四谷怪談の現場を歩く(4)
序幕―浅草寺
事件の始まり
『東海道四谷怪談』は浅草寺の境内で始まる。
お岩の妹のお袖は境内の楊枝屋で働き始めたばかり。彼女は年老いた父四谷左門と、身重で体調を崩しているお岩との生活を支えるべく、昼は楊枝屋、夜は体を売っている。
実は、お岩は父親によって伊右衛門と無理やり別れさせられていたのだった。
予想通り、浅草寺は観光客でにぎわっていた。コロナ対策の規制が緩和されたので、海外からの旅行者も漸く増えてきたところだ。初詣や縁日でもないのに、列に並んで参拝するのは変な気持ちだ。すぐに列から外れ、脇の方から観音様に手を合わせた。
江戸時代、浅草寺の山門から観音堂にかけての道の両側には、参拝客相手の茶店などと並んで楊枝屋が何軒もあったという。
お袖のいる店に、高野師直の家来伊藤喜兵衛が孫のお梅を伴って訪れ、楊枝をもとめるが、お袖は旧主の敵と知って断る。喜兵衛は「出すぎた女め」と怒りだすが、間に入って取り持ったのが、元塩冶判官の家来奥田将監の小物だった直助。直助は今は薬売りをしている。
実は直助、お袖にぞっこんなのである。早速口説きにかかるが、お袖は身分が違うと全く相手にしない。お袖には佐藤与茂七という許嫁があった。与茂七は義士のメンバーで、お袖と全く連絡が途絶えている。
振られた直助は、茶店のお政からお袖が地獄(私娼窟)で遊女をしていると聞き、金で買えばいいのだと思いつき、お政に案内を頼む。
一方、四谷左門が非人の男たちに小突かれながら登場する。左門が非人の縄張りを荒らしたと因縁をつけられたのだ。
非人の仕事は道路や河川、堀などの清掃である。また、処刑場の番人なども彼らが担った。ただ、それだけでは食べていけない。非人に許された経済活動は乞食だけである。彼らは非人頭のもと組織化されていて、それ以外の者が勝手に乞食をすることを許さない。浅草には車善七という頭がいた。
もともと武士や百姓だった人間が零落れて、乞食になってしまうのを「野非人」といって、これは取り締まりの対象になったのである。
左門は生活の足しにしようと、境内で物乞いをしていたのを、非人たちに見とがめられたのだ。引っ立てられようとする左門を助けたのは、民谷伊右衛門だ。非人たちに金をつかませて左門を解放させた。
実はこれはお岩を取り戻したい伊右衛門の策略。左門に貸しを作っておいて、お岩との復縁を迫る。
しかし、左門は許さない。伊右衛門が公金横領をしていたこと、それを結納の持参金にしたことに気付いていたからだ。かえって、伊右衛門を盗人と呼び、娘は返さんと言い捨てて去る。
お岩は取り戻せず、その上横領を知られては将来の妨げ。伊右衛門に殺意が芽生えた。
*おことわり
文中に非人という言葉が出てきましたが、これは『東海道四谷怪談』の台本の記述に沿って、そのまま書きました。筆者にそれ以上の意図がないことをおことわりしておきます。
江戸時代は身分制度の厳格な時代で、このような人々もまた社会の決して軽くない構成員でした。南北の芝居には、このような身分の登場人物が多く出てきます。
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