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鎌倉の「竹寺」報国禅寺

 叔母の墓参りに従姉妹と出かけた。そこは鎌倉の衣張山の山すそを削って造成した小さな霊園で、叔母の希望通り樹木葬ができる施設だ。
 樹木葬といっても花壇のようで、小路のふちにある名前入りの金属プレートが無ければまるっきり公園である。墓石のある墓もあるが小ぶりで隣の墓と近く、花壇の中に置かれている感じだ。墓石の形も様々で個性的なものも多い。
 花は季節ごとに植え替えられている。辺りは数種類の蝶が飛び、近くの森からキツツキが幹を打つ「ココココ・・・」という軽快な音がきこえてくる。


 墓参りも終わって、せっかく鎌倉まで来たのだから、どこかお寺でも行こうかということになり、近くの報国寺へ行くことにした。予備知識もなく始めて行ったのだが、臨済宗建長寺派の禅宗の寺院で、足利氏や上杉氏の菩提寺ということだった。竹林の庭で有名で、竹寺とも呼ばれている。

山門
報国建忠禅寺というのが正式名称らしい

 開基は足利尊氏の祖父の家時。境内の崖を掘ったいわゆるやぐらという洞穴に供養塔が並んで見えるのが足利家の墓だという。

本堂
二つ匹両は足利家の家紋
本尊は釈迦如来
足利家の墓
崩落の危険があるので、近くへは行けない

 枯山水と鯉の泳ぐ明るい庭。

 そして竹寺の別名通り、孟宗竹の庭。

 たくさんの石塔が集められている場所があった。後で知ったのだが、足利氏と北条氏が戦った時の戦死者の供養塔だという。この戦で北条氏は滅び、鎌倉幕府は滅亡したのだ。(知っていれば写真を撮ったのに・・・)

 また、上杉禅秀ぜんしゅうの墓もあったらしいが気付かなかった。室町時代、関東管領だった上杉禅秀が鎌倉公方の足利持氏に対して起こした戦乱。いわゆる「上杉禅秀の乱」は関東が戦国時代に突入するきっかけになった。
 結局、禅秀は敗けて自決する。そして葬られたのがこの寺だったのだ。地図で見ると禅秀の屋敷から報国寺は割と近い所にある。


 報国寺は鶴ヶ岡八幡宮の前を通る金沢街道を東に進んだところにある。鎌倉の街から少し離れているが、平日にもかかわらず参拝者が結構いた。外国人観光客もいて、韓国人らしきカップルやドイツ語を話すグループもいた。 

お庭の拝観は有料。
400円(お抹茶付き600円)

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