するために作られたのが、『プロトコル』という文書なのである。


 ただ恐ろしいのは、世界征服をたくらむ秘密結社などという荒唐無稽の話をいともたやすく信じてしまう土壌がもともと人々の中にあり、だからユダヤ人は殺してもよいのだという短絡的かつ凶暴な発想にとびついてしまう人間の暴力性━━そこにつけ込み、社会を裏で操る真の陰謀の首謀者が、確かに存在するということだ。



                                 了




参考資料

シオン賢者の議定書 ユダヤ人世界征服の神話
       ノーマン・コーン著 内田樹訳   ダイナミックセラーズ

ドラキュラの世紀 ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究
       丹治愛著                東京大学出版会

歴史読本臨時増刊’89-3 超人ヒトラーとナチスの謎
  ユダヤ陰謀説とゲルマンの霊的起源
       矢代梓著                 新人物往来社


  

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