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将門を祀る?乗願寺(青梅市)

 天寧寺に行った帰り、ついでに三田氏ゆかりの乗願寺にも立ち寄ることにした。

 東青梅駅に向かって戻り、線路が見えたら西に曲がって線路のわきの細い道を進む。時折、青梅線が通り過ぎる。単線なので、電車は東から西から交互に来る。

 すると、レトロな洋風の木造の建物が現れた。

 勝沼公会堂だそうだ。昭和十四年[1939]に建てられた。公会堂の名があるが、どちらかといえば地元の集会場的な存在らしい。

 戦前の木造建築なのに、状態がいいというか可愛らしい。

 その公会堂の背後の丘の上がめざす乗願寺である。

公会堂のすぐ横の駐車場
石垣の上に寺が見える
山門

 勝沼山乗願寺は時宗の寺。本尊は阿弥陀如来。

 正安二年[1300]三田下総守長綱が、日輪寺で行われた平将門の供養に列席した時に、他阿真教上人に会い、その徳に感じ入って上人を招請して開山したのが始まりだという。

 また、一説には鎌倉光明寺第二世の白旗寂恵の弟子、箕田定恵が開基したともいう。

 『新編武蔵国風土記稿』によると、開基は三田弾正綱秀ともいう。


 真教上人といえば、荒廃した将門塚に蓮阿弥陀仏の法名が刻まれた板碑を建てて供養し、その傍らに時宗道場(日輪寺)を開いた人。その時期は徳治二年[1307]といわれているので、正安二年より後の話になる。どちらかの年代に誤りがあると思われる。

 日輪寺は以前に訪れたので、詳しくはこちらを。

 石段を登って山門の下に立ち、後ろを見るとすぐ下に線路がある。寺の参道は踏切の向こうから続いていた。 

歩行者専用の小さな踏切がある
本堂

 山を削って本堂がある。背後の斜面には墓地。お彼岸の墓参りをする人が、幾人かいた。

 永禄六年[1563]三田氏は北条氏照が指揮する軍勢と戦い滅亡した。そして庇護者を失った乗願寺も衰微する。

 また、天正十八年[1590]前田利家、上杉景勝の軍勢による八王子城攻めの際に、戦禍を受けたという。この時の兵火で寺の記録なども失われたそうで、寺の開基に複数の説があり、はっきりしないのはこのせいだろう。

おや、何かあるぞ
目だっ!!
反対側には無かった
目があるのはここだけ
魔除け?妖怪っぽい

 慶長年間[1596~1614]に、二十四世覚阿性海が再興し、江戸時代の慶安二年[1649]三代将軍徳川家光から阿弥陀堂領として三石の朱印状を拝領した。その後、安永五年[1776]と寛政二年[1790]に堂宇の修復がなされた。

 寺宝として、三田綱秀の兜前立てと正絹の軍旗が伝わっている。どちらも青梅市の有形文化財に指定されているそうだ。


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