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四谷怪談の現場を歩く(11)

隠亡堀の怪異

漂流する遺体

 新妻お梅と伊藤喜兵衛を殺害し、すべてを失った民谷伊右衛門は四ツ家を出て、大川(隅田川)の東岸に潜伏する。一方、直助も権兵衛と名を変えて鰻漁をしている。二人が再会する場所が隠亡堀だ。

  東京メトロ東西線の東陽町駅を降りて北に向かって歩くと、横十間川親水公園がある。江戸時代に開かれた多くの運河の一つを公園に作り替えたものだ。
 江戸時代、この辺りは十万坪と呼ばれる広大な原っぱだった。元々は大湿原だったのを、江戸市中から出る大量の塵芥で埋め立てた土地である。享保の頃からは徐々に新田に開発されていった。元は湿原だったので池も多く、明治維新後は金魚の養殖が盛んだったとか。
 横十間川親水公園を小名木川に向かって歩いていく。いくつかの橋の下をくぐると岩井橋が見えてくる。

奥に見えるのが岩井橋
岩井橋
水をせき止めて工事中

 この岩井橋のあたりを隠亡堀おんぼうぼりといった。隠亡(隠坊)とは、火葬、埋葬、墓守などを生業とする賤民のことである。この付近に極楽寺の阿弥陀堂という荼毘所(火葬場)があり、周辺は「砂のおんぼう」という俗称で呼ばれていたという。(砂は砂村からきている)


 この隠亡堀で直助権兵衛は鰻掻きをしていて、水中から一つの櫛を拾う。櫛には髪が絡みついており、最初は汚いなと顔をしかめる直助だったが、よく見ると美しい細工がしてある。これは金になるかもしれないと、懐にしまい込む。

 そこへやってきたのが、深編笠に釣り道具を持った伊右衛門と母親のお熊だった。お熊は息子の死を偽装するため息子の名を記した卒塔婆をたてて去っていく。
 直助が伊右衛門に声をかける。二人が遭うのは浅草裏田圃の浅間神社以来だった。伊右衛門は伊藤を斬ったのは秋山、関口、伴助らだと嘘をつく。
 そこに伊右衛門を探してお梅の母、お弓が現れる。伊藤の家は没落し、お弓は乳母のお槇にも死なれて、たった一人ここへたどりついたのだった。伊右衛門は深編笠で顔を隠して息をひそめた。
 お弓は伊右衛門の卒塔婆を見つけて驚き、傍にいた直助に声をかける。直助は伊右衛門は死んだこと、犯人は別にいると教えてやる。呆然とするお弓の背後から伊右衛門が近づき、お弓を堀に突き落とした。
 それを見届け、直助は一旦退場。

 「いらぬ殺生をした」などとつぶやきながら、釣りは続けるのが伊右衛門という男。辺りは夕闇が迫っている。鐘の音を合図に竿を引き上げると、針が菰に引っかかる。伊右衛門が菰を引き寄せはぎとると、菰の下からお岩の死骸。伊右衛門は思わず「お岩、お岩、許してくれろ!」と叫ぶ。ついさっきお弓をためらいなく殺した冷酷さはどこへやら。この男は時として、弱い一面をさらけ出す。
 伊右衛門がお岩の乗った戸板をひっくり返す、すると顔にびっしり藻がかかった男の死骸。その藻がばさりと落ちると小平がにらみつけている。
 「またも死霊の!」伊右衛門は刀を抜き死骸に斬りつけた。と、一瞬にして死骸は白骨となり、水中に落ちた。

 その後、再び直助が姿を現し、更に与茂七も通りがかって、暗がりの中三人の男たちが入り乱れる。与茂七の懐から大事な廻文が落ち、直助が拾う。伊右衛門が直助の鰻掻きの棒を斬る。与茂七は半分になった鰻掻きを拾う。三人は顔を突き合わせ、仰天したところで灯りが消え、三方に別れていく。
 


 神田川に遺棄した戸板の死体が、流れ流れて横十間川に。いったいどうやっても無理な話。

マップ:Microsoft .Zenrin.

 ここを戸板返しの場に選んだのには訳がある。ひとつは隠亡堀という死を思わせる不吉な場所。もうひとつは、ここで実際体を結びつけた心中者の死骸が発見される事件があったこと。しかも、それを発見したのが鰻掻きの男だった。直助が鰻掻きになったのはこの実話を元ネタにしたのである。

上:江戸切絵図(国会図書館蔵)
下:google map

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